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スピードに乗って世界の壁を突破する/新井晴樹選手(HNK Šibenik)クロアチア

クロアチアの首都ザグレブを出発して5時間、バスは海岸線の高速道路を渋滞に巻き込まれながらのろのろと走っている。たどり着いた場所は、世界中からバカンスにやってきた人々で賑わい、これぞ海辺のヨーロッパ旧市街という雰囲気であった。2022年夏、アドリア海に面したシベニクという街で、彗星のように欧州サッカー界デビューを果たした新井晴樹を訪ねる旅である。約束していたスタジアムに人なつっこい笑顔で現れた彼は、予定の時間を大幅に超えてのロングインタビューに応えてくれた。(2022年8月10日収録)

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プロサッカー選手として多くのことを学んだセレッソ大阪での1年間

2022/23シーズン、新井晴樹はクロアチア1部のシベニク(HNK Šibenik)に所属し、9月現在、開幕から10試合全てスタメン出場を続けている。大学卒業後、JFLのFCティアモ枚方に所属していた彼が、半年でJ1セレッソ大阪に期限付き移籍をした際、3カテゴリーものステップアップにJFL界隈はちょっとした騒ぎであった。まずは、いま現在の飛躍のきっかけとなったFCティアモ枚方時代のことから話を聞いた。

「国士舘大学4年生の12月、関東リーグもラスト2節というところまで、卒業後の進路が決まっていなかったんですが、 その試合にたまたまFCティアモ枚方の関係者の方が見に来ていたんです。もともとは俺を見に来ていたんじゃなくて、対戦相手の駒沢大学の選手を見に来ていたみたいなんですけどね(後に森本ヒマン、薬師寺孝弥がFCティアモ枚方に加入することになる)。自分はその日、スタメンではなかったんですが、ラスト30分ぐらいプレーして、調子も良かったんですよ。そうしたらティアモの関係者の方が声をかけてくれたようで、国士舘大のコーチから「晴樹、FCティアモ枚方っていうチームが…」みたいな話があって。そのときは全然知らなかったから、どこですかそれ、みたいな感じでした(笑)。このシーズンからJFLに上がったチームだと聞いて、まあ、もともとはJリーグでプレーしたかったので、JFLで仕事もしながらというのは、正直に言うと少し戸惑いましたよね。でもティアモ枚方の関係者の方が今後のステップアップについても考えて話をしてくれて。俺も、ティアモ枚方というクラブでプレーするなら、もちろんそこからもっとステップアップしていきたい、というのを伝えました。ティアモ枚方もそういうクラブ運営を行っているので、ここならチャンスがあるかもしれない、じゃあもうティアモに決めようと思って、あとは即決でした。」

「ティアモ枚方時代でいちばん印象に残っている試合といえば、Honda FC戦ですね。第3節の負けた試合です。そのとき初めて3-4-3のシステムをやったんですよ。俺は左ウイングバックでした。Honda FCってめっちゃ強くてうまいのも知ってたんですけど、思ってたよりもっと強いしうまいし。けど、先制点決めて、でも後半のラストで2点バンバンと打ち込まれて。負けたんですけど、その試合は自分の中でいちばん印象に残ってますね。先制点は俺が左サイドで張って受けて、ドリブルして、中にカットインして、ヒールして、俺の大親友の武田航太朗、いまMIOびわこ滋賀に移籍しちゃいましたけど、 そいつに俺がパス出してアシストして、ゴールをヨンチョルくんが決めたって感じで、もう理想のゴールでした。今でも強烈に印象に残ってます。」

ティアモ枚方で試合に出ていたのは2021年6月までの半年のみだったが、枚方市内の工務店に勤務しながらプレーする日々だった。現在、欧州1部リーグでプレーする日本人選手の中で、社会人経験がある選手は多くないはずだ。

「仕事をしている時間は正直きつかったですけど、それも今となってはとても良い経験だったと思っています。人間関係にも恵まれたし、社会勉強もできて。大卒ですぐにプロになるより、半年だけでも工務店での仕事を経験したことで、いろんなことを教えてもらえました。今でも元勤務先の皆さん、めちゃくちゃ応援してくれてます。嬉しいですね。」

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この時期、セレッソ大阪とティアモ枚方の練習試合があり、そのスピードとフィジカルが当時セレッソのクルピ監督の目にとまることになった。練習参加を経て2021年7月、J1セレッソ大阪への期限付き移籍がリリースされる。

「7月に移籍のウィンドウが開くのを待って正式にリリースが出ました。でも、8月末にクルピ監督が解任されてしまい、そこからなかなか試合に出れなくなって。ただ自分の中で、試合に出られなかったことは実力的にも納得してるんです。もちろん攻撃面では正直めっちゃ自信ありましたよ。1対1とかなら全然勝てると思ってましたけど、試合って攻撃だけじゃなくて守備も大事ですよね。守備の部分は苦手意識が強くて。それまでは守備をあまり求められていなかったから、本当に全くできなくて、セレッソでは常に守備面が課題だと言われていました。」

セレッソ大阪には2022年夏まで1年間所属した。デビュー戦は2021年8月の天皇杯、さっそくのスタメン起用だった。

「緊張するかなと思ったんですけど、実際は全然しませんでした(笑)。入場制限があって5000人も入ってなかったんですが、それでも久しぶりの大観衆の前で、しかも勝てて、めちゃくちゃ楽しかったです。数字は残せなかったのが残念でしたけど、セレッソでいちばん楽しかった試合ですね。」

「もうひとつ、いちばんシビれた試合は今年2月のルヴァンカップの大阪ダービーです。大勢のサポーターが入ったスタジアムで(入場者数10,509人)、しかも決勝点を自分の得意な形でアシストできたんです。めっちゃ興奮しました(笑)。」

2021年は唯一のスタメンだった天皇杯1試合の他に、リーグ1試合とルヴァンカップ2試合、2022年は途中出場でリーグ2試合とルヴァンカップ4試合。出場時間数としては到底満足できるものではなかったが、それでもJ1の舞台で多くを得て成長を実感した1年間だった。

「セレッソでの1年間で得たこととしては、まず守備を学べたこと。乾くんがめっちゃ守備上手かったし、他の選手もみんな上手かったので。それを見ていて、ああやっぱり守備なんだなと思いました。それに、キヨくん(清武弘嗣選手)とか、歴代の日本人選手の中でもトップクラスですし、シンジくん(香川真司選手)も夏のオフシーズンの時に来たりして、テレビで見てた人たちと一緒にプレーできたというのは、最高に良い経験になりました。J1で観客もたくさん入ってという環境の中で、プロサッカー選手としても、感じたことはたくさんありましたね。」

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彗星のようなデビューで欧州サッカー界へ

2022年6月、これもまた突然、クロアチア1部HNKシベニクへの期限付き移籍がリリースされる。1年前までは働きながらJFLでプレーしていた選手が欧州1部へ、まさに夢のようなストーリーである。

「いつかはヨーロッパとか行きたいなとは思っていましたが、行けるとしてもまずはJリーグで活躍してからで、まだ試合にも出られていない状況でしたから。そこに今回の話をいただいて、そんなチャンス滅多にないし、行けるならすぐ行きたいと親にも相談せずに決めました。相談したら反対されるのは分かってましたし。うちの親、心配性なんですよ。晴樹、おまえ一人で海外なんて大丈夫なの?セレッソでも試合に出てないのに海外に行ってどうするの?みたいな(笑)。やっぱり最初はそう言われましたね。」

「そういう状況だったので、クロアチアのことをよく知っているわけでもありませんでした。ディナモ・ザグレブは知ってましたけど、他のチームのことはほとんど知らなくて。クロアチアといっても、日本ではそこまで注目はされてないじゃないですか。正直、どれぐらいのレベルなんだろうと思ってましたけど、いざこっちに来てみて、めちゃくちゃレベルが高くてびっくりしましたね。」

新井自身も自覚して何度も口に出しているが、このインタビュー時点では、彼はそれほど英語が堪能ではなかった。しかしサッカーとコミュニケーションは、やはり決して切り離せない存在である。

「チームに合流した最初から、みんな俺に対してすごく興味を持ってくれてるなという印象でした。日本人に対してすごく良い印象を持ってるみたいで、日本のアニメとかの話題で話しかけてくれたりとかしましたね。けっこうみんな見てるんですよ、『鬼滅の刃』とか、『進撃の巨人』とか『NARUTO』とか。俺、英語ぜんぜん話せないんですけど(※あくまで8月10日時点の話、今は少しずつ話せるようになっているはず)、英単語3つ並べるみたいな感じでコミュニケーションとってます(笑)。」

シベニクのダミル・カナディ監督(9月18日第10節まで)はオーストリア国籍ではあるが、ルーツはクロアチアやセルビアなどのバルカン地域であり、ドイツ語はもちろん、クロアチア語も英語も流暢に話す。これまでも海外で活動する日本人サッカー選手に何十人とインタビューをしたが、どの言語でどのようにチーム内でコミュニケーションをとるか、ということが、キャリアの成功に大きく影響する場面を少なからず見てきた。シベニクには外国籍の選手も複数所属しており、西側諸国に開けた土地柄もあって、チーム内での英語通用度は比較的高いようである。

「監督は基本的にクロアチア語で話します。ミーティングとかも全部クロアチア語ですが、チームにいるコロンビア人選手や俺に対しては、英語を使って聞いてくれたりします。練習前のクロアチア語のミーティングは全くわかんないですけど、試合前にボードや映像を使ってのミーティングなら、英語も使ってくれるのである程度わかります。でも、自分からの発信はまだ難しいですね。」

「俺はもともとクロアチアに来る前はサイドハーフで、自分のところにボールが来て突破してというイメージでしたから、ピッチ内でコミュニケーションはいらないタイプだと思ってたんですけど、いざ来てみたら、まあ、コミュニケーションはめちゃくちゃ必要ですね。守備の声かけだったりとか、受信も発信も全部、本当に大事だなと思います。もちろんそこに問題がなくなったら、他にも求めたいものは出てくるとは思いますが、今の俺にはやっぱりコミュニケーション力がいちばん必要だと思ってます。」

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こうして7月中旬、クロアチア1部リーグ開幕戦を迎えた。この時点で新井は、日本からひょっこりやってきたほぼ無名の存在と言っても過言ではなかったが、いきなりのスタメンに抜擢される。90分間、堂々たる欧州1部デビュー戦だった。

「開幕戦でスタメンかどうかは、実は全く未知でしたね。調子も良くもなかったし、悪くもなかったというか、正直、手応えはあんまりなかったんです。開幕戦の前々日ぐらいから、セットプレーの確認をしたりするときにスタメン組で入って、でもどうなんだろうと思ってました。そしたらスタメンで使ってくれたので、半分びっくりしました。」

「最初の試合は、自分のスピードは持ち味として出せたなという感じだったんですけど、得点とアシストはまだないですから。自分のポジションは、守備も大事ですけど数字も残さないといけない。そこは絶対に必要だと思ってます。」

このインタビュー時点では第4節まで、その後も第10節まで終わった段階で(9月18日現在)、全ての試合でスタメン出場、第2節で88分に交代した以外はフル出場を続けている。それもほとんど経験がなかったというウイングバックでの起用、体格差もありプレースタイルも日本とは全く異なるクロアチアリーグで、驚くべき適応力である。

「こっちに来てウイングバックをやってますが、俺、今まで4-4-2のシステムしかやったことなかったんですよ。3-4-3は1回か2回やったことがあるかなぐらいで。ここで3-4-3って聞いて、それも前の3枚じゃなくて、まさかの4だし(笑)。最初は心配だったけど、やってみて、スピードやフィジカルっていう自分の能力は、逆に4のウイングバックの方が生かせるなという実感も出てきました。」

「クロアチアリーグとJリーグとのいちばんの違いは、やっぱり球際の強さですよね。一対一の対応だったりとか、球際も空中戦も、フィジカルコンタクトは日本より本当にレベルは高いです。みんな背も高いですし。日本人の背が高い選手は、あまり足下がうまくないこともありますが、こっちの選手はみんな背が高いのに技術も高くて、それはびっくりしました。日本に来たら活躍するんだろうなっていう選手はいっぱいいますね。Jリーグに来たらいいのになと思います。」

新井がシベニクへ移籍する際に、レンタル元であるティアモ枚方の小川佳純監督(9月23日第23節まで)も「彼には誰が見てもわかる特徴があるので、自分の武器をアピールして成功してほしい」と話していた。現地メディアではクロアチアリーグで最も足が速い選手とも評価されているようで、ここまでは順調なキャリアではある。しかし一方で、数字に残るゴールやアシストの結果が未だ伴わないこと、チームも勝ちきれない試合が続いていることなど、まだまだ伸び代も充分である。

「そうですね、スピードは自分のいちばんの強みですし、フィジカルの部分も自信はあります。なので、あとはゴールやアシストというような数字と、コミュニケーションの言葉だけっていう感じです。それからチーム成績的にも、中堅のチームに対して引き分けたり負けてたりしているから、そこを勝ってかないとやっぱり上にはいけない。惜しい試合はたくさんあるんですけど、その惜しい試合を勝ち切らないと。勝負に貢献していけるようにしたいです。」

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スピードとフィジカルを武器に、数字にこだわってステップアップを

スタジアム横のカフェでのインタビュー中、入れ替わり立ち替わり「誰か」がテーブルを訪れ、声をかけていく。こちらが「日本からアライの取材に来た」と名乗ると、みな満足そうな笑顔でコーヒーを御馳走してくれたりもする。

「シベニクは街並みも綺麗だし、海も綺麗だし、食事も美味しいです。ただ、食事管理の面では、夜にパンやパスタをあんまり食べたくないなと思ったりしているので、自炊をするときは炭水化物は少なめにして、タンパク質を多めに、鶏胸肉とかを使ったりしてやっています。ごはんも鍋で炊いてますよ。米は大好きなので。だんだん上手に炊けるようになってきました(笑)。」

予定のインタビュー時間を大幅に超えて様々な話を聞いていたそのとき、「ああっ!」と新井が小さな叫び声を上げた。インタビュー当日(8月10日)、日本ではちょうど川崎フロンターレ対セレッソ大阪のルヴァンカップ準々決勝が行われていたのだ。終了間際の劇的ゴールでセレッソが同点に追いつき、浦和レッズとの準決勝進出を決めた。古巣の躍進は、遠い異国でひとり戦う彼のモチベーションでもある。ほぼ無名の存在から欧州サッカー界で彗星のようなデビューを果たし、その先へ。日本代表への道も、もちろん視野の中にある。

「ここには1年の期限付きで来ていますから、 早く結果を残して上のリーグにステップアップするためにも、まずは今のチームを勝たせられるようにと思っています。数字にこだわって、守備もしっかりしていきたいですね。日本代表ももちろん、サッカー選手ならみんな目指すものですから。代表は今、左が三苫薫、右が伊東純也で、みんな足が速いタイプですし、俺もその選手たちを越せるように頑張りたいです。」

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新井晴樹(あらいはるき)選手
1998年4月12日生まれ。埼玉県深谷市出身。168cm、65kg。
2021 FCティアモ枚方(JFL)
2021-2022 セレッソ大阪(J1)
2022- HNK Šibenik(クロアチア1部)


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