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第7話:顧客の苦痛、課題発見「私はその瞬間を、この目でこの身体で確かに感じた」——小説で読む起業

この小説では、主人公の洋子が起業家として成長するさまを描きます。ストーリーはフィクションですが、起業家としての失敗や苦労、成功法則はすべて、起業や新規事業開発における実際の現場での体験、知見に基づいたものです。圧倒的にリアルで生々しい、洋子の起業家としての歩みを、共に見ていきましょう。

前話まではこちらから

第7話:顧客の苦痛、課題発見「私はその瞬間を、この目でこの身体で確かに感じた」——小説で読む起業

前話までのあらすじ
洋子は、オンライン上で完結するインテリアコーディネートサービスのアイデアで、miltyを創業した。潜在顧客へのインタビュー結果をもとにサービスを転換しようとする洋子。しかしアドバイザーの美保は焦る洋子にストップをかけた。

洋子

洋子は、社内の定例ミーティングの前に、先週の売上を確認していた。

先週の注文件数は、1週間で25件。平均単価がざっと1万円なので、売上はたった25万円。借り入れとエンジェル投資家から総額2000万円の調達をしていたが、残りのキャッシュは200万円を切ろうとしていた。

洋子自身の報酬はほぼ無給にしていたが、社員や業務委託のインテリアコーディネーターへの支払いがあり、毎月大きなマイナスが続いていた。このままいくと2ヶ月後には資金が尽きる。

洋子は美保に時間を取ってもらい、正直に不安を打ち明けた。

洋子:「もう限界が来ていると思います。でも新しい事業の方向性は見えず、正直どうしていいか分からないです」

美保

美保:「洋子さんはこれまで、インテリアコーディネートを希望する何人もの顧客に会ってきたのよね?」

洋子:「はい。『オンライン完結型』のサービスニーズはまだまだ見えてきていませんが、インテリアコーディネート自体を希望する人とは、たくさんお話ししてきました」

美保:「ということは、『インテリアコーディネート』は誰もが依頼するものではないけれど、1000人や1万人に1人、というほど少なくもないということよね。つまり、市場は決して小さくないのだから、そこに何ひとつ未解決の課題がないはずはないわ」

洋子:「私もそう思っていたのですが......」

美保:「インテリアコーディネート業界で、何かほかに顧客にとっての耐えがたい苦痛は考えられないかしら?」

洋子:「どうでしょう......もう私の思いつく限りでは......」

言いかけたところで、洋子は言葉を止めた。以前に、milty創業からのパートナーである咲に言われた言葉を思い出したのだ。

洋子はパソコンを立ち上げ、問い合わせの一覧を確認した。

洋子:「そういえば......本当に一部ですが、法人からの問い合わせがあるんです。民泊を運営している会社から、同じ物件でかなり多くのパターンのインテリアコーディネートを依頼いただいたことがありました」

miltyが通常手がける個人宅の場合でも、希望に近いコーディネートを複数パターン用意することはあった。しかしその法人顧客の場合、まったく違うテイストのコーディネート案を複数希望していた。その分、料金も高くなるので、通常はあまりみない依頼だった。

洋子は、以前に咲が、法人からの問い合わせがポツポツあるので、一度詳しくヒアリングしてみてはどうかと提案してくれていたことを思い出した。

milty 顧客対応責任者:咲

その時は、ターゲット顧客ではないので、深追いしなくていいと伝えていた。

美保:「洋子さん、それよ、その人! 苦痛があるからこそ、同じ部屋にもかかわらず、料金も何倍にもなる複数パターンの発注をしていたのかもしれない。そのお客さまに連絡をすることはできる?」

洋子:「あ、はい。昨日も発注をいただいたので、まさに今、発注内容について確認のやりとりをしているはずです。そこでインタビューのお願いを添えてみます」

美保:「そうね、そうしてみましょう。インタビューのお願いをお客さまにするときは、お客さまとして丁寧にお願いするのはもちろん大事。だけどそれ以上に、お客さまが今よりもっとファンになっていただけるとてもいい機会だということを覚えておいて。他でもない自分に意見を聞いてくれて、それがサービスに反映されたなら、確実にmiltyを大事にしてくれるようになるわ」

美保と別れた洋子は、歩きながら考えていた。どうしていつも冷静な美保が「それよ、その人!」と声を大にしたのだろう。何度も事業を立ち上げてきた美保の勘なのだろうか。

洋子は、民泊を運営する会社へのインタビューの段取りを決めるために、顧客対応を一手に担ってくれている咲に連絡した。

咲は、以前に自分の話に聞く耳を持たなかった洋子が、突然インタビューをしたいと言い出したことに少しとまどいを覚えていた。それでも、洋子から話を聞いていた美保の助言がきっかけなのだろうということは想像がついた。

咲がインタビューの依頼をしたところ、代表の織田さんが、オンラインでインタビューに応じてくれることになった。

民泊運営会社の代表:織田

洋子:「織田さん、初めまして。この度はインテリアコーディネートを依頼いただきありがとうございます。インタビューにも快く応じていただき大変感謝しています。織田さんのご意見をサービスに生かし、より満足いただけるものにしていきたいと考えておりますので、よろしくお願いします」

織田:「こんにちは。よろしくお願いします」

洋子:「御社には以前、1つのお部屋に対して10パターンほどのインテリアコーディネート案を発注いただきましたが、発注の経緯を伺ってもよろしいでしょうか?」

織田:「民泊ビジネスは、9割が内装で決まります。どういう内装にするのかによって、宿泊料金の設定も変わるので、内装には、皆さんが思っているよりも投資しているんです。

でも、その投資に見合うリターンがあるかは、実際にサイトに載せてみなければ分かりません。投資をして内装を整えても宿泊予約が伸び悩むことも少なくありません」

洋子:「そうなんですね」

織田:「見栄えがいい物件だと、最近ではSNSからダイレクトで予約が入ることも増えました。ですから、その内装を魅力的に見せる撮影も重要です。

立地やレイアウト、広さや調度品などももちろん大切ですが、同じ価格帯なら9割は内装と見せ方で決まるので、競争も激しさを増しています。

SNSによって顧客の目も肥えてきているので、投資額も上昇傾向にあり、正直利益を圧迫しています。

しかしいくら内装や撮影費に投資をかけても、顧客のニーズにうまくはまらないと、その物件自体が在庫になってしまいます。在庫リスク物件が増えると、経営もますます圧迫されてしまうので、頭を抱えています......」

美保:「なるほど。これまで投資対効果を高めるために、どのような対応をしてきましたか?」

織田:「まずは、予約が絶えない物件の内装や見せ方を分析しました。これは一定の効果がありましたが、競争も激しく、トレンドの移り変わりも早いので、対応するのが大変です」

咲:「弊社に複数パターンのコーディネートを発注いただいたのも、その内装や見せ方への投資に関連していらっしゃるのでしょうか?」

織田:「その通りです。一度内装と調度品をセットしてしまうと、一定期間は変えられません。もちろん厳密に言えばできますが、投資回収ができないままに変えてしまうと、そのまま投資損になります。

ですから、バーチャル上でインテリアコーディネートをして、内装イメージに対する顧客の反応を確認したいと思っていました。その反応が良かったコーディネートに絞って、実際の内装依頼や撮影ができれば、投資対効果を高められると考えているんです。

それで、バーチャル上でできる限りリアリティのあるコーディネートを、安く複数パターン依頼できるところを探して、御社のmiltyを見つけました。

実は大手のコーディネート会社や個人のインテリアコーディネータにも確認しましたが、1件ごとに時間がかかり、その分コストもかさむとのことでした。

御社のmiltyなら1回あたりのコーディネートが比較的リーズナブルで、かつ最短即日で提案いただけるのが助かります。同じ物件でも別々のコーディネーターに担当してもらえるので、まったくテイストの違うパターンを頼めるのも魅力的でした」

咲:「なるほど。内装への投資競争が激しい中で、miltyがコストパフォーマンスのよい問題解決の手段になれていたのですね」

織田が「SNSによって、顧客の目も肥えてきているので、投資額も上昇傾向にあり、正直利益を圧迫しています」と話した瞬間の表情を、洋子は見逃さなかった。画面越しではあったが、織田の顔は、確かに苦痛に歪んでいた。

それに、短い質問に対して、あふれるように答えが返ってきた。

以前に美保から言われたことを思い出していた。

“顧客は本当の苦痛に話が及ぶと、話があふれるもの。自分がその苦痛を取り除くためにどれほどの時間やお金を使っているのかを、いくらでも話してくれる”

のちに分かるが、この織田の苦痛は、洋子が初めて出会った「顧客の耐えがたい苦痛」であった。

感覚的にではあったが、洋子は初めて、耐えがたい苦痛とはどういうものなのかを、掴めた気がした。

2時間にも及んだ織田さんへのインタビューが終わった。

普段であれば、洋子はお礼に手土産を持参するのだが、オンラインだったので、織田の物件を1棟丸ごと無料でコーディネートをすると提案した。織田もありがたいと提案を受け入れた。

洋子:「美保さん、先日話した民泊の運営会社の方へインタビューしました。これまでのインタビューとはまるで違う反応でした。1つの質問に対して、とても詳しいお話を聞けて、こちらが何もしなくても会話が続きました」

miltyとして法人向けのマーケットに価値を提供できる可能性があることにも気づけました」

美保:「そう。それは良かったわね。顧客が抱えている耐えがたい苦痛の正体を掴むことはできた?」

洋子:「はい。あんな風に、顔を歪めて、言葉があふれる姿は、これまでインタビューしてきたお客さまの余裕のある様子とは明らかに違いました」

洋子は、先日から気になっていたことを美保に聞いてみた。

洋子:「ところで、美保さん。この間、私が民泊の運営会社からの発注があると話したとき、美保さんは『洋子さん、それよその人!』と言いましたよね。なぜこの会社が潜在顧客になり得ると思ったんですか?」

美保:「人は本当に取り除きたい苦痛があるとき、話があふれるものだと言ったわよね。それにも通じるけれど、1つの部屋のデザインを何パターンも発注して来る時点で、何かに強く執着している様子が垣間見えたからよ。これは経験から来る感覚ね」

洋子:「なるほど」

美保:「さて、洋子さん。今回の織田さんへのインタビューで、民泊業界にmiltyの潜在顧客がいる可能性があるとわかったわね。では次のステップでは何をすべきだと思う?」

洋子:「まず、検証しないで事業を転換すると判断しないこと。ですよね?」

美保が口を酸っぱくして伝えてきたことが、少し身についてきたようだった。

美保:「その通りね。もう1つやるべきことは何かしら?」

洋子:「わずかな顧客インタビューだけで、判断を早まらないこと、ですか?」

美保:「その通り。次にやるべきは、織田さんが特別な存在なのか、一般的な存在なのかを見極めること。

織田さん以外の民泊会社は、織田さんほど同じような課題を抱えていないかもしれない。

だから今回のインタビューで得た情報は一旦横にしまって、またゼロから時間をかけてインタビューをしていく必要があるわ。

そして、織田さんが特別ではなく一般的な存在だとわかったら、ようやくサービスの見直しよ。新しく発見した顧客の苦痛に対して、もっと効率的に、もっと効果的に苦痛を取り除く解決策に仕上げていかないとね」

洋子は美保の話にうなずいた。ようやく光が見えた気がした。

その日の晩、洋子は彼氏の良幸に電話をした。

洋子:「今日インタビューをして、新たな潜在顧客の可能性が見えてきたんだ」

良幸

良幸:「そうなんだ。よかったじゃないか!」

洋子:「美保さんに止められなかったら、私はまた、よく検証もしないままサービスを転換するところだった」

良幸:「そうだね。この間話した感じだと、すぐにでもサービスの方向転換を考えているようだったから、少し心配していたんだ。でも、今日の話を聞いて安心したよ」

洋子:「ありがとう!」

第7話のポイント
顧客は本当の苦痛に話が及ぶと、話があふれる。自分がその苦痛を取り除くためにどれほどの時間やお金を使っているのかを、いくらでも話してくれる
・顧客が抱える耐えがたい苦痛が業界での普遍的な問題点なのか、レアケースなのかを検証する必要がある

続き、第8話「潜在顧客が見えてきた」はこちら>

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*この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。