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高笑いするような出来事が一度、二度起こる人生よりも

はかったようなタイミングの通り雨だった。仕事終わりに立ち寄った銀座で大粒の雨に見舞われたのだ。夕刻には青空さえ顔をのぞかせていたというのに。

突然の雨に、ふだんだったら顔をしかめるところだろう。しかし、今夜ばかりは「しめた!」と思った。銀座のはずれにひっそりたたずむハーマン・ミラーのストアをみつけて、雨の日に写真を撮りたいなとかんがえたのがつい数日前のことだったからだ。まさに絶妙なタイミング。

高笑いするような出来事が一度、二度起こる人生よりも、毎日ひとつ、こんなふうにニヤリとしてしまう出来事が起こる人生のほうがあるいは恵まれているのではないか。

雨があがるのを待って、ふたたび銀座の路上へと繰り出す。
数年前の災禍などすっかり忘れたかのように元のにぎわいを取り戻した日曜の夜の銀座だが、ハーマン・ミラーのストアがあるこの辺りは人影もすくない。ひっそりと静まりかえった街にではなく、にぎやかな街からほんの一歩入ったところに不意討ちのようにあらわれるエアポケットのような空間にぼくは居心地のよさを感じる。おなじような感覚のひと、いるだろうか?

ハーマン・ミラーのストアがある一角もまた、銀座に点在するそうしたエアポケットのひとつである。

店の脇には路地というには立派すぎる、でもけっして道路ではない、やはり“立派な”路地としか呼びようのない道がある。おそらく、古い木造の家屋をいくつか取り壊したものの新たにビルを建てられるほどのスペースではなく、結果的に路地にならざるをえなかったのではないか。強欲で無節操な再開発に日ごろから嫌悪感を抱いているぼくのような人間からしたら、こんな無用な空間の出現はまさに“天の配剤”としか言いようがない。

通り雨に洗われた銀座の街路は、さっきより清涼感を増したようだ。風呂上りのようにさっぱりしている。暗くて人のいない立派な路地では、ハーマン・ミラーのショーウィンドウの煌々としたあかりが濡れた路面を照らしてとてもきれいだ。

このさっぱりとした気分を心にとどめようと、路地に立ち、雨の余韻を感じながら一枚だけ写真を撮った。

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