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必要なかったはずの時間と経験を、無駄にはしない/安岡拓斗選手(Vasalunds IF)スウェーデン

2021年8月。早朝の飛行機でスウェーデンの首都ストックホルムに降り立った。北欧のひんやりとした空気に身を包まれる。重いスチールカメラ一式が入ったキャリーケースを引きながら都心部へ移動。すれ違う人々は、当たり前にありとあらゆる肌の色であり、自分だけが視線を感じることもない。ここは移民大国スウェーデンだ。

今シーズンはスウェーデン2部リーグに所属している安岡拓斗と、ホームスタジアム近くのカフェで待ち合わせた。24歳、スウェーデンでプレーするようになって約4年になる。初めて会ったのは彼が19歳のとき、モンテネグロの小さな海辺の街のスタジアムだった。あれからもうすぐ6年が経つ。これまで、モンテネグロ、セルビア、スウェーデン、一時帰国時の日本と、何度もインタビューを重ねてきた。いま、様々な文化の中で様々な経験をし、長い時間をかけて辿り着いたスウェーデン2部で、彼は何を思うのか。

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スウェーデンへの移籍は大きな転機になった

2015年、高校を卒業する年の1月に安岡拓斗は18歳でモンテネグロに渡った。2016年末までの2年間、モンテネグロで半年ごとに移籍を繰り返し、4クラブでプレーする。しかし安岡にとって、この時期のことは決して良い思い出ではない。当時のインタビューでも、このままサッカーを辞めなければいけないかもしれないと話していたこともあった。2017年の年が明けて、セルビア2部に移籍が決まる。不安定な状況も環境の厳しさも以前とさほど変わりはないが、それでもサッカーを続けていくという未来に、心境の変化があらわれはじめた頃だった。半年後の2016/17シーズン終了時点でチームがセルビア3部に降格し、外国人枠がなくなるという事情もあって、再び移籍先を探すことになる。大きな転機が訪れたのは2017年夏、20歳でスウェーデン4部に移籍が決まったときのことだ。

「スウェーデンへの移籍は、モンテネグロともセルビアとも日本とも全く違って、全てが新しい経験でした。豊かな国で外国人枠も多いので、世界中からいろいろな経歴の選手が来ていて、とても刺激になりましたね。最初に所属したスウェーデン4部はアマチュアリーグで、就労ビザが出ないということもあって90日間のみの滞在でしたが、チームが3部に昇格したので、そのまま同じクラブと契約更新し、2018年からの3年間はスウェーデン3部でプレーしました。良いことも悪いこともいろいろありました。2部に昇格できそうなところまで行ったこともありましたが、結局はクラブ内部の問題もあって、最終的には、早く移籍先を探してここから次のステップに進まなくてはと、常に考えている状況でした。ただこの3年間はチーム内で唯一、ほとんどの試合に出場できました。それに、自分も含めて外国人選手が多い環境で、スウェーデン社会に対しても日本社会に対しても自分なりにいろいろと理解できるようになって、サッカー選手としても人間としても成長できたのではないかと思います。」

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必要なかったはずの時間を、ネガティブには捉えずに過ごせている

2021年1月、スウェーデン2部リーグのヴァーサルンド(Vasalunds IF)に移籍が決まった。今シーズン昇格したばかりのクラブで、ホームスタジアムは首都のストックホルム郊外にある。

「オフの間に移籍がまとまって、日本で契約書にサインしてスウェーデンに戻ってきました。チームに合流してすぐ、1部の強豪チーム相手にトレーニングマッチがあって、今まででいちばん環境の良いスタジアムで試合したんです。屋根が開閉式でしたよ(笑)。相手の選手もみんな上手くて、楽しかったですね。世界のトップレベルに近づいているという、今までは触れたことはなかった空気感に、やっと直で触れることができたとも思いました。プレシーズンは他にもいくつか練習試合に出て、良いプレーができてゴールも決めて、チームメイトからも認められたという感触があったので、このレベルでもじゅうぶん通用するという手応えはありましたね。」

ところが、4月のシーズン開幕が近づくにつれ、監督との間に不協和音が響き始める。結局、プレシーズンから4か月以上の間、満足な出場機会には恵まれないまま時間が過ぎてしまった。チーム成績も2部の降格圏を行ったり来たりと芳しくはなく、安岡にとっては歯痒い状況であった。

「単純に監督は、自分が選んだ選手以外は認めたくなかったのかもしれません。でも、チームの成績が成績だったので、監督もエゴを押し通している場合じゃなくなってきたようで、6月ごろからやっと試合に使ってもらえるようになってきました。メンバー外の選手の中で、ずっと集中を切らさずやってたのが僕だけだったんですよ。それで試してみようと思ってくれたみたいで。」

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その後すぐに、監督は成績不振で交代することになったが、ここまで集中を切らさずに日々のトレーニングを積み重ねてきたことが、安岡の閉塞感を切り拓くきっかけのひとつになった。勝負の世界に身を置いている者なら誰でも、思うようにいかない状況に直面するという経験はごく日常的なものであろう。そこにどう対処するかが、その後の成功を左右する。安岡のキャリアは、これまでも苦難の連続だった。集中を切らさず日々を丁寧に過ごす、という当たり前のことが、実はどれだけ難しく重要か、彼はこれまでの経験から学んだのだ。

「モンテネグロにいたときもセルビアにいたときも、もっとひどい状況はいくらでもありましたが、そこで気持ちを切らしてしまっては何ひとついいことはないと知ったので。あの時間は必要なかった、あのときすぐにスウェーデンに来ていれば今頃こんなところにいないのにというネガティブさを、ネガティブなままで捉えたくはないですしね。いま誰の何のために日々トレーニングしているのか。あの時間は本当にいらなかったですけど、そのいらなかったはずの時間を無駄にはせずに今を過ごせていると思います。」

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チームの一員になるために、スウェーデン語を話すようになった

2017年にスウェーデンに移籍してから約4年になるが、今シーズンからの大きな変化のひとつは、チーム内での使用言語が英語からスウェーデン語になったことである。昨シーズンまで3年間所属していた3部リーグでは、外国人枠としてメンバー18人中、半分の9人まで許容されていた。安岡が所属していたクラブは特に、外国人選手の獲得に積極的だったこともあり、スウェーデン国外から来たばかりの外国人選手も多かった。さらに、移民大国であるスウェーデンでは、ほぼ例外なく一般市民も英語を流暢に話す。2017年以前にセルビアやモンテネグロなどバルカン地域にいた頃の安岡は、現地のセルビア語を使いこなしていたが、スウェーデンでは全て英語で問題なく生活できるということもあり、これまでスウェーデン語はほとんど話せないままだった。

「今シーズンは試合に出られない時期も長くて、そうなるとチームメイトとの距離がどんどん離れていくような部分もあり、コミュニケーション的に難しいと感じていました。僕がどんな選手なのか知ってほしいんですが、どうしたらいいのかというのは試行錯誤でしたね。チームの一員になりきれていないという状況で、まずはチームメイトがロッカールームで何を話しているのか理解しなければ、と思いました。もちろん、チーム内で生きていくぶんにはいっさいスウェーデン語は必要ないんですよ、みんな英語は当たり前に話せますから。でも、チームの一員としてロッカールームにいる、ピッチに立つ、となったときに、スウェーデン語ができないと損だと思ったのは、初めての経験でした。」

「前のクラブではスウェーデン人選手よりも外国人選手の方がずっと多くて、チームメイト同士の会話は基本的に全て英語でした。スウェーデン人選手数人と外国人選手が話すときも、当然、全員英語で話していましたし。それに、僕の周りは英語が得意ではないブラジル人ばかりでしたから、むしろポルトガル語の方が必要なぐらいで(笑)、スウェーデン語を聞く機会すらありませんでしたね。でも今のクラブでは外国人選手はそれほど多くはなくて、狭いロッカールームの中でスウェーデン人選手同士はスウェーデン語で話しています。こちらから英語で話しかければ、英語での会話はもちろん何の問題もなく成立するんですけど、試合にあまり出ていないという状況でチームメイトとのコミュニケーションを考えたときに、ロッカールーム内のスウェーデン語での会話の流れを理解するしかなくて、必要に迫られてスウェーデン語を使うようになりました。そうすることによって、コミュニケーションの壁にぶちあたっていた状況から、最近はするっと抜けられたように感じています。」

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さらにもうひとつ、移籍で住環境が変わったことも彼に新たな視点をもたらした。昨シーズンまでは、ストックホルムから電車で2時間程度、街全体がコンパクトにまとまった静かな環境の地方都市がホームタウンだった。そこで3年以上過ごしていた安岡の目には、日本ともバルカン地域とも全く違うスウェーデン社会が、とても魅力的に映っていたようだ。今シーズンからは首都のストックホルムで生活するようになり、今まで見ていたスウェーデンのまた違った側面にも気付くようになってきている。

「このクラブはスウェーデンで育ったベテラン選手も多くて、彼らとスウェーデン社会についての話をしたりもしています。教育も福祉も社会システムがしっかりしていて、それは今まで僕が思っていた通り良い部分なんですけど、最近は治安が悪くなってきているという話も聞きますね。子どもが拳銃で撃たれてそれが動画で出回るという事件があって、移民やマフィアが住んでいる地域にはそういことがあるから、行く場所は気をつけた方がいいと。去年まで住んでいた街では絶対に聞かなかったような話なので、驚きました。移民をたくさん受け入れていることは良いことだけど、そういう問題も抱えているんだなと思いましたね。」

最終的な目標はいつも、ずっと変わらない

安岡拓斗の試合を撮影するのは2年ぶりになる。スウェーデンリーグのシーズンはJリーグと同じ春秋制で、シーズン終了まで残り約1か月半となっているが、チーム成績的には厳しい状況が続いている。その中で、豊富な運動量でピッチを奔走し、攻撃に守備にサイドでアップダウンを繰り返す。モンテネグロでの10代の頃とは、身体のつくりもプレースタイルも別人のようだ。高校を卒業して海外でプロサッカー選手としての生活を始めてからもうすぐ7年、たしかに「必要なかった」と感じる時間も経験もあったかもしれない。しかし、丁寧に自らの身体やプレーと向き合ってきた時間だけでなく、その苦難もまた、まぎれもなく彼のキャリアの一部であり、何ひとつ無駄なものはない。

「スウェーデンに来てからは、食事にもいろいろと気を付けるようになって、なるべく自分で作るようにしています。遠征にもタッパーで食事を持って行って、試合の前は自分で作った出汁でうどんを食べてます。ここには宗教上の理由で食事を制限している選手や菜食主義の選手もいますし、チームメイトとは違うものを食べていること自体は全く特別なことではないんですが、うどんは不思議な食べ物だと思われているみたいですね(笑)。こっちの人、うどん知らないんですよ。それ何?って。でも、うどんのおかげもあって、いやもちろんうどんだけじゃないですけどね、昨日の試合もスプリント数45回だったんです。普通はありえない数字なので、フィジカルコーチから昨日は歩いて帰れたのかと聞かれました(笑)。」

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「最近は、チームも負けるのに慣れてきてしまったというか、諦めムードのようなものも漂い始めてしまって、あまり良い状況ではないのですが、まずはこのチームで試合に出続けて、2部に残留することが、今のところの目標です。最終的な目標は、モンテネグロにいた19歳の時のインタビューからずっと変わっていませんよ。そう、イングランドのアーセナルはプロサッカー選手としてずっと目標にしてきたクラブですから、もちろん今も目指しています。でも最近は、自分のプレースタイル的に、どう考えてもイングランドは合ってないよな、とは思うようになりました(笑)。」

「スウェーデンにいるのも長くなって、僕自身もこの国のことは気に入っていますが、ここにずっといたいというよりは、これまで海外への移籍の話がなかったというだけです。よりいい話があればもちろんステップアップしたいですね。これまでいろいろな国でいろいろな文化に触れて、いろいろな経験をしてきましたから、現役でやれるだけサッカーを長く続けて、将来的には世界のどこかで、子どもたちに何かを伝える活動ができればと思っています。」

安岡拓斗(やすおかたくと)選手
1996年10月29日生まれ。兵庫県川西市出身。177cm、70kg。
2015 FK Berane(モンテネグロ1部)
2015 FK Igalo(モンテネグロ2部)
2016 FK Ibar(モンテネグロ2部)
2016 FK Grafičar(モンテネグロ2部)
2017 OFK Beograd(セルビア2部)
2017 FC Linköping City(スウェーデン4部)
2018-2020 FC Linköping City(スウェーデン3部)
2021- Vasalunds IF(スウェーデン2部)


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