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100日後に死ぬワニ

こんにちは。
明日死ぬつもりで生きているでおなじみのごうちです。

自己紹介はこちらから。

Twitter、instagramで話題の「100日後に死ぬワニ」。
あまりにも話題だったので、僕も毎日追いかけておりました。
(作者:きくちゆうきさんのTwitter)

オチのない4コマ漫画が100話分。
これだけ聞くと、駄作のように思えます。
しかし、「100日後に死ぬ」という、我々にだけ知らされた設定があることで、ワニくんの過ごしている一日一日がドラマになっています。

まあそんなエンターテイメントとしての完成度の話よりも、この記事では、作品を通して感じた個人的な感想、日常に活かせる教訓を述べていこうと思います。


1. 時間は総額のわからない貯金

「時間は資産だ。」
「成功している人ほど時間を大切にする。」
「時間を買うという選択肢も考慮にいれろ。」

自己啓発本なんかを読むと、結構な確率で「時間は大切だ」、というような旨の主張が書いてあります。
たしかにその通り、それ自体は同意します。
この資本主義社会においても、時として、時間はお金以上に価値あるものになり得ます。

しかし、本当はもう一歩踏み込んで考えるべきなんです。

時間が資産だというならば。
計画的に使うことを考えたら、第一歩として、総額でいくらの資産なのか、それを把握する必要があります。
だって、財布の中に1万円あるのか、1000円あるのかで、目の前のおにぎり一つ買うのにも判断が変わってくるじゃないですか。
だから、正確な判断をするためには、第一段階として、自分が持っている時間の量を把握する必要があるんです。

ここまで読んで、皆さん、どうでしょう?

いや、無理じゃね?

と思った方、正解です。
無理なんです。

超常的な予知能力でもない限り、自分がいつ死ぬのかなんてことは、誰も知りようがない。
自分が一体どれだけの時間的貯金を持っているのか、誰もわからない。

自己啓発本では「成功するまでの時間的猶予がある」前提で話が進んでいきます。
でもそんなことわからないじゃないですか。
極端な話、その本を読んでいる間に、時間の貯金が尽きてしまうかもしれない。

だから、本当に大切なのは、

次の瞬間に時間貯金が底をつくかもしれないという前提で時間を大切にすること

です。
これは以前別の記事でも触れたことですが、とても大切な意識なので、繰り返しお伝えします。

ワニくんがそんなことを考えて生きていたかどうかと言われるとそんなことはないでしょうが、多くの方が毎日を大切にしようと感じたのではないでしょうか。
「終わり」を意識することで、日々の過ごし方が変わります。
ワニくんに終わりがくることを知った我々が、彼の日常に何かを感じることができたように、自分たちの毎日にも何かしら意味を感じることが出来たら、と思います。


2. 変わらないものなどない

1に関連することですが、1の思考をするにあたって非常に重要な考え方なので、別の項目としてご紹介します。

僕は基本的に無宗教の人間ですが、初期仏教をフィロソフィーとして生きています。
その中で一つ、大事な考え方として、「無常」という概念があります。

「常は無い」、即ち「無常」です。
当たり前のように感じる忙しない毎日も、今住んでいる家も、友人や家族との関係も、この世にあるあらゆる物体、思想、ルールなど、無形有形に関係なく、刻一刻と変化しています。

あなたの気持ちでさえ、変わります。
1秒前のあなたと、今のあなたが、寸分違わず同じものを見て、同じ動きをして、同じことを考えているかというと、そんなことはないですよね。
1秒で「1」変わるものが、1時間でいくつ変わるでしょう。
1ヶ月では?
この変化を受け入れて生きていくために必要なのが、無常という考え方です。

「死」というのも変化の一つです。
あらゆる変化を受け入れて生きることが出来ていれば、極論、死でさえも受け入れることが出来ます。
しかしそれはこの世のあらゆる欲望から解脱し、悟りを開いた仏教徒が辿り着ける境地なので、我々俗世界の人間がおいそれと敷居をまたぐことは出来ないでしょう。
それに個人的には、欲望のない生活なんていうのも、味気のないものだと思います。

少し話が逸れましたが、「誰かの死」という大きな出来事でさえ、一つの変化として世界に溢れているのだということを強く感じました。
きっとワニくんの死で、親友のネズミくんや恋人の先輩はひどく落ち込んだことでしょう。
そんな出来事が、この世界には溢れています。
もしかしたら、明日自分に起きるかもしれない。
そういった変化がある意味で「当たり前」だという意識を持つことが、生きていく上で大切なのです。

その意識があるからこそ、目の前の出来事一つ一つを大切にできます。
次の瞬間には、もう存在しないのかもしれないのですから。


3. 情けは人のためならず

有名なことわざですね。
ですがこの言葉に込められた本当の意味を理解している人は、そんなにいないのかもしれません。

他人を大切にして生きることができる人は、他人にも大切にされる。
その結果、自分が困っているときには誰かしらが利害に関係なく助けてくれる。
なにより、「誰かのためになった」という自己肯定感が、その人の人生を好転させていく。
自分の下す判断一つ一つが、間違っていないと思えるようになる。
だから、誰かに情けをかけるのはその人のためではなく、自分のためだ。

ざっくりと説明するとこのようになります。

劇中で、ワニくんは他人のために時間やエネルギーを使うことを厭いませんでした。
それが、彼が生きる上で大切にしていることなのだと思います。
最終的には、そんな生き方が原因で彼は命を落としてしまうのですが、きっと彼は後悔していないことでしょう。

最後の瞬間に車に轢かれそうなヒヨコを助けて死ぬ。
自分が被る不利益など考えず、咄嗟に身を犠牲にすることができるのは、彼が自分の人生や考え方に自信を持って生きていた証拠だと思います。

世間で言われるような成功はしていないかもしれませんが、多くの友人に愛され、他人のために死んでいく。
立派な生き様です。
彼と関わった人間(劇中に出てくるのは動物ですが)は、彼という人物(動物)を死ぬまで忘れないでしょう。

ワニくんは、僕のようにごちゃごちゃと考えることなく、無意識で他人を大切にする生き方をしていました。
生まれながらにヒーローの資質を持っていたのでしょう。

他人の幸せのために自らの身を投げ出す。
見返りなど求めず、それ自体を喜びとして生きる。
そんな生き方をしたいものです。


4. まとめ 〜ワニくんは幸せだったのか?〜

いろいろと考えを述べてきましたが、結局一番大切なのは、ここを考えることではないでしょうか。

ワニくんは幸せだったのか。

僕は幸せだったと思います。
自分の哲学に従った上での死だったからです。

特別時間を大切にしていたわけではないし、死を意識した生活をしていたわけではありませんが、彼には彼の哲学があり、最後の最後までそれに準じた人生だったように思います。

僕にとって、終わりを意識する生き方が信条であるように、彼にとっては人のために生きることが信条だったのでしょう。

ラストシーンで散りゆく桜に、彼の儚くも美しい人生が重なりました。
過去よりも、未来よりも、今その瞬間咲き誇ることを大切に生きた彼の人生は、さながら桜のようで。
自分が大切だと思うものを大切に生き、その結果多くの人に愛された彼の人生は、やはり幸せそのものだったのではないかと思います。

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