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自分にあった手帳をみつける

朝起きたら、3ヵ月後のきょうは元旦であることに気づいた。気づいてしまったが最後、がぜん気持ちが急いてきた。

そうかそうか、そうだったのか。それでみんな手帳の話などしていたのか。

暦の上では秋だというのに今年はいつまでも暑く、半袖を着てイヌのように舌を出してハアハア肩で息しているせいか、そんな季節になっていたとはまったく気づかなかった。

そこで、問題は手帳である。さあ、来年の手帳はどうしようか。

じつを言えば、毎年この時期に購入する手帳がある。価格はやや高めながら、自分にとっては使いやすい申し分のない手帳である。いまならまだ売り切れてしまった色などもないだろう。

しかしここ数年、その手帳を完全に使い切った記憶がない。

最初の2、3ヵ月こそ先々の予定や鑑賞した映画の記録などせっせとマメに書き込んでいるのだが、そのうち面倒になってやめてしまう。しまいには持ち歩くことすらしなくなる。おかげで後半に行くにつれほぼ真っ白というありさまである。

毎年くりかえされるこの状況を自分なりに省みるとき、どうやらスマホアプリと併用するところに問題があるのだとわかる。

仕事の予定はスケジュール管理アプリ、友人との約束はリマインダー、鑑賞した映画や展覧会の記録はメモといったぐあいにさまざまなアプリを使い分けているうちに手帳の出番が失われてしまうのだ。

たしかに、カバンのなかをゴソゴソせずともサクッとメモできるスマホアプリは便利な代物である。

しかしいっぽうで、過去の記憶をほじくり出そうと思えば断然手帳のほうに軍配が上がるのではないか。それに、アプリにはなにかのタイミングで使えなくなってしまうという危険がつねにつきまとう。

けっきょく、アプリはあえて使用せず、すべての情報を手書きでひとつの手帳に集約するのがもっとも便利で、かつ安全であるという結論に至った。初心にかえるというか、ふりだしに戻るというか。

なんといっても、仕事から休日の予定にいたるすべてのスケジュールを一挙に把握することのできる手帳という存在は、身近にリマインドしてくれる人物をもたない独身者にとっては心強くもある。

これまで、この時期になると惰性で買い求めていた感のある手帳だが、こうしてあらためて考えてみることで自分にとってもっともふさわしいカタチが見えてくるように思う。

まず、必要最低限の情報を記録することができるシンプルなつくり。

つぎに軽くてかさばらないこと。これは持ち歩くのが苦にならないという意味もあるが、同時に保管するときに場所をとらないというメリットもある。

さらに、できれば安価であること。仮に中途で放り出したとしても罪悪感が少なくて済む。

こうしてたどり着いたのは、おなじみ無印良品の文庫本サイズのスケジュール帳だった。

マンスリーとウィークリー、そして後ろのほうには横罫のノートもついて税込590円。重さを量ったら村上春樹の『1973年のピンボール』と1グラムしか違わなかった。やれやれ。

唯一気になるのは表紙がやわすぎてすぐダメになってしまいそうなところだが、それは文庫本用のカバーをつけて使えば特に問題ではない。

好きなカバーをつけてカスタマイズ。器用なひとなら、きっと好みのテキスタイルでちゃちゃっと作ってしまうのだろうな。

今後これが《定番》になるかどうか、自分でもちょっと楽しみだ。

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