第5話:普通のサービスに落ち着くなかれ「焦るほど目の前の思いつきにすがりたくなる」——小説で読む起業
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第5話:普通のサービスに落ち着くなかれ「焦るほど目の前の思いつきにすがりたくなる」——小説で読む起業
初めての潜在顧客へのインタビューを終えた翌日、洋子は美保に連絡を取った。合計23人にインタビューをしたので、どこかで詳しく報告させてほしいと伝えたのだ。
洋子からの連絡を受け取った時、美保はカフェでとある新規事業の相談に目を通していたところだった。
洋子からのメッセージを見ながら、美保は自分が初めて顧客にインタビューをした時のことを思い出していた。
洋子には「ビジョンばかり語ってはダメ」とアドバイスしたが、実は美保にも似たような経験があった。美保の初めてのインタビューも、もはやインタビューと呼べるものではなく、演説に近いものだった。
「自分のアイデアを話すのではなく、顧客の話を聞くべき」ともアドバイスしたが、実はこれも、当時の美保の反省から出たものだった。
美保は、インタビューを繰り返していた頃、コツを書き留めていたノートを見返した。当時のノートには、美保が経験から編み出したインタビューのポイントがまとまっていた。
仮説やアイデアを話せば話すほど、顧客はその仮説に沿った回答をするようになる。その結果、起業家は仮説が正しいものだと思い込んでしまい、「どうしてこのサービスは今世の中に存在しないのか」「これほど待ち焦がれている人が目の前にいるのに」などと考えてしまう。つまり間違った仮説が証明されてしまい、結果的に間違った方向にビジネスを組み立ててしまうことになる
そうならないために、インタビューの相手が本当のことを話してくれているのか、それとも気を遣って嘘をついてくれているのかを見分けなければいけない。「こんな苦痛は感じていませんか?」のように、Yes/Noで回答できる「クローズドクエスチョン」は、インタビュアーが回答してほしい選択肢を察して答えしまうので、避けるべき。こちら側から仮説を一切話すことなく「どのような苦痛を感じていますか?」というオープンクエスチョンなら、顧客は自分で考えて回答するしかないので、嘘はつけない
もう一つ大事なのは「私〇〇したいんです」のように、顧客が先々のことを話した時の受け取り方。本当に重要なら「〇〇したい」ではなくすでに「〇〇している」となるはずだ。もっと言えば「◯◯している」だけでは本当にしているかはわからない。「昨日◯◯した」といった確実な事実に到達しなければならない。「着ている服がいつも同じなのでバリエーションを増やしたい」と言われたなら、おそらくたいして痛くはないのだと受け止めなければならない
言葉尻にも注意が必要だ。例えば「思っている」という言葉。「〇〇だと思ったんです」だけでは、単に思っているだけなのか、強く思っているのかは分からない。そういう時は「具体的にはどういう対処をしていますか?」「その時どういう感情でしたか?」など、思っていることがどのような行動に反映されているのか、具体的にどういう感情になったのかを確認していくことが必要だ。「思う」だけでは本当のことは分からないが、行動や感情は嘘をつかない
一通り見返すと、美保はノートを閉じた。洋子からの報告を楽しみにしながら、目の前の新規事業に関する相談内容に目を通し始めた。
美保が相談者の女性にメールを返信し終えたちょうどその時、洋子からメッセージが届いた。
起業家に助言する立場の美保には、毎日のようにまったく違う業界のまったく違うビジネスの相談が来る。よく「混乱しないの?」と聞かれることもあるが、そんなことはない。一人ひとり起業家の人生が詰まった相談に、できる限り真摯に対応したいと考えていた。
洋子からのメッセージは、読み手に時間を取らせないように最低限の情報をまとめた簡潔な内容だった。起業家としては未熟な部分もあるが、仕事ができることがうかがえる。
洋子からのメッセージには次のように書いてあった。
合計23人にインタビューできた
23人のうち、インテリアコーディネートに関する苦痛について具体的に答えてくれたのは15人
その中で「利便性」と「価格」に関する痛みを5段階で4以上と答えた人は1人もいなかった。3と答えた人は1人だけだった
意外にもインタビューを断られたのは3組だけだった
起業前にインタビューした時には「利便性」と「価格」を気にする人が多かったのだが、今回は1人もいなかった。起業前は顧客の声の聞き方に問題があったかもしれない
事業の方向転換についてのアイデアが生まれたので、ぜひ聞いていただきたい
美保は「明日のディナーの前なら恵比寿で会える」と返信した。洋子からはすぐさま「伺います」と連絡があった。
恵比寿の喫茶店で、ニュースアプリを見ていると、「美保さん」と呼ぶ声がした。
振り返るとノートを直接手にして駆け込むように入店してきた洋子の姿があった。直前までノートを読み返していたのかもしれない。
洋子は、美保に会うなり話し始めた。
「オンラインのみのインテリアコーディネートサービスは、時期尚早だったかもしれません。まずはオフラインのサービスを組み合わせて、補助的にオンラインを組み合わせる方向でサービスを転換しようと思うんです」
美保は洋子の唐突な事業転換の話に戸惑いを覚えつつも、顔には出さず、静かに話を聞いた。
美保:「サービスをゼロベースで見直すということ?」
洋子:「ゼロベースではありません。オフラインとオンラインを掛け合わせたハイブリッドなサービスに転換しようと思うんです」
美保:「どうしてそう思ったの?」
洋子:「インタビューをして顧客の要望と自分たちのサービスがズレていることに気づいたんです。例えばある方は、インテリアコーディネートを依頼するなら、何度も自宅に足を運んでもらい、理想のコーディネートにができあがるまで付き合ってもらえる手厚さを求めていました。だから、オンラインだけで完結させる今のmiltyのサービスでは、お客様の要望を満たせないと思って......」
美保:「なるほど。洋子さんはこれまで、潜在顧客の声を聞かず、自分の仮説をぶつけて仮説証明モードで顧客の声を聞いてきた。そして、思い込みのままビジネスを立ち上げ、今はうまくいっていない。創業1年が経過し、リソースも尽きて来つつある。本来潜在顧客の声を、仮説証明モードではなく、とにかく聞くという純粋な顧客理解が必要だったことに気が付いて、そして今回のインタビューではそれを実践してみた。そうよね?」
洋子:「そうです。だから、顧客の声を聞いて、事業を転換しようと......」
美保:「そうだとすると、今洋子さんは同じミスを繰り返そうとしているわ。だって、たった1日インタビューをしただけで、何の検証もしないままビジネスを変えようとしているんだもの」
洋子:「もう一度同じミスを? 私が? でも今回はちゃんとインタビューをしました」
美保:「同じミスよ。今回のミスは2つ。1つはまた自分の思い込みで顧客の要望を決めつけようとしていること。もう1つは少ししか顧客の声を聞けていないのに早々に結論を出そうとしていること」
一息つくと、美保は穏やかな口調に戻って、話を続けた。
美保:「洋子さん、少し時間を巻き戻していいかしら。miltyが解消しようとしていた苦痛が別にあることを、今回のインタビューで発見したから、ビジネスを見直そうとしているのよね?」
洋子:「はい。今回のインタビューでは、誰からも利便性や低価格を求める声は聞くことができませんでした、むしろじっくりと時間をかけて決めたいという人が多く、価格についても、長く住む場所だからある程度料金が高くても構わない、と」
美保「でも180度サービスを変えるわけではなく、オンラインとオフラインを組み合わせたものにしようとしているってことは、『利便性』と『価格』という顧客の課題はそのままってことよね?」
洋子:「......利便性や価格も、インタビューでは表面化しなかっただけで、潜在的な苦痛である可能性はあると思っています」
美保:「ちょっと待って。少し話が変わるけど、洋子さんは、利便性と価格は顧客にとって潜在化した苦痛である可能性があると言いたいの?」
洋子:「はい」
美保:「あなたが自分の仮説にこだわる気持ちも分かるけど、もしかしたら洋子さんは大きな捉え間違いをしているのかもしれないわね。利便性も価格も、顧客にとっては分かってはいるけどたいして重要じゃない。だからみんな『苦痛じゃない』と答えたのだとは思わない?」
洋子:「え?」
美保:「前にも言ったけど、潜在的な苦痛というのは、言われてみるまでは思いもしなかったけど、気づいてしまったら絶対に取り除かないといてもたってもいられない苦痛のことを言うの。だからもし今回のインタビューで、洋子さんが価格や利便性について指摘したなら、聞かれた人は『それは重要な問題ね!』と思わずにはいられなくなってしまうはずよ。指摘されても顕在化しない程度の苦痛なら、ビジネスにするに値しない程度のものだと考えた方がいいわね」
洋子:「利便性や価格は重要ではないかもしれない......?」
美保:「そうね。例えばSNSを考えてみて。
サービスが始まる前は、誰も自分が撮った写真を世界中に知らしめたいなんて思ってなかったわ。でも一度それをやってしまうと、どこにいても、いつでも自分の写真をきれいに加工して、いいねをもらうための努力をしてしまう。知る前は気が付かなかったけど、気付いてしまったら解消しなくてはいられなくなる苦痛。これが『潜在的な苦痛』なの」
もちろん、利便性や価格は、誰にとっても気になるところよね。不便よりは便利な方がいいし、高いよりは安い方がいいと思う人は多いはず。だから、少しの苦痛ではある。でもその苦痛が5段階で1か2では、人に欲しいと思ってもらえるものにはならないわ。
やっぱり重要なのは、耐えがたくて仕方がない苦痛を解消すること。それを解決するものなら人は欲しいと思ってくれるわ」
洋子:「私が想定していた仮説は、たいした苦痛じゃなかった......」
美保:「洋子さんは、耐えがたい顧客の苦痛を発見する前に、たいした苦痛ではないかもしれない利便性と価格を重視したサービスをリリースして、1年が経った。
だから今回は同じミスを繰り返さないためにも、顧客の苦痛にしっかりとコミットしたサービスを出せるように、急いで答えを出さずに、よく検証して見極めなくてはいけないわ」
ダメ出しばかりではあったものの、美保が誰よりも真剣に自分のサービスのことを考えてくれているのが痛いほど伝わった。
このとき、洋子は注文すらしないまま話を始めていたことに気が付いた。アイスティーが来ると、口をつけずに、また話を続けた。
洋子:「でも、だったらなおさら顕在化したインテリアコーディネートに対する苦痛、つまり『現地を訪問して丁寧にコミュニケーションをしてもらいたい』という苦痛を解消することが必要だと思うんです。
そのためにはオフラインを土台として、必要なところだけオンラインを併用するハイブリッドがいいと思うんです」
美保:「う~ん......」
洋子:「美保さんは何が問題だと感じているんですか? これはインタビューを通して感じた『事実』なんです」
洋子は顧客の声を1日聞いただけで、しかも自分の『仮説証明』を交えた顧客インタビューの結果を見て、サービスを転換しようとしている。
でもその過ちを繰り返し伝えたところで、今の洋子には伝わらないと、美保は感じた。
美保:「何が問題か......。そうね。問題は2つあるわ。1つはさっきも話したように、創業期のミスを繰り返そうとしていること。もう1つは、洋子さんが新たに方向転換して踏み出そうとしている事業の問題よ」
美保は、洋子に質問をした。
美保「オフラインでお部屋を訪問して、丁寧なやりとりをして、提案はオンライン。家具は実際に店舗で見てもらって、納得して購入してもらい、施工をする——。これだけの工程と手間がかかるサービスをたくさんの顧客に届けるためには、どれだけのリソースが必要で、どのくらいの売上になるか、考えられている?」
洋子:「......」
美保:「洋子さんが当初考えていたmiltyはこれまでにないサービスだったし、オンラインだから予算もそこまでかからなかった。でも今考えているハイブリッド型のサービスは、そうではないし、すでに世の中にもたくさん存在するわ。あなたは、そんなありふれたサービスを作りたくて起業したの?」
洋子:「いいえ......」
美保:「じゃあどうして普通のサービスに落ち着こうとするの? あなたは一体何に焦っているの?」
洋子:「......」
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*この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。