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03-自己紹介しようじゃないか、その2。

こんばんは。


今日の雑談と導入。

今日も一日が終わりそうです。早いものです。
好きなアーティストが昨晩、youtubeで公開したMVを聞きながら今日も書き進めています。

さて、昨日の記事に初めてのコメントをいただきました。非常に嬉しかったです。ありがとうございます。

実は、昨日の記事更新前にもろもろの設定を見直していて、スキとかコメントには、自動返答メッセージが設定できると知りました。コメントの返答メッセージに、「コメントありがとうございます!必ず返答しますね!」と書いたものの、コメントに返信しようとしたらできないんですね。完全にブログと勘違いをしておりました。note初心者なので、お許しいただきたく。
同じミスをしないようにコメントを変更しました。同じミスはしねーからな!!これ大事です。

閑話休題。

前置きが長くなりましたが、昨日に引き続き、自己紹介を進めていきます。今日は大学時代、青年期②から。今日も相変わらず長くなります。

青年期②(~大学生ぐらい)

~大学生活~

東京の西のほうの教員養成系の大学に通ってました。
大学時代は真面目なのか不真面目なのか全くわからない生活でした。
一般教養的な授業は欠席回数ギリギリまで休む一方で、興味がある授業や教育理論とかの講義は終わった後に研究室に行って質問してました。もちろんこんな学生ですから、フル単だった学期は4年後期のみ。1年前期の必修を4年前期まで4年連続で取って何とか単位取得したこともあります。駅のマックや学内のPCルーム、図書館は時間つぶしによく使ってました。
4年間の平均GPA(成績評価0~4の5段階、0は不合格)は1.5台でした。やばっ。
卒論に関しても、うちのゼミは教授が放任主義だったこともあり、教員採用試験が終わって1発目のゼミでテーマを確認してからは、一切、指導教官の進捗確認もなし。というかゼミもなし。そんな状況で、僕が書くわけがない。2万4千字の卒論を書き始めたのは、最終提出日の2日前。2日間、朝から晩までスタバにこもり書き上げたのはいい思い出。勿論、口頭試問ではボロッカスにやられました。今でもゼミの教授とは、連絡取りあってるので仲はいいはず…。

~教育実習と教員採用試験~

とはいえ、教員養成系だったので教育実習もありました。実習は真面目に頑張りましたよ。個別指導塾でアルバイトをしていたので、学校教育との差をひしひしと感じて、教員の道を諦めることになってはしまいましたが。
でも、民間に進むことを決めた後でも、教員採用試験は受けたんですよ。言い方は悪いんですが、記念受験的な意味で。塾で教えていたこともあって、教科ごとの勉強は理解できていたし、大学の授業で教育関係の法律とか教育理論とかは多少、頭にあったし。まあ、真面目に受けていた科目だったので。
そしたら、一次試験受かっちゃったんです。びっくり。
大学の教職センターの人から、「あんた一次受かったよ!」って電話が。ちょっとした問題児だったこともあり、窓口に行くたびに雑談したり嫌味言われたりの関係だったので、多少向こうも驚いたんでしょうね。二次は面接と小論文があって、対策していなかったので辞退しましたが。センターの人から「もったいないよ」って言われましたが、「僕みたいな人が教員になったら子供たちに迷惑がかかります」って笑って誤魔化しました。

~就職活動~

上で書いたように、教員はあきらめて民間への就職を考えていました。
実際、教育学部の民間就活って、結構地獄なんです。大学入学時点では、大学卒業後は教員になろうと考えている人が大半なんで、いわゆる「就活の意識高い系学生」が発生しづらいんです。やれインターンに行っただの、ES作っただのが話に上がらない。だから、圧倒的に他大の就活生よりは始動が遅くなるんです。僕も例に漏れず、就活を始めたのは3年の3月という激遅のタイミング。インターンには1回も行ったこともなく、ESなんてどういうもの?って状況からのスタートでした。最初にやったのが、マイナビとリクナビの登録でしたからね。
まあ、大学で学んだことを活かした仕事がしたかったので、教育系という軸で就活をしていきました。履歴書の持ち込み方とかも知らなくて1社目で恥かいたな…。そこまで苦戦することはなく、6月ぐらいには内定をもらうことができました。ただ、先に書いたように、GPAの問題から足切りはメッチャ食らいました。

~サークル~

勿論、サークルも入ってましたよ。サークルってか文化部?
教育関係の部活で、大学の長期休みに山間部とか島嶼部の児童生徒数が少ない学校に1週間入らせてもらうっていうちょっと特殊な活動。
僕は、三重の熊野と新潟の長岡と佐渡の3つの小学校に行かせてもらいました。すごく貴重な経験をさせてもらったな。言葉では言い表せないほど、素敵な思い出。その部活で出会った先輩、後輩はもちろん、同期は最高の奴らばっかり。大学の授業には出ないくせに、このサークルの活動は1回も休んでいないという矛盾。それだけ熱中していたってことですね。
詳しくは、また今度書こうと思っています。

壮年期(~今)

1社目

社会人デビューは学習塾の教室長としてでした。
上長からいろいろと指導してもらったり、同期と社内試験対策をしたりで
あっという間に教室長として仕事をするようになっていきました。だいたい2年ぐらいで1社目は辞めてしまいましたが、良い人が多く、今でも好きな会社です。

2~4社目

2社目からは採用支援の会社を渡り歩きました。はい、カッコつけました。
2、3社目は特にいうことはないんですが、4社目は一番僕が成長できた環境だったかなと。一番仕事に熱中できたし、その分の成果、リターンも多くあったし、人に恵まれ、仕事に恵まれ最高の環境でした。残業も多かったけど、あんまり気にならなかったな。好きな仕事だったんだろうなと今振り返っても思います。

5社目~今 

4社目のつながりで5社目では飲食業界で人事をやっていました。
メンタル面を病んでしまって辞めちゃいましたが。
あんまり書きたくはないですが、自殺一歩手前までいってました。マンションから飛び降りようとしてたんですね。手を離せば、体は宙に浮いていたかもしれないって状況でした。さすがに「人生最大のやべー」が到来したので、辞めて療養してって感じ。

今は復活して、転職活動をしながらフリーランスで採用支援をこじんまりとやってるってところです。

こんなところかな。
壮年期が仕事のことしか書いてない気もするけど、仕方なしよね。

今日の最後。

明日は何のことを書こうかな。自分の性格についてでも書いてみるかな。
予定は未定。

今日はおわり。

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