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うちの母の話

生きていく上で、楽しいこともあれば悩ましいこともたくさん。そんな女性の悩みを、専門家に質問していくYoutubeチャンネル「GOAL IN TV」。番組を盛り上げてくれている出演者の一人、マルチタレント・わさびさんのコラムです!自分の人生を楽しく生きるためさまざまなことに挑戦する彼女の生き方についての連載。

数日前、母の7回忌がありました。

母は私にとって、母というよりも“年上の親友”という感じでした。私の33年間の人生の濃密な部分は、ほとんどここ6〜7年に凝縮されているというのに、亡くなってから6年間も“親友”に色んな報告ができていないのかと思うとやはりとても歯がゆいです。

うちの母はめちゃくちゃにパワフルな女でした。

欲しい服やおもちゃがあれば「なぜそれが欲しいのかをプレゼンしてみて」と言われて育ちました。プレゼンで両親を納得させることができれば、それに見合った資金を出してもらえる。“マネーの虎”方式です。

何度かの「ノーマネーでフィニッシュ」を経て、私は中学1年生で携帯電話を手に入れました。虎を口説き落としたのです。

私が8歳の時にWindows95搭載のパソコンが発売されたのですが、発売日当日、2歳下の弟と一緒に秋葉原の電気屋さんに全く意味のわからないまま並ばされて、嬉々とする母の横顔を見ていた覚えがあります。

家庭用パソコンなんてほとんど普及していなかった1995年当時、発売日に並ぶ女性(しかも子連れ)は珍しく、かなり変な目で見られていたと思います。

パソコンを買い、配送にすると一週間ほどかかるとレジで説明を受け、即日手に入れたかった母は近くでカートを購入。私は母を手伝い、とんでもなく重いパソコンの乗ったカートを下から持ち上げながらJR総武線の階段を上がりました。

その日から、当時30万円以上するパソコンが母のデスクに鎮座。私や弟はそれで絵を描いたりゲームをしたり、パソコンを使うことが当たり前の生活を送らせてもらいました。

そして一般家庭にパソコンが普及し始めた頃には、我が家には一人一台のパソコンが用意されていました。33歳になった私は、パソコンを使うような仕事しかしていません。弟はシステムエンジニアになりました。母は預言者でしょうか。

今考えると、母は私たちに、仕事の進め方を教えてくれていたのだなと思います。

物事を応用すれば何だって作れることを知ったし、アルバイト先などでも「こういう理由でこの備品が欲しい」と、めちゃくちゃ偉い人に向かって理路整然と話せる大人になりました。(時にそれは鬱陶しがられるのですが。鬱陶しがられない方法は、教えてもらえませんでした。)

私の父は公務員だったので、父のおかげで生活は安定していたと思いますが、母は毎日500円のブラックデニムと800円のロックなニットを着て、私が「これがやりたい」「これが欲しい」ということは何だって資金を出し、手を出させてくれました。

自らも朝4時に起きて自分の時間を捻出し、新聞を隅から隅まで読んだ後に言語の勉強を始め、独学で英語・韓国語・フランス語の日常会話をマスターしていました。すごくかっこいいです。

そんな母が、57歳で亡くなりました。「春になったら仲間と山にキャンプに行く」と言いながら亡くなりました。最後までパワフルなことを言いながら亡くなりました。

最近弟が「英語で本を読みたくて、英語を勉強している」と言っていて、ああ私たちには両親の血が流れているんだなと、嬉しく思いました。

私は私で両親に似て、旅をしたり新しいものを見ることがとても好きです。そして多分、母に負けず劣らずパワフルな女です。

両親が与えてくれたもの、母が教えてくれたことをめいっぱい使いながら、母の分まで生きることを楽しもうと思います。
ママ、本当にありがとうね。

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