腎臓病の方向けアプリ「じんぞうグラフ」ローンチ、母親というユーザー像に向き合い続けて:トーチス・松岡大輔
課題を照らし出す松明(たいまつ)=Torches(トーチス)。
社名を名付けた株式会社トーチスの松岡大輔(まつおか・だいすけ)さんは現在、腎臓病の患者さんが抱える課題を照らし出し、腎臓病の方のためのアプリを開発しています。
2023年2月に腎臓病の方のための血液検査記録アプリのローンチを迎えた松岡さんに話を聞きました。
母親の人工透析導入を機に、トーチスを創業
およそ8人に1人。日本における慢性腎臓病の患者数です。
腎臓は一度その機能を失ってしまうと、元通りに回復できないケースが多く、悪化すると人工透析や腎移植が必要になることもあります。
松岡さんがトーチスを創業するきっかけは、大学2年生の時に母親の腎臓病が悪化したことでした。それからは投薬治療と並行して、松岡さんも食事や運動をサポートしていきました。
それでも病気は進行し、6年後に人工透析導入となりました。
「人工透析は、機能しなくなった腎臓を機械で代替する治療法です。ただし、透析を導入すると定期的に病院で血液を浄化しなくてはいけません。母の場合は、1回5時間の血液浄化を週3日間続けており、これと一生付き合っていくことになります。現在の医療では人工透析をやめることはできませんが、腎臓病の人の不便を取り除きたいと考え、トーチスを創業しました」(松岡さん)
トーチスの創業ストーリーについては、松岡さん執筆のnoteをぜひご覧ください。
腎臓病の方のための栄養計算アプリ「栄養ビジョン」
現在トーチスが腎臓病の患者さん向けに展開しているのが食事の栄養計算アプリ「栄養ビジョン」です。
腎臓病になると、食生活にいっそうの注意を払わなければいけません。日々の食事の栄養価を計算して記録することが必要になりますが、想像してもわかる通り、非常に手間がかかる作業です。
「私たちが開発した栄養ビジョンでは、はかりに食材を乗せてスマホで撮影すると、機械学習を用いて自動で栄養価を算出します」
これまでも栄養計算ができるアプリはたくさんありましたが、その多くは誰でも使えるような設計になっているぶん、腎臓病の患者さんにとってはニーズを満たせていなかったと言います。
松岡さんたちは、腎臓病に特化するために、従来の全方位向けのアプリではすくいきれていなかった患者さんの課題やインサイトを探りながらアプリを開発していきました。
ユーザーの声を聞きながら改善を積み重ねる
2021年12月のトーチス創業後、2022年はじめにアプリ開発をスタート。6月に一部のユーザー向けにクローズドでアプリを公開すると、腎臓病の患者さん同士の口コミなどを中心に広がり、およそ半年で数千回以上の食事が記録されました。
「クローズドでの公開なのでユーザー数は大きく増えていませんが、アプリを利用してくれている人は、高頻度で使ってくれています。ある人は、アプリを朝昼晩と半年間毎日欠かさず記録してくれました。ユーザーの方からは『日々の栄養計算の時間が1/10になりました』『食事のエネルギー不足に気づけました』といった声をもらっています」
ユーザーからのフィードバックを受けながら、この半年間でアプリの改善を進めていった松岡さんたち。アプリの利用データを分析し、ヒアリングを重ねる中で、腎臓病ならではの改善点もたくさん見えてきたと言います。
「腎臓病になると、食事がかなり厳しく制限されます。そのため外食はしにくく、スーパーに行っても食べられる食材は限られるため、毎日の食事や使う食材がルーティン化してくることがわかりました。これを踏まえて栄養ビジョンでは、記録の履歴機能を充実させたり、よく食べる食材のプリセットを充実させたりすることで記録時間の短縮を図っています。」
より便利なアプリを目指して、こうした機能面での改善を続けています。
「栄養ビジョン」の学びをもとに、「じんぞうグラフ」を2023年2月にリリース
栄養ビジョンをリリースして使ってもらう中で、さまざまな患者さんの課題も見えてきたと言います。
その1つが、自分の血液・尿検査の記録を管理し、数ヶ月〜数年単位での推移を把握することの難しさでした。
「血液・尿検査の記録は病院から紙でもらうため、数ヶ月〜数年間の推移を見るのは難しく、Excelやノートなどで記録している患者さんもいらっしゃいます。母も腎機能の推移を見るために記録を続けていました」
こうした数値をスマホアプリで簡単に記録して、推移を見れるようにしたのが、2023年2月にリリースした「じんぞうグラフ」です。
「eGFRやクレアチニン、体重、アルブミンなど腎臓病の方にとって重要な数値を記録できます。治療や生活習慣を振り返る際にこのアプリを使ってもらいたいです」
将来的には栄養ビジョンとじんぞうグラフの連携もできるようになるとのことです。
数々の“失敗”を経て、手応えをつかんだ現在
現在はアプリにも手応えを感じながら次の展開を見据えている松岡さんですが、ここに至るまでには、数々の“失敗”もありました。
学生時代に、トーチスの共同創業者である金具浩平(かなぐ・こうへい)さんと出会った松岡さんは、エンジニアでもあった金具さんと共に、学生時代からさまざまなプロダクトを開発してきました。万歩計アプリ、外食レコメンドアプリ、健康的な食事を提供しているレストランのメディア、人間ドックのプレゼントサービス、病気の前兆をキャッチして診察を勧めるサービス——。プロトタイプを作っては一番のユーザーである母親に使ってもらっていたそうです。
しかしこれらは「事業化には至らないまま時間が過ぎていった」と話す松岡さん。これらの経験を踏まえて、現在トーチスでの事業立ち上げで意識しているポイントを聞きました。
「学生時代は、単純に人が欲しがるものを作れていなかったという点に尽きます。母のニーズを聞きながら作っても、言ってることと実際にやることは違うし、表面的な会話から本当の課題は出てきません。問いかけを通してインサイトを見抜かなければいけませんが、当時はそれができていませんでした。栄養ビジョンとじんぞうグラフの開発では、圧倒的に話を聞いている人の量が当時と違います。最低でも1日1人はユーザーインタビューをしようと、SNSで声をかけたり、現場に行ったり、患者向けの情報サイトを運営している人に紹介してもらったりと手を尽くしながら、インタビュー記録を振り返っていました」
創業から1年を迎えて、外からは非常に順調に歩みを進めているように見える松岡さんですが、本人は「全然。ようやく先が少しだけ見え始めたくらい」だと言います。
「何が必要なのか。何が求められているのか。実際にサービスを出してみて、使ってもらって、その声を直に聞いたり、病院の人とやりとりしたりする中で、初めて次の景色が見えてきます。世の中に出して、視界が開けて、また出して......の繰り返しなんでしょうね」
松岡さんはインタビューの最後で「単純に母親の役に立つものを作りたいというのが本音。正直に言うと、社会を良くしたいみたいなことは結果でしかない」と話してくれました。
それでも、母親という、最も切実な1人のユーザーを見つめ続けているからこそのサービスや会社としての強さを感じさせられます。
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