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【プロレスと私】 第6回 土曜の夜はドリフ、Gメン、ウィークエンダー(1978年)

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 1978年のプロレスに関する事象でまっ先に浮かんでくるのは、WWWFジュニアヘビー級王座に君臨した藤波辰巳が巻き起こした空前のドラゴンブーム。だが、猪木マニアにとっては「シュツットガルトの惨劇」ではないだろうか。
 11月25日(現地時間)西ドイツ・シュツットガルト市のキーレスバーグ・ホールで、アントニオ猪木がローラン・ボックと欧州スタイルのラウンド制(4分10R)で対戦。23日間で5ヵ国22都市を巡り、20試合(+1エキジビション)をこなす過密スケジュールのヨーロッパ遠征中に行われたこの一戦は、ボックの強烈なスープレックで投げられまくった猪木が、判定負けを喫している。

 当時の我が家にはテレビが1台しかなく、父と祖母が毎週『ワールドプロレスリング』を観ていたので、私もこの試合を観ていた可能性が高い。だが、残念ながらまったく覚えていない。小学1年生だった私が自分の意志で観ていたのは、藤波の試合だけだった。

 しかし、藤波の試合が一番の関心ごとだったかと言えば嘘になる。まだ子どもだったので、アニメや特撮ヒーローに夢中だった。特に好きだったのが、松本零士原作のSFアニメ『宇宙海賊キャプテンハーロック』(テレビ朝日系列・1978年3月14日~1979年2月13日)。前年から放送されていたタイムボカンシリーズの第2作『ヤッターマン』(フジテレビ系列・1977年1月1日~1979年1月27日)もお気に入りで、ドロンジョ、ボヤッキー、トンズラーのコミカルなやりとりに笑い転げていた。

 当時の楽しみは、なんといっても土曜日の夜。翌日が休みということで、土曜日だけ夜ふかしが許されていた。若い方はご存じないだろうが、昭和時代は週休1日が当たり前だった。

 夕方に『ヤッターマン』などの子ども向け番組。19時から父親が選んだ番組。そして20時から、子どもたちが最も楽しみにしていた『8時だョ!全員集合』。当然ながら裏番組の『全日本プロレス中継』を一度も観たことがないので、前年(1977年)オリコン洋楽シングルチャートで年間1位を記録した入場テーマ曲「スカイ・ハイ」と共に一世を風靡したミル・マスカラスの存在を知る由もなかった。
 この時点で全日のリングに上がっている選手の中で存在を認識していたのは、アニメ『タイガーマスク』の再放送で知ったジャイアント馬場と、タレント活動をしていたザ・デストロイヤーのみ。もちろん、両者がプロレスラーとしてリングで戦う姿を目にしたことはない。

 21時からは、両親と一緒に刑事ドラマ『Gメン'75』(TBS系列・1975年5月24日~1982年4月3日)を観た。そして22時から放送される『テレビ三面記事 ウィークエンダー』(日本テレビ系列・1975年4月5日~1984年5月26日)の途中で睡魔に負けた。『ウィークエンダー』は下ネタ多めの下世話なワイドショーだったが、意味もわからず笑っていた気がする。
『ウィークエンダー』では、事件を紹介する際にクインシー・ジョーンズの「Ironside」が使用されていた。今でもこの曲を聴くと「新聞によりますと・・・」というナレーションが浮かんでくる。

 1978年といえば、本国アメリカの公開から1年遅れて日本で全国公開され、社会現象となる大ヒットを記録した『スター・ウォーズ』にも熱を上げた。友人と彼の母親に連れられて劇場で観たこの映画が、初めて観た洋画だった。夏休みの宿題として出された絵日記に、C-3POとR2-D2の絵を描いたことを覚えている。


(つづく)


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