大学に行く
4月から、大学に行くことにした。
学生として写真を教わるために、である。
前々から、悩んでいた。
わたしの写真は、独学である。
カメラを買って、本やネットで学んで、実際に撮ってみる。その繰り返し。
不満はない。必要なことは学べている。
でも、それだけでいいの?という思いが、頭の片隅にこびりついて離れなかった。
大学や専門学校では、もっと専門的なことが学べるんじゃないだろうか。
俳句漫画『ほしとんで』の「やし芸」こと八島大学芸術学部のような環境に憧れもあった。
学校法人瓜生山学園 京都芸術大学 通信教育部美術科写真コース。
それが、進学先である。
進学は、何年か前から、考えていた。
1日体験入学イベントが行われた際に、京都のキャンパスに行ってみた。
「藝術学舎」と呼ばれる、社会人向けの単発の講座も受講してみた。
楽しかった。でも、実際に通年で受講するとなると、通信教育部であっても、仕事との両立は難しいかも、という印象を受けた。
写真コースにはスクーリングがある。年に何回か、土日開講というのがセールスポイントになっている。
そして、当時のわたしの仕事には、土曜日出勤が時々あった。
仕事と関係ない勉強に、そんなに時間とお金をつぎこめるのか?という思いもあった。
仕事を辞めた今、時間はたっぷりある。
退職金はまだ残っている。年間の学費は、ちょっとお高めのカメラを1台か2台買えるくらいの金額。十分払える金額である。
今さら学士号は要らない。既に持っている。30年以上前に卒業した大学でもらった。
でも、行くからには卒業したいという思いもある。
入学試験はない。3年次編入学という形をとれば、一般教養科目は免除される。卒業まで最短2年。7年まで籍をおけるらしい。
卒業してどうする、というあてはない。
大学で写真を学んだからといって、プロの写真家になれるわけではない。
再就職に役立つとも思えない。
新型コロナウイルス禍のせいで、漫画のようなキャンパスライフは望めないだろう。
ただ、学びたいのだ。
写真の撮り方や見方を学びに行きたいのだ。
30年以上働いた末の、ささやかな贅沢。誰にも迷惑はかけない。何が悪い?
親にも了解は得た。「女に大学教育は要らない」などという親でなくてよかった、と改めて思う。
☆……☆……☆
最大の問題は、わたしの美術の才能にあった。
わたしは、絵も工作も無茶苦茶下手である。
謙遜ではない。
学校で、図画工作や美術の授業は苦痛だった。課題を提出するのがやっと。成績はペーパーテストが頼り。いつも低空飛行であった。
手先が不器用なせいなのかと思っていた。でも、大人になってPCを使うようになっても、わたしの絵は幼稚園児レベルのままだった。
絵画の展覧会に行くのは好きだ。
美しいものは美しいと思える。
でも、それを自分の手で形にすることが、どうしてもできないのである。
絵心といわれるものが、根本的に欠けているようなのだ。
それでも、写真を撮ることはできる。
そんな自分を、果たして、美術系の大学は受け入れてくれるのだろうか?
必修科目に、たとえば、デッサンをするような科目があったりはしないだろうか?
恥をしのんで、大学の通信教育部入学課に問い合わせてみた。
すぐに返事がきた。
「写真コースにおいて、必修科目の中に『絵を描くこと』は含んでおりません。
今後、必修科目として『絵を描く科目』が設けられる可能性は低いのではないかと思われます。」
……安心した。大きなため息が出た。
☆……☆……☆
2021年度の卒業・修了制作展があったので、先日、行ってみた。
そう、美術系の大学では、卒業制作が必修科目になっているのだ。
刺激的な体験だった。
瓜生山の山腹にはりつくように、各校舎が建てられている。
一番手前の校舎に行くにも、バス通りから長い長い階段を登っていかなければならない。
登りながら、思った。2年後、この階段の上から、どんな景色が見えるのだろうか。その時、わたしの写真は、どうなっているのだろうか。
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