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第9話:顧客の苦痛は業界の課題「より多くの顧客を救いたいなら、業界の課題を解決しないと」——小説で読む起業

この小説では、主人公の洋子が起業家として成長するさまを描きます。ストーリーはフィクションですが、起業家としての失敗や苦労、成功法則はすべて、起業や新規事業開発における実際の現場での体験、知見に基づいたものです。圧倒的にリアルで生々しい、洋子の起業家としての歩みを、共に見ていきましょう。

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第9話:顧客の苦痛は業界の課題「より多くの顧客を救いたいなら、業界の課題を解決しないと」——小説で読む起業

前話までのあらすじ
洋子は、オンライン上で完結するインテリアコーディネートサービスのアイデアで、miltyを創業した。アドバイザーの美保の助けを借り、ようやく潜在顧客を掴むことができた洋子。事業の再出発に向けて、社員やパートナーとの契約を解消することを決めたのだった。

洋子

洋子は創業前、知り合いの先輩起業家から「社員を雇うのは、かなり先」だと助言を受けていた。

ビジネスモデルが見つかるまでは、人を雇ってはいけない、と。洋子は、社員を雇うのが早すぎたのだ。

洋子が雇用を早まってしまったのは、前職の当たり前を引きずったことも原因だったのかもしれない。洋子が勤めていた大手の不動産賃貸会社は、ビジネスモデルが成立しているからこそ積極的に雇用できた。しかしmiltyの場合、ビジネスモデルはおろか、解消すべき顧客の苦痛さえもあいまいな状態で雇用してしまっていた。

少なくともビジネスモデルの成立が見えるまで、組織は最小限の体制にとどめなくてはいけない。まずはサービスの検証が最優先だからだ。先に体制を固めてしまうと、体制を活かすことに創業者自身が急かされ、不十分な検証で切り上げてしまうことも多い。体制が最小限であれば、サービスを変えることも、ずっとやりやすい。

洋子は、今になって先輩起業家からのアドバイスの意味を痛感していた。

しかし後悔ばかりしていても始まらない。洋子は、創業前から共に歩んでくれたメンバーから先に、雇用を続けられない旨を伝えた。

彼女たちも、資金が尽きる寸前であることはわかっていた。雇用を続けられないことを打ち明けると、新しいビジネスモデルを探索するための活動を一緒にやろうと言ってくれた。

しかし、洋子はもうこれ以上成立するかどうか分からないビジネスモデルの探索に付き合わせることはできないと感じていた。数ヶ月先、もっと先になるかもしれない。ビジネスモデルの成立が見えた時、その時に改めて、声をかけさせて欲しいと伝えた。

その後、創業後に参画してくれたメンバーたちにも話をした。起業初期の会社で経験を積みたいと思って参画してくれた若いメンバーがメインだったからか、また一緒に働ける時がきたら、声をかけてくださいと、言ってくれた。

契約していたインテリアコーディネーターたちは、自分たちの力量がインターネット完結のインテリアコーディネートという世界でどれだけ通用するのか、試してみたいと思っていた。まだまだ試せる力があり、もっともっと広がっていくと信じている、と言ってくれた。洋子は、涙が止まらなかった。

再スタートを切ることになったmiltyは、洋子、顧客対応責任者であった咲、この先どうなったとしても続けたいと言ってくれたインテリアコーディネータの3人で、新たな検証に向かった。

咲は、創業前の、まだ何をやるか決まっていなかった頃からずっと一緒にサービスを作ってきた。洋子は咲のキャリアの心配をしていたが、「今miltyを離れるのは考えられない」「これこそが自分のキャリアだ」と言ってついてきてくれた。

miltyは、体制を大幅に縮小したことにより、少なくともあと半年は事業が継続できる状態になった。

その晩、洋子は良幸に組織を解散したことを報告した。

良幸

良幸:「そうなんだ。それは賢明な判断だったんじゃない?」

洋子:「ここまでついてきてくれた皆には申し訳ないけれど」

良幸:「ああ」

洋子:「けど、今は再出発の時だから。みんなのこれまでを台無しにしないためにも、これからmilty を再起させなきゃ」

良幸:「そうだね、応援しているよ」

洋子は、これまで実施したインタビュー結果を改めて咲と共有した。

咲は顧客対応で民泊事業者からの依頼に答えてきた経験から、インタビュー結果についてはよく理解できると言ってくれた。

洋子:「咲は、法人顧客について、検証の可能性があると言ってくれていたわよね。当時の私には、そこにあった顧客の苦痛がまったく見えていなかった。あの時は咲の指摘を受け取れなかったけど、続きを私と一緒に進めてほしい」

咲:「わかりました。やりましょう!」

先日インタビューをした幹元から紹介を受けたZ社のほか数社に対して、洋子は咲と一緒にインタビューをした。

洋子と咲は、これまでのmiltyの経験を生かしながらも、新たに実施したインタビュー結果を踏まえてゼロベースで解決策を作った。

数日後——。

洋子は美保に連絡をとった。「美保さん、少し日が空いてしまいましたが、顧客の苦痛と、苦痛を解消する解決策を作りました。もしよければ助言をいただけないでしょうか」

その頃、美保は老舗旅館が並ぶ温泉地にいた。

美保:「たまには温泉にでもゆっくりつかりながら話をしない? 都内からそんなにかからないから、早めの夕食にすれば日帰りできるわ。こちらまで来てみる?」

美保はどこにいても仕事ができるスタイルのため、各地を転々としていた。

温泉地はmiltyのある神奈川からは2時間ほど。今すぐ向かえば午後早めの時間には着ける。洋子は咲を誘って美保のもとへ向かうことにした。

温泉街の入口に差し掛かり、湯気が至る所で上がっているのが目に入った。急勾配な坂道を進むと、数百室はあろうかという巨大な旅館が見えてきた。美保が教えてくれた旅館はここだろうか。と思ったが、どうやら違うらしい。美保がいたのは、その2軒先にある、こじんまりとした、スタイリッシュな旅館だった。

のれんをくぐると、女将さんが出迎えてくれた。「伺っています。どうぞこちらへ」と部屋に通してくれた。

美保:「ようこそ。ここは私のお気に入りの場所で年に数回は利用しているの。長時間の移動で疲れたでしょうから、少し休んだらお風呂に行きましょう」

咲:「私、学生時代から温泉巡りが好きで、九州の温泉地を巡る旅をしたこともあるんです。こちらの温泉も一度訪れたいと思っていました。今日来れてとてもうれしいです」

美保:「じゃあ、すぐに温泉に入りましょうか?」

咲:「はい、ぜひ」

温泉に浸かり少しした頃、美保は本題を切り出した。

美保:「さて、顧客の苦痛が見つかったんだったわよね? どういう苦痛かしら?」

洋子:「インタビューを通じて、民泊物件と顧客のマッチングにおいては内装が決め手であることが見えてきました。そのため物件の成約率を高めるには、内装と撮影がカギを握ります。その反面、内装などへの投資対効果を事前に予測するのは難しく、また効果が上がらない場合でも、すぐに内装や調度品を変更することはできないため、投資損と在庫リスクにより経営が圧迫される可能性があります。しかし内装への投資を止めることはできない、という苦痛を抱えていることがわかりました」

美保:「見違えるように顧客の苦痛が見えてきたわね。ただし、顧客の苦痛を考えるだけでは、実はまだ足りないの」

洋子:「え?」

美保:「順を追って説明するわね。洋子さんは顧客の『苦痛』を明らかにできた。ここまではバッチリよ。次に考えるのは、顧客が苦痛を取り除こうとしても、取り除けない要因よ。

例えば咲さんが結婚式を挙げるとしましょう。結婚式まであと数ヶ月で、ダイエットをしていたとする。体重が落ちないことがとっても苦痛。でも咲さんは甘いものが人一倍好き。だから体重は落としたいけど、甘いものを制限するのは無理。結果、体重は思ったように落ちない。

この場合、体重を落とせない要因は『ダイエットはしたいけど、甘いものが制限できないから』よね。ここまではいいかしら?

洋子:「はい」

美保:「ここで重要なのは、顧客が抱える苦痛を解消できていない要因は『顧客のせいではない』という前提に立つことよ。では誰のせいか。それは、顧客の苦痛を解消する側、つまり解決策を届ける企業側が抱える課題だと捉えることが必要よ。

顧客の苦痛を解消をする集団を『業界』と呼ぶ。そして業界と顧客が出会う場が『市場』。

顧客が苦痛を解消できていないのは、苦痛を解消する集団=業界が機能していない、つまり業界が課題を解決できていないからなの。顧客の側と業界の側、どちら側から見るかが違うだけ。でも、『ダイエットはしたいけど、甘いものが制限できなくてどんどん体重が増えていってしまう』という顧客の苦痛を、『甘いものが制限できない人がダイエットできていない』、言い換えると『甘いモノが制限できない人のダイエットを実現できていない」というダイエット業界の課題として見ることが必要よ」

洋子:「顧客が抱える苦痛は、あくまで顧客が抱える苦痛であって、解決策を届ける業界の課題という視点でも考えないといけない......まだピンときません......」

美保:「今はピンとこないかもしれないわね。

少し厳しいことを言うと、miltyの場合は『顧客の苦痛を解消する』ところまでは来ているかもしれない。でも『顧客の苦痛を解消できていない業界の課題』はまだ捉えられていないということね」

洋子と咲は「わかるようで分からない」といった表情だ。

美保は「抽象的な話だけじゃなかなか腑に落ちないわよね。そう思って、宿の女将さんに少し時間をもらったの。もうすぐ夕飯だけど、その前に少し女将さんの話を聞いてみましょう。きっと発見があるわよ」

洋子と咲は、少し戸惑いながらも、女将さんの話が聞けることを楽しみにしながらお風呂を出た。

旅館の女将:与田

女将:「改めましてこちらで女将をしております与田と申します」

美保:「与田さん、お忙しい中お時間をいただきありがとうございます。少し事前にお話した通り、こちらの洋子さんと咲さんは、インテリアコーディネートサービスをインターネットを介して届けているmiltyという会社を経営しています」

女将:「どうも、ようこそお越し下さいました」

洋子・咲:「与田さん、お時間いただきありがとうございます。素敵な旅館ですね」

美保:「洋子さん、咲さん。老舗旅館が居並ぶこの温泉街で、この旅館が顧客に魅力を感じてもらえるようにどうやって工夫していらっしゃるのか、与田さんにお話いただくわ」

洋子・咲:「それはとても関心があります」

女将:「うちの旅館は、ほんの10年前までは団体旅行が中心で、大手旅行代理店さん経由での予約が半分以上を占めていました。それから個人旅行が増えまして、さらに旅行代理店経由ではないインターネットからの予約が増えるようになりました。

インターネット経由での個人旅行の予約は、「Online Travel Agency(OTA)」と呼ばれる外部の予約サイトにお部屋単位で掲載して予約を募る方法と、自社のWebサイトから直接予約を受け付ける方法の2つがあります。よほど知名度がある旅館でない限り、OTA経由の予約が多くを占めます。

また最近では民泊物件もOTAにお部屋を掲載しています。ひと昔前なら、旅館の競合は旅館かホテルかでしたが、当旅館のような小規模なこだわりを持った旅館の場合、民泊物件も競合となることが増えてきました。民泊物件は旅館やホテル以上に、顧客のニーズやトレンドにきめ細かく対応して、内装を変えていくので、そこに対抗していかなければなりません」

咲:「なるほど。ということは、こちらの旅館でも内装や調度品にはコストをかけているのですか?」

女将:「まさにそうです。内装と、その内装をどう見せるかという見せ方にこだわっています」

咲:「そうなんですね。何かお困りの点はありますか?」

女将:「もしかしたらおふたりがやられているインテリアコーディネートへの批判のようにも聞こえてしまうかもしれませんが、美保さんにもお願いされたことでもありますので、本音で話しますね」

一息つくと、女将は一層真剣な顔つきになって話を続けた。

女将:「まず内装をコーディネート業者に依頼しようと思っても、小規模から大手事業者までたくさんあるので、どこに依頼すればよいのか判断がつきません。最近では事業者を比較できるサービスなどもありますが、過去のコーディネート事例の画像や実績だけでは、自分の物件の場合どうなるのかがイメージしにくいんです。

系統の異なる複数のパターンを試したい場合も、事業者それぞれのこだわりがあるので、同じ事業者にまったく異なるコーディネート案を提案してもらうことは難しく、結果複数の事業者に並行して依頼することになります。

コーディネートを依頼する場合、アポイントから、事前の連絡調整、複数回の訪問、初期のコーディネート案を踏まえて何度か調整をしていく過程があり、それを複数の事業者とやりとりをするだけでも相当な時間がかかります。

そこから事業者を絞り込み、本番用の提案をいただきますが、それも結局は、実際に顧客の反応を見るまで、当たりか外れかはわかりません。

一度内装を変更することになれば、リフォームと調度品の変更に時間とコストがかかります。うまく顧客ニーズにハマらなかった時に再度変更するとなるとかなりの損失です。

女将:「さらに一番難しいと感じるのは、正直なところ、インテリアコーディネートを依頼すると、『あなたはどのような内装がお好みですか?』という問いかけが多く、その一方で『顧客にとってどのような内装がより良いのか』という顧客目線での対話がしづらいことです。

事業者としては、エンドユーザーの評価よりも、自分たちが良いと思ったものが良い、という考え方があるように思います」

洋子は、女将の話を聞いてハッとした。確かにインテリアコーディネートは、顧客のイメージを引き出して形にすることを大事にしている。しかしそこで考えている顧客はあくまで目の前の依頼者だけ。

女将が言うようにそのお部屋を利用する顧客が求めるイメージまでを形にしてほしいというニーズには応えられていない。女将の苦痛にうなずかざるを得なかった。

洋子:「とても詳しくお話をいただき、本当にありがとうございます。私たちの業界の至らない点をご指摘いただき、たくさんのヒントをいただけました。心から感謝申し上げます」

美保、洋子、咲は、美保が宿泊している部屋で、食事をいただくことにした。

美保:「女将さんのお話、どうだったかしら?」

洋子:「美保さんがおっしゃっていた『顧客の課題は業界の課題』ということの意味が、少し分かったような気がします。

既存のインテリアコーディネートサービスでは、女将さんがやりたいことの半分も実現できていませんでした。何より、インテリアコーディネートにまつわる苦痛を取り除いてあげないといけないはずが、インテリアコーディネートサービスのあり方自体が、女将さんの苦痛の原因になっていました」

咲:「私がこれまで顧客対応をしてきた中で、法人のお客さまからの問い合わせもいくつかありました。でもそのほとんどはサービスの仕様から外れる要望だったので、正直1つずつ対応していたら効率が悪いと感じて敬遠していました。でもそれが、顧客の要望に答えられていない『業界の課題』だったのだと、今理解できました」

美保:「そうね。いい感じ。顧客の苦痛を理解して、顧客が抱える苦痛を深く捉えることはとっても大事。でも、それだけでは目の前の顧客の苦痛を取り除くことにはつながっても、もっと多くの顧客の苦痛を取り除くことにはならない。多数の顧客の苦痛を取り除くためには、解決策を届ける側の課題、もっとストレートに言うと解決策を届ける側のサービスの欠陥として捉える必要があるの。顧客の苦痛を業界の課題と捉え、業界の課題を解決する解決策を作ることが大切よ」

美保:「そうだ、食事が運ばれてくる前に、インテリアコーディネート業界の、顧客の苦痛、業界の課題、解決策を、整理してみましょうか。洋子さん、咲さん、どちらでもいいわ。整理してみてくれるかしら?」

洋子と咲は顔を見合わせて深く頷いた。

これから夕食だというのに、3人の泊まる旅館の部屋は熱気を帯びていった——。

第9話のポイント
ビジネスモデルの成立が見えるまでは、スタッフの雇用など組織体制は最小限にとどめる
・まずはサービスの検証が最優先。先に体制を作ってしまうと、体制を活かすことに創業者自身が急かされ、不十分な検証で切り上げてしまうかもしれない。体制が最小限なら、サービスも転換しやすい
・ビジネスでは、顧客が抱える課題は顧客のせいではなく、顧客の苦痛を解消する側、つまり解決策を届ける「業界の課題」だと捉えることが必要
・顧客が抱える苦痛や課題を捉えることは重要だが、さらに多くの顧客の苦痛を取り除くためには、「業界の課題」を解決する解決策を作ることが大切

続き、第10話「顧客、業界、そして社会課題へ」はこちら>

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*この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。