芝豪(小説)

北海道生まれ。金沢大学法文学部卒業。1977年から同人誌「海」にて創作活動開始。199…

芝豪(小説)

北海道生まれ。金沢大学法文学部卒業。1977年から同人誌「海」にて創作活動開始。1994年に『士魂の海』(海越出版社)でデビュー。 主な著書 隗より始めよ(祥伝社) 小説王陽明 上下(明徳出版社) 天命 朝敵となるも誠を捨てず(講談社) 朝鮮戦争上下(講談社文庫)ほか

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  • 君何処にか去る

    小説「君何処にか去る」

  • 【エッセー】回想暫し

    小説の合間に公開するエッセー集

  • 「北匈奴の軌跡 草原の疾風」後編

    「北匈奴の軌跡 草原の疾風」の第六章から第九章をマガジン価格で有償公開しています。(更新中)

  • 「北匈奴の軌跡 草原の疾風」前編

    「北匈奴の軌跡 草原の疾風」の第一章から第五章を無料公開しています。(更新中)

最近の記事

君何処にか去る 第四章(2)

四    道友は、新聞に出たS教授の顔写真をとくと見た。白髪、額の広い聡明そうな顔つきである。 「人は見かけによらぬものだな。立派な顔立ちをしている。M子君にとっては、タイミングのいいやっこさんの辞職だった。さぞかし歓迎したことだろう」 「ほんにようございました。でも、まさか、無徳さんがS教授を辞職に追い込んだのではないでしょうね」 「いくら無徳君でも、そこまでの力はないだろう。S教授は無茶をやりすぎて責任を取らざるを得なくなったのではないか。大学側は、S教授の突然の辞表を当

    • 君何処にか去る 第四章(1)

      第四章 歳月は流水の如く 一  一週のうち、金曜日と土曜日が喜多川道友の指定した稽古日である。朝八時から晩八時まで、門戸を開いて弟子の訪れを待つ。おおむね学生は金曜日、社会人の弟子は土曜日に通ってくる。  学生たちは三々五々やって来ては順番待ちする。たいがいの者は、囲碁将棋で時間を潰す。このときを狙って、隣家の柏木幾三が訪れ、喜び勇んで参戦する。学生に一人だけ強いのがいて幾三を悔しがらせる。昨今、弟子たちのなかには数人の女子学生が交じる。いずれも熱心で、休むことがない。道

      • 【エッセー】回想暫し 勢州桑名

        一    大学卒業後、愛知県の印刷会社に勤めた。札幌、大阪、金沢に住んできた私にとって、愛知県は初めての地であった。親類縁者、友人知人等、知る人は一人もいなかった。その後、三重県の役所に転職した。同じく初めての地であり、ここもまた知る人は一人もいなかった。大阪で高校時代を過ごしたので、遠くにやって来たという感慨はなかったが、何もかもが初ではあった。  三重県での周りの同僚を見るとたいがいが長男で、東京や大阪、京都、名古屋等の大学に行き、卒業後、就職のため親元に戻ったという例が

        • 君何処にか去る 第三章(2)

          四    柏木幾三によると、水道屋の親父は出水の因を突きとめかねて、  ──無徳君を呼んできてくれ。  と、三人のなかで一番若い工事人に命じた。その若者が軽トラで飛び出していき、ものの十五分も経たないうちに戻ってきた。無徳なる人物が同乗していた。異なる工事現場で仕事をしていたのであろう。作業服が泥で汚れていた。  幾三は、無徳が若いので驚いた。まだ三十歳にも達していない感じで、呼びにいった若者と二、三歳しか違わなさそうであった。痩せて小柄な躰つきは場違いなほどである。幾三は、

        君何処にか去る 第四章(2)

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        • 君何処にか去る
          8本
        • 【エッセー】回想暫し
          22本
        • 「北匈奴の軌跡 草原の疾風」後編
          11本
          ¥750
        • 「北匈奴の軌跡 草原の疾風」前編
          11本

        記事

          君何処にか去る 第三章(1)

            第三章 出会い         一    喜多川道友は古稀を迎えた。道友の父母は、七男三女の子宝に恵まれたが、二男一女を乳児期に失ったゆえ、幼いころから病気ばかりしていた道友が育つかどうかを案じた。  両親の不安をよそに、虚弱な道友は生き延びた。旧制中学時代に尺八に凝ったことが、道友の病弱な体質を変えたようであった。起床から就寝まで、尺八を手放さなかった時期が続いた。たえず深呼吸しているのと同じことゆえ、肺やら内臓やらが強くなったものらしい。道友は、いつしか頭痛や腹痛、

          君何処にか去る 第三章(1)

          【エッセー】回想暫し 昭和の妖怪(3)下

          七    国民は真底、憤った。五月十九日から二十日にかけて、岸政権の反動的体質を間近に見て、安保反対国民運動は安保闘争へと燃え盛った。安保反対ばかりでなく、岸を倒せという岸政権打倒、岸内閣退陣の声がひときわ大きくなった。  この日以降、新安保が自然承認される六月十九日まで、連日、国会を取り囲むデモばかりでなく、全国いたるところで国民による安保闘争が展開された。  二十日、国民会議の諸団体が全国いっせいに抗議行動。雨の中を国会に一〇万人の請願デモ。全学連主流派(七千人)の一部が

          【エッセー】回想暫し 昭和の妖怪(3)下

          君何処にか去る 第二章(2)

          四    沈黙の時がしばらく流れた。俊雄は会うことのなかった喜多川道朋を想い、無明は一度だけ接した道朋を思うのか放心している。 「人は何処より来たり、何処にか去る。乞う尊意」  ややあって、無明がいきなり禅問答を仕掛けてきた。 「無明さん、わたしはその類の問答は嫌いだ」 「作麼生か、道え」  無明は容赦しない。 「無明さん、おたくこそ作麼生か、道え」  俊雄は、無明の問いでもって斬り返す。 「作麼生か、道え」  無明は追及を緩めない。 「莫妄想」  俊雄は、何かの本で読んだこ

          君何処にか去る 第二章(2)

          君何処にか去る 第二章(1)

            第二章 瞋恚 一  俊雄は、万化無明が二つのコップに酒を注ぐのを酔眼で見た。 (一升瓶がとうとう空になった)  俊雄は、無明の四分の一ほどしか呑んでいない。にもかかわらず、その酔い方は無明の三倍、否、それ以上である。 「わたしは酔った。おたくは強いな」  俊雄は立て続けに大きな欠伸をした。 「眠くなったか。ここで一眠りしてもらってかまわぬが、おたくの用事はどうする。あとにするか」  無明は、俊雄の訪問の目的を忘れていなかった。 「おたくの都合がよければ、一眠りのあとに

          君何処にか去る 第二章(1)

          君何処にか去る 第一章(2)

          四    ありがたいことに、無明は酒が入っても乱れなかった。口の利き方は相変わらずであった。 「六〇年安保のときには、どこにいた」 「名古屋だ。生まれてから小中高に大学、勤め先、みな名古屋だ。この齢になるまで、住まいはあれこれ移ったが、名古屋から出たことはない」 「儂とは正反対だな。儂はいろんなところへ流れた。おたくからすれば、儂の一所不住が不可思議だろう。儂からすれば、おたくの定住が不可思議だ」  無明は、こちらのコップに酒を注ぎたした。俊雄は反論も問いも控えた。目の前の男

          君何処にか去る 第一章(2)

          君何処にか去る 第一章(1)

          第一章 函館の古刹         一    唄口の形状からして、琴古流の尺八であることは間違いない。俊雄はその尺八を翳し、外も内部もじっくり検めた。自分の尺八よりもやや重く、黒光りを放つ。見るからに風格があった。 「これだけ艶が出ているとなると、明治期からのものかな。逸品だ」  大いに気に入った。俊雄の声の調子にそれが現われた。 「もっと前からのものと聞いております」  仙閣堂楽器店の主人は、かすかに笑みを見せて答えた。愛想笑いをする人ではない。約束を果たして、ほっとして

          君何処にか去る 第一章(1)

          【エッセー】回想暫し 昭和の妖怪(3)中

          四    一九五八年五月に行なわれた衆議院選挙の結果は、岸を喜ばせた。自民党は二十から三十の議席を失うだろうと予想されていたにもかかわらず、蓋を開ければ、二百八十七議席を獲得。社会党は百六十六議席。いわゆる五五年体制開始後のはじめての総選挙で、勝利の女神は自民党に微笑んだ。  されど、米国政府の資金援助があったからには、その結果は当然とも言える。投票率七六・九九パーセントというのは、驚異的な数字ではあった。  政権運営に自信を持った岸は、安保改定の審議、批准を円滑に運ぶため、

          【エッセー】回想暫し 昭和の妖怪(3)中

          【エッセー】回想暫し 昭和の妖怪(3)上

          一    一九五七年六月十六日、岸は羽田から訪米の途に就いた。日本の新首相は、できるだけ速やかにワシントン詣でをし、自身を売り込むとともに米国の意向を押し戴く。  人によっては、中国古代王朝にたとえて、朝貢なぞと自虐的な言の葉を用いる。帰国した首相は、例外なく米国に対して借りてきた猫のようにおとなしくなる。米国の皇帝とは、それほど威厳に満ちた存在なのである。  岸は一九五五年八月、重光外相とともに臨んだダレス国務長官との会談で、重光がまともに相手をしてもらえなかったあの悪夢の

          【エッセー】回想暫し 昭和の妖怪(3)上

          【エッセー】回想暫し 18 昭和の妖怪(2)

          一  岸は、戦犯容疑者として収監された翌年早々、公職追放の処分を受け、獄窓を出ても、いまだ公職追放の身であったゆえ、政治的な自由を完全に回復したわけではなかった。同処分の解かれるのは、サンフランシスコ講和条約の発効を待ってからで、一九五二年四月二十八日のことである。  岸は自由を再び手にして、何を考え、何を思ったか。少なくとも、岸にはおのれが戦争へ導いたことへの深い反省は見られない。  岸は、かりに、省みなければならないものがあるとするなら、それは日本が聖戦に負けたことだけだ

          【エッセー】回想暫し 18 昭和の妖怪(2)

          【エッセー】回想暫し 17 昭和の妖怪(1)

          一    歴史を振り返るとき、同時代人ならば、AならAという人物を評価するにあたって、点数に迷いはあっても、合格か不合格かの判断にさほどの困難は感じないであろう。が、世代が後ろに行けば行くほど、Aの合否判定は難しくなる。  加えて、歴史の改竄が跡を絶たない。極端な場合、史上最低の宰相Aを史上最高のそれと臆面もなく持ち上げたりする。改竄の影響が社会に浸透すると、時代を同じくした人なら、Aが史上最高の宰相と聞いて、 「冗談じゃない。いったい、だれがそんな莫迦なことを言った」  と

          【エッセー】回想暫し 17 昭和の妖怪(1)

          【エッセー】回想暫し 16 クラシック音楽

           中学校の音楽のI先生が、  ──一週に一回はクラシック音楽を聴きなさい。その都度、曲名とともに日付と指揮者と管弦楽団の名をノートに記すように。そのうち有名な旋律が頭に残り、クラシック音楽が何よりも好きになるでしょう。  と、言われた。  子どもというのは素直なものである。何が何だかわからないままに難しい音楽を聴くべくラジオの番組表を調べ、その時刻になるとラジオのスイッチを入れるようになった。当初は交響曲と協奏曲の違いも知らなかった。スッペの軽騎兵序曲、モーツァルトのトルコ行

          【エッセー】回想暫し 16 クラシック音楽

          【エッセー】回想暫し 15 輪扁(りんぺん)の物語

          『荘子』第二冊天道篇第十三(金谷治訳注 岩波文庫)に出てくる話である。ある日のこと、堂の下で輪扁が椎と鑿を使い、堂の上では斉の桓公が書を読んでいた。前者は車輪作りの名人である。後者は中国春秋時代の覇者として知られ、さまざまな奇談の持ち主であるが、とりわけ死してのち、本人の知らぬところで巻き込まれた悲惨な事件には背筋が凍る。さて、輪扁が道具を置いて堂にのぼり、桓公に語りかけた。 「おたずねしますが、殿さまのお読みなのは、どんなことばですか。」 「聖人のことばだよ。」 「聖人は生

          【エッセー】回想暫し 15 輪扁(りんぺん)の物語