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狭い世界で生きる

小学5年生と6年生の夏休みインドに一ヶ月半滞在した

自分の中の当たり前が壊れ、その国は自分に「知らなかった」の連続を与え、この世界の空の高さに初めて気づいた。

自分がこんなに深い井の中にいたということを。

高校三年生になった今、この時の経験の感情がある日突然湧き溢れた。それと同時に今だったらこの時の衝撃を行動に変えられると思った。

そうだ。ドキュメンタリーを作ろう。

自分たちはある一つの国に生まれて、そこで育って、その環境が当たり前に感じて、いつしか「当たり前」に感謝ができなくなっていく。

異例なことにコロナウィルスによる外出自粛で、当たり前の日々を送れることに対する感謝を再認識する機会が今、来ている。

自分がドキュメンタリー制作を通して伝えたい一つのことであるのは確か。しかし、一番の目的は他のところにある。

「狭い世界を広げる」

これが自分のドキュメンタリー作品のテーマ。あの時の感情を作品に乗せたい。

「なんで今まで自分の国が普通だと決めつけていたのか。」 
「自分がいたのは世界のほんの一部だったんだ。」

それ以上に、
「人ってこんなにも温かいのか。」

インド人の温かさがとても印象的だった。日本は良くも悪くも人の他人の温かさを日常で感じ取る機会は少ない中で、インド人の温かさは自分の世界に一つの色を加えてくれた出来事だった。

自分たちが生きていく中で知れる世界はほんの一部でとても狭く、ほとんどを知ることなく死んでしまうと思う。

自分はドキュメンタリー制作を通して、世界の広さ・「当たり前じゃないもの」を感じて欲しい。そして人の温かさを知ってほしい。もちろん綺麗な景色とかの基本なものも楽しでほしい。

そんな想いを持ちながら、同じ想いを持つ友達とカメラを持ってインドに約6年振りに行って最初の作品を作ろうと思う。

もちろん、今の情勢が落ち着いたら。