稼ぐためだけに行くオーストラリアワーキングホリデー2
パースで放浪旅行とは全く違うシステムに面をくらいグロッキーになった僕は、早々にメルボルンへと移動して来ていた。
オーストラリアのワーキングホリデーでは、働く前にいくつかのやらなければならない事務処理がある。メルボルンに着くと早速その手続きにかかるのだが。。。
メルボルン
今まで国際線に乗って来たので、ジェットスターの国内線での移動は簡単に感じた。手荷物チェックや入国出国審査が無いだけでこんなにもストレスレスなのか。
空港から市内へはバスでの移動となる。赤い二台のバスが連結されたバスに揺られる事30分。サザンクロス駅へと到着する。
サザンクロス駅は長距離バス、V-lineの発着駅で建物は近代的な上に巨大。
外へ出ると高層ビルが立ち並ぶオフィス街となっていて、その場違い感に少し怖じける程だった。こちらは半年以上の旅で服もバックパックもボロボロな上にインドのずた袋を抱えていたからだ。
出勤時間もあり、スーツ姿の人やお洒落な格好のオージーの隣をボロボロな姿で歩きながらパースで予約していたKingstreetBackPackersへと徒歩で移動する。
もう今回はパースの時の様な失敗はしない様、事前に一週間分の予約をし、更に歩かなくてもいい様にサザンクロス駅近くをチョイスしておいた。
アジア放浪時なんて宿から名刺持ってやって来るのに、正に真逆。
でもこれがバックパッカーとワーホリの決定的な違いなんだと思う。
ワーホリとは生活なのだ。
この違いに耐えきれず帰国していく旅人も何人か居た。
さて、バッパーの中はと言うと一番安い部屋が28人ドミトリー(二段ベッドがずらりと並ぶ相部屋)で、入った段階で部屋干しの匂いと汗の匂いで充満した男臭さ100%のお部屋。
キッチンは綺麗だったが、そこはオースのバッパー。食後は地獄絵図。
朝ごはんにパンとシリアル、牛乳付きが有難い都市部の代表的なバッパーと言った感じだった。
さて、この一週間でやらなければならない事を順番に説明していこうと思う。
TFN取得
オーストラリアで働く上でビザと同じくらい重要なのがこのタックスファイルナンバー略してTFN。
税金の管理をこの個人ナンバーで統一して管理している為、就職する時に必ず提示しないといけない番号で、絶対に忘れてはいけない番号になる。
申請方法はインターネットでの申し込みか、ATOオフィスへ直接行っても申請が可能。
その際ワーホリのビザのナンバーと、住所(バッパーの住所でも可能)が必要だった気がするが、日本語のサイトがいくらでも出て来るのでそちらでチェックしてもらいたい。
ただ、申請住所に書類が届く為、移動予定のある人は申請住所は慎重に。
口座開設
給料の支払いもそうだが、日本のクレジットから豪ドルを引き出すと手数料が毎回二重に取られて勿体無い。
入れるお金も無かったけど。
有名な銀行が何社か有るのだけど、結局雇い主によって銀行が違ったりするので、最終的には3社の銀行口座とクレジットカード(デビッド)を開設した。
確かメルボルンで行ったのがANZ。
青いロゴが目印でオーストラリア国内はもちろん、NZでもそのまま使える銀行で、僕がオーストラリアで一番お世話になったカードになる。
先ずは銀行へ行き、バンクアカウントを作りたいと説明すると奥の個室へと案内されるので、ここでも住所、パスポートが必要。
銀行カードの他にエフトポスを付けておくと非常に便利だった。
エフトポスとは口座残高から直接引き落としされるサービスで、オーストラリア国内での流通がしっかりとしている為お財布要らずで買い物が出来る。
特にスーパーマーケットなどのレジではエフトポスでの支払いが便利。
口座開設は専門的な英語が飛び交って全く分からないけど、なんとなくで行っても作れるので早めに作っとくといい。確か10ドルだけ初めに入金した気がする。なけなしのね。
カードも一週間程度で申請住所に届くのでこの2つの申請は同時に行い、同住所へ届く様にしたら効率がいいのでオススメ。
ケータイ電話
今では日本のケータイでも海外で使えると思うが、当時はアプリの電話など存在しなかったので、プリペードケータイが主流だった。
ただ、スーパーなどで簡単に契約ができたので、30ドルもあればその場でゲットできてしまう。
出会った人と仕事の情報の交換や、コントラクター(仕事の際雇い主との間に入る管理役の人)に直接電話をかけるなど、仕事探しの上で必ず必要になるアイテムなので即購入した。
今ネット社会になってるのでどうなっているか何とも言えないが、あって損はないと思うので購入をお勧めする。
メルボルン市内
この3つの申請を行ってからは徐々にオーストラリアに慣れて来て、観光も出来る様になって行った。
メルボルンには見所が多く、徒歩圏内で行ける場所も数多くある。
サザンクロス駅周辺はオフィス街だったが、エリザベスストリート周辺はレンガ造りのイギリス様式な建物が並んでいて、おしゃれな街並みになっている。
まず通りの名前が王族に因んでる時点でお洒落。
無かったのはお金だけ。
出かけては帰ってきてバッパーで飯を作って食べる日々。
それでもバスキング(路上パフォーマンス)や町並みなど楽しめることがたくさんあった。
強いて言えば目の前のスタジアムで錦織圭選手が全豪オープンをやってるのに見れなかった事が心残りだったな。
バッパーでは常に仕事の情報を収集していたし、実際働いていた人に話しを聞いたりしていたが、直接仕事に繋がる事は無かった。そこが都市部のバッパーの難しい所で、大体都市部と言えば時給10ドルのジャパレスでコキ使われる仕事しか無い。
オージーの最低時給が確か25ドルだったか?ふざけるな。
もっと情報が欲しい。そして楽しみたい。
その2つを一気に解決してくれるのが野外RAVEだった。
それは何故か?
当時7000人以上の規模を誇っていたRainbowsarpentFestivalは多くの日本人が訪れていて、しかも皆ワーホリ歴が長いので情報を多く持っていたからだ。
ただ、あくまで情報であって、確実な物では無かったが。
仕事探しの鉄則
仕事探しで一番大事なのがこのコネだ。
確かな情報と確実な雇用。
この2つが揃わない限り、都市又は街を移動してはならない。
後に僕も大失敗する。
これは鉄則で、移動費+仕事を貰うまでの滞在費はかなりの負担となる上、もしその街で仕事が無かった場合、また同じ事を繰り返さなければならない。
これが続くとかなりキツイ。
オーストラリアのバッパーで最低でも当時1週間140ドル程度が宿代に消え、自炊したとしても食費が100ドル近くだとして、週に250ドルが消えていく計算になる。
そんな事を闇雲にやっていたら速攻で破産する。
すでに友達が働いていて、雇用主に聞いてもらい確実に働ける手はずを取ってもらう。これが100%間違いがない。
なので情報が命なのだ。
その情報収拾できる最高の場所がイベント会場だった。
その為にケータイ電話もゲットし、きちんと配れる様にしておいた。先行投資だと思って。
RainbowSerpentへの準備
アウトドアショップへ行って一番安いテントとバーナー、鍋を100ドル以内で揃えたら準備は万端。
そして残高も600ドルになった。
大丈夫。何とかなる。
5日後またKIngstreetBPに戻って来て、諸々の書類を受け取るので宿泊予約をし、更にいならい荷物を預け身軽な状態でオーストラリアで初となる野外RAVEへと向かう。
ただバッパーで書類が来るまで過ごしてもどうしようもないし。
チケットは既に来る前に購入しておいたので交通費、滞在費のみだ。
楽しんじゃおう。
※ RainbowserpentFestivalの記事は、海外Raveレポートの方にアップしています。
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