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クローサー  (5)

■クローサー(1)■
■クローサー(2)■
■クローサー(3)■
■クローサー(4)■

 あれから2週間が経った。
 ポストをパンクさせた老人は逮捕され、悪臭で問題になっていた家は行政が立ち入り清掃作業が行われた。
 逮捕時に側に倒れていた集配員の男は、怪我の治療を受けつつ取り調べが行われたが、俺達との喧嘩については詳細を隠した様だった。

 俺は相変わらずケーキ屋でバイトしつつ、夜はクローサーでバーテンをやるようになった。
 クローサーは俺と蔓押の助言もあり、ポストパンクだけでなく、パンク、ニューウェーヴ、そしてそれらに影響を受けた後の世代のアーティストも流すようになり、その門戸を広くした。
 俺はSNSでクローサーの宣伝をし、ショップカードを自作し、バンドをやってる友達を店に呼んだり、営業活動を進めていた。

 今日はケーキ屋は休みで、夜のクローサーのみ出勤の日。
 俺はこっそり店から拝借してきたバターを溶かし、蔓押からもらったハッパと混ぜ合わせ、煮詰める。
 煮詰まった物を、コーヒーをドリップする時に使う紙で濾過して、不純物を取り除く。
 余熱が取れたら冷蔵庫に入れ、分離した水を捨てれば、カンナビスバターの出来上がりだ。
 この大麻バターを使って俺はお菓子を作る。
 この手の物で王道の、クッキーやマフィンやブラウニーは勿論の事、シュクリーム、ドーナッツ、プリン、マカロン、どら焼きなど様々なマリファナスイーツを俺は作り上げてきた。
 元々お菓子作りが好きでパティシエを目指した俺だったが、その厳しい世界に心折れし、就職先を1年も経たず辞めた。
 実家に帰らず東京でだらだらと過ごしていた俺は、バイト先の潰れかけた 漫画喫茶で蔓押と出会った。
 お互いの好きな音楽や映画、漫画の趣味が共通していた俺達はすぐに意気投合し、できる限り同じシフトで働いた。
 ある日、奴は休憩中に店の中でマリファナを吸い始めた。
 俺は煙草は吸わないし、大麻もドラッグもやらない真面目な男だったのでこれには流石にひいた。
 だが、ヒップホップやダブやレゲエなどの歌詞にはよく大麻の話が出てくるし、アーティスト達は大麻を絶賛してはばからないので、その効能に俺は恐れながらも興味が尽きなかった。
 すぐに俺はジョイントの巻き方を蔓押に教わり、慣れない一服に浸った。
 だがどうにも気分が悪い。
 しばらくすると頭も痛くなってきた。
 その晩はずっと客室で寝転がり、仕事のほとんどを蔓押に任せてしまった。
 マリファナは俺に合わないのかもしれない。
 そう思い、しばらく大麻とは距離を置いていた俺だったが、ある日蔓押が、
「お前パティシエ目指してたんならガンジャチョコケーキを作ってくれよ」
 とお願いしてきたのをきっかけに、俺はマリファナスイーツ専門のパティシエへと覚醒したのだ。
 さっそく次のシフトで、漫画喫茶のキッチンに置いてあるオーブンレンジでハッパ入りのケーキを焼き、強烈な匂いを店内に撒きながら、それを2人で食べた。
 俺はビビって食べたのは1口だけだったが、残り全てを蔓押は平らげる。
 しばらくして蔓押は悶絶し、目を真っ赤にしてケラケラと笑い、床に倒れ込む。
 もはや仕事にならず、店長が来る前にガンジャの匂いを追いやり、 どうにか部屋の清掃などを1人でこなしたが、奇声をあげる蔓押はその日クビになった。

 今も俺は、ジョイントを吸うことは相変わらず苦手だが、大麻の入ったお菓子を食べるとぶっ飛べる。
 日本の大麻解禁は10年先か、20年先かわからないが、俺はそれを待たず闇のお菓子屋さんとなり、デリバリーで金を稼ぐ事を夢見ている。
 なんなら金を貯めた後に、カリフォルニアかアムスに移住したって構わない。
 その時は大麻入り和菓子の店を構えて堂々と商売してやる……!
 いずれにせよ、日本人の作る、日本のマリファナスイーツのクサ分け的存在として俺は名を残してやるぞと心に決めたのだ。
 そのためには肝心のマリファナを提供してくれる人間が常にいなければならないのだが……
ピリリリ ピリリリリ
 電話が鳴った。
「おぉーす!押忍押忍押忍!モース!モスモスモス!モスモス、もしもぉ~し!?」
 蔓押からだ。
 俺の契約するクサ農家は、今日はやたらとテンションが高い。
「うん。何?どした?」
「あのさぁ、俺もあの後考えた。めちゃくちゃ考えた!ポストパンに次ぐクローサーの新要素」
 いきなりなんなんだ。
 とにかく話を聞いて欲しそうな感じが伝わってくるので、まあ聞いてやるか。
「え?そうなの。どんな?」
 蔓押は得意満々に答えた。
「ヘヘへ…………ポストパンダ!」
「はぁぁ~?」
「ふふん。人間がぁパンダと出会ってからだいぶ経った。もぉそろそろぉーパンダみたいでぇーパンダじゃない、新しいニュー・パンダ・インパクトォ?存在が登場し……」
「意味がわからない」
 馬鹿かこいつは。何を言っている。
「まあコレ見てコレ!今送るからぁ~」
 そう言って蔓押がLINEで送ってきた写真には、パーカー調のパンダの着ぐるみを着て、目の周りを黒くメイクした姿の蔓押が写っていた。
「……あほかお前」
「ははは……!これがドンキで売ってたのをぉ見て閃いたんだ。俺ぁこれからクローサーに住みつくかわいいペット存在、ポストパンダになる!」
 蔓押は宣言した。
「何言ってる」
「だってぇパンダァ、かわいいンだ……最近はブリってる時にずぅっっとパンダの動画ばかり見てるよ。犬とかぁ猫は動画の種類も豊富で、いろんなあ笑えるアクションしてっけど、やっぱぁりパンダは存在が別格だよ。ただゴロゴロしてるのを見るだけでぇ十分楽しめる……」
 蔓押の口調はのんびりで呂律が回っていない。
 キマっているのだろう。
「うん、まあ俺もパンダは好きだよ」「へへぇ!だろぉ……?でさぁ……俺もさ……パンダみてぇになりたいんだよ……パンダみてぇにずっとチルってたいよ……笹とか噛みながら寝転がってさ……」
 今日は一体何を吸ったのやら、またわけのわからん事を言いだしたものだ。
「……でさぁ……クローサーで俺がパンダの格好してゴロゴロする様子を、お客さんが見ながらさ、ポストパンダかわいいねぇ……ポストパンダ蔓押かわいいねえ……!って言いながら酒を飲むんだよ!コレ最高のチルじゃね!!?」
 この馬鹿げた、あまりにくだらないアイデアに反対する事は不可能だ。
 蔓押は 言い出したら聞かない。
 好きなようにやらせるしかないが、こんな事はどうせすぐ飽きるだろう。
「はぁ…………まあ、やりたきゃ勝手にやれば?客ビビるかもだけど、面白さはあるかもな」
「うん!うん!よしっ!早速今夜からやるから!」

 アルプスへ野草を取りに行った時もそうだったが、蔓押の無駄な気合の度合いは今回も高い水準にあった。
 笹の葉、タイヤ、大きなゴムボール、積み木、またがって前後に揺らして遊ぶカラフルな馬のおもちゃ……
 様々な小道具をクローサーの床に撒き散らし、蔓押はその中心に寝転がっている。
 寝転がりながら、スマホを見ている。
 スマホを見ながら、もう片方の手で笹の幹を齧る。
 それを初めて見た時は正気か?!いや、正気でないにせよ大概にしとけよ!と俺はあせり、怒鳴った。
 だが、蔓押は笑って種明かしをする。
 床に散らしてあるのは本物の笹だが、食べているのは笹ではなくサトウキビだという。
 まったく大した気の入れようだ。
 迷惑で無駄な、徒労極まりない情熱だが。
「 ゥルルルルルル ーー!ゥルルルルルル ーー!」
 蔓押は時折、妙な高い声をあげる。
 客がビビり、不審そうに目をやる。
「おい、その声はなんだ?止めろ」
 と俺は告げた。
「これがパンダの鳴き声なんだよ。知らないでしょ?ゥルルルゥー!」
「ほんとにそうなのかー?」
「マジだって。今度動画で見せるよ。他にも何種類かあって、犬とか猫みたいな声もあるんだけど、俺もまだ研究中でよく知らないんだよねー」
 蔓押はそう答え、サトウキビを酒のアテにしてウィスキーを飲み、床に寝転んでスマホゲームを続ける。
 パンダ以上に勝手極まりない奴だ。
「はい、来たよー」
 そこへマスターが遅めの出勤でやってきた。
「おはようさんー!そして、お初です。ポストパンダの蔓押と申します!」
 さっそくの自己紹介とばかりに、ゴムボールに乗って転がりながら蔓押は挨拶する。
「うーん!さっそくやってるみたいね。いいんじゃない?いいねいいねー」
 マスターは思いの他ポストパンダ蔓押を気に入ったようだった。
 公園で男に踏みつけられた後は、しばらく気が動転して大変だったが、病院からもらった心のお薬が効いているのか、やっと最近安定し始めた。
「ポストパンク的かといえば微妙だけど、スリッツとかDEVOみたいな前衛性を感じるよ。おもしろい」
「そうでしょー。ゥルルルルーー!」
「で、俺も蔓押くんの為に1つプレゼントを持ってきたんだ」
「えぇー!?なんですか!?」
 気の利かないマスターにしては珍しいサービス精神だ。
 バーをリニューアルして少しは気が変わってくれたのだろうか。
「はい、これー」
 マスターは園芸用品店の袋から、小さな円い葉っぱをした植物の枝を5本ほど取り出して見せた。
「なんですか?この葉は?」
「んん?ユーカリだよ。知らないの?パンダの餌さ。パンダはこれしか食べないらしい。君、パンダの真似してるのに、知らないの?」
 天然ボケをご披露だ。
「マスター、ユーカリを食べるのはコアラです。パンダが食べるのは笹ですよ」
 俺は苦笑いしながらそう伝えた。
「えぇー!?あーーー!そうだ!確かにそうだった……」
「ちょっと、マスタぁーー!もぉー!」
 蔓押は尻もち体勢になり、両手でバシバシ床を叩いて駄々をこねるポースをとる。
 それはパンダではなく、ただ幼児の心を持つデカい大人なだけだろう……
「ごめんねー。あーー……しまった。結構色々探し回ってやっと見つかったんだけどなあ……」
 マスターはしょんぼりとして顔を落とした。
「う……」
 その姿を見て蔓押は、心を突き動かされた。
 わがままで、他人の事など気にも留めないこの男が、わざわざ俺のためにプレゼントをくれたのだ……!
「わかりました!これはいただきます!パンダは雑食で、笹以外にも肉や果物や野菜も食べることがあるんです。だから、この葉も食べれない事はないはずです……!」
 決意に満ちた瞳で蔓押はそう言い述べた。
「!?おい、やめろ……!」
 俺はカウンターから身を乗り出して蔓押を制止しようとするが、蔓押は勢い良くモリモリとユーカリの葉を食べ始めた……
 しばらくして蔓押は激しく腹を下した。
 下痢に悩まされた上に、ユーカリのあまりの不味さに気分を害し、2日間まともに家を出なかった。
 そんな目にあっても、まだ蔓押はパンダ化妄想を止めはしなかった。
 それどころかその思いは日増しに強くなっている様に感じた。
 ユーカリショックの後は、ほぼ毎日クローサーにパンダの格好で現れては床に寝転がってくつろいでいる。

  そしてある日、マスターが服用している精神安定剤を、興味本位にふざけて多めに飲み込んでからというもの、いよいよ本格的に様子がおかしくなってきた。
 ひょっとしたら大麻以外にも、MDMAだのコカインだのに手を出していたのかもしれない。
 色々と危ない人脈と繋がりがあるようだったが、奴は俺に危険が及ぶのを避けるためか、クサの入手ルートは語ろうとはしなかった。

「脱ぐから、背中の方はムニエルさんが描いてくんない?」
 もう着ぐるみパーカーでは満足できなくなった蔓押は、全身をパンダみたく白く塗り、黒い斑点を加えて全裸で過ごしたいと主張し始めた。
 全裸にパンダペイントを施した男が店内で寝転がっていては、冗談やアートの部類の一言では済まされないだろう。
 ガンジャの入ったお菓子やパンを提供してるだけで、今まで警察が踏み込んで来なかったのが奇跡的なのだ。
 怒る蔓押をどうにか説得し、白ブリーフと黒靴下だけは着用させた上で、身体へのパンダのペイントを許可した。
 俺は今、スマホでパンダの写真を見ながら、蔓押の背中に黒い模様を塗っている。
「ゥルルルゥー! ゥルル ル ル ル ゥー! ポストゥパンダ蔓押ぃ! ポストゥパンダ蔓押ぃ! ゥルル ル ル ル ゥー! 」
「静かにしろ、動くな。筆がブレる」
「ゴメンゴメーン。……ところでさ、ムニエルさん。次の休み、一緒に神戸に行かない?」
「神戸……?なんで神戸?」
「神戸にある動物園に、パンダがいるんだ」
 背中を向けたまま蔓押は語り、俺は模様を描きながら答える。
「いやいやいや、だったら上野でいいじゃん」
「上野のは……駄目なんだ」
「なんで?」
「神戸にいるパンダに、用があるんだ」
「……ふーん」
 わけがわからんが理解しようとしても無駄だろう。
 神戸には以前から気になっていた洋菓子の名店がたくさんある。
 お菓子作りの勉強の為にも、いずれは神戸に行きたいなとは思っていた。
 動物園ぐらいなら付き合ってやってもいいだろう。
 一緒に旅行に行く女ぐらい、こいつならいそうなんだがな。
「わかった。いいよ、行こう」
「……ほんとに?よし!ムニエルさん……ありがとね……!」
 後ろからでは顔の表情は見えなかったが、喜びの裏に、その口調には蔓押にしてはいつになく悲しそうな響きが隠れている様に感じた。
 だがそれは俺の気のせいだろうと、心にしまいこみ、筆に集中した。

ーーーーー

 神戸は海が近く、潮の風を感じる。
 1件洋菓子屋覗いた後、俺と蔓押はホテルに戻り、蔓押の全身にパンダのペイントを施す。
 パンダを見る時は俺もポストパンダでありたいーー
 そう蔓押は決意に満ちた目で俺に語った。
 俺はダメ元で、ペイントしても街や動物園で裸になるのはダメだぞ、パーカーのフードを被った状態で歩けよ、と請うと以外にもその要求を受け入れた。
 数分電車に乗って動物園に到着する。
 俺は象やライオンも見たいと言ったが、蔓押は聞き入れず、まっすぐにパンダへと向かう。
 神戸の動物園にはパンダはメスの1頭のみが生息している。
 どうせなら和歌山のアドベンチャーワールドへ行けば、もっとたくさんのパンダ達が見れるのに……
 蔓押はこの1頭を見るために、わざわざ神戸までやって来た。
 一体ここのパンダにどんな思い入れがあるのだ?
 そう考えていると、俺達はパンダコーナーにたどり着いた。
 人気者だけあって、平日の午前中にもかかわらず人だかりがある。
 パンダはぼんやりと空を眺めているようだった。
 確かにかわいい。
 実物はネットや写真で見るのとは比べれない良さがある。
 蔓押はこれを見るために……
「おい」
 蔓押が服を脱ぎだした。
 肌を白く塗った後に、黒い模様をケツやポコチンに至るまで施した完全仕様だ。
「!?下は止めろ!下は!!」
 俺は叫び、慌てて蔓押の脱いだジーンズを履かせようとするが、押しのかされ倒れた。
 周囲からざわめきが起きる。
 ……パンツを履いていれば逮捕は最悪免れるか?
 そう憂う俺を尻目に、 白ブリーフのみを身に纏うポストパンダ蔓押は、確固たる真剣な眼差しで、パンダの柵を登り始めた。
「お……おい!やめろ!」
 俺は蔓押を制止しようとするが止まる気配が無い。
 神戸のパンダコーナーには鉄の柵や強化ガラスの仕切りが付いていない。
 蔓押は迅速に柵を登りきり、その先の 幅のある溝をジャンプした。
 これをどうにか石壁にしがみついて着地すると、素早く立ち上がり、早歩きでパンダに接近した。

 もはやパンダは蔓押の目の前だ。
「キャーー!!」
 それを見た女性の悲鳴が起きる。
 ざわめき声をあげる観衆。
 タイミングが悪かったのか、飼育員はまだ駆けつけてこない。
 蔓押がパンダまであと3メートルに迫った時、奴はボクサーブリーフをも脱ぎ捨て股間を晒した。
「キャアーー!!」
 群衆の中から女性の先程より大きな悲鳴があがる。
 蔓押の、その黒く塗られた男根は、隆々と勃起していたのだ。
 アルティメット・ポストパンダ蔓押!
 子どもたちは突如現れたパンダ男と、そのそびえ立つ肉棒を前に、呆然としつつも恐怖を憶え、母と父の影に隠れる他なかった。
 蔓押が、パンダに迫る。
 タックルだ。
 蔓押が侵入してきても身構えず、ただぼーっと座っていたパンダは、これをまともに受ける。
 倒されるパンダ。
 組み付いたUPP蔓押。
 俺はテレビで観た総合格闘技の試合や、格闘漫画を読んでいた経験から、パウンドでパンダの顔面を殴り続けるか、途中で関節技に移行していくのか?
 そういうムーブを予想した。
 蔓押、お前はパンダと戦いたかったのか?
 そう思った矢先、蔓押はパンダの股間を弄りだした。
 毛皮に覆われたパンダの股を掻き分け、現れたピンクの女性器をへと、蔓押はその勃起した男根の挿入を試みる……!

「ガアアアァァ!!」

 聞いたこともない恐ろしい鳴き声をパンダが上げた。
 素早く振り下ろされた爪で蔓押の顔が切り裂かれる。
「ぐ……」
「グガアアアアァ!!」
 次の一振りで胸が切り裂かれ、鮮血がパンダの白い毛皮を染める。
 パンダは蔓押の身体を両腕で抑えつけながら、その喉元を噛みついた。
「ああああ……!!」
「蔓押ぃー!!」
 おびただしい出血。
 俺はそれをただ見ている事しかできない。
「ゴウッ!ガアァァ!!」
 さらに腹へ何度も爪のラッシュをしかけ、腸が飛びだし、それを噛みちぎる。
 もはや止まらない。
 怪力で腕をへし折りつつ、頭を噛みつき押さえながら、腕を肩からぶち抜いた。
 血が滴る肩の関節部分の肉と軟骨を食いちぎりながら、パンダはすでに事切れた蔓押の遺体にさらなる攻撃を加える。
 凄まじい怒りだ。
 中国ではパンダに人間が殺された例が何件か報告されているが、ここまでの事態に発展した事例は聞いた事がない。
 駆けつけた飼育員がパンダを取り押さえようとするが、もっと道具と人員が揃わなければ到底抑える事は不可能だ。
 見物客達は怯え、散り散りになってその場から逃げ出した。
 ただ1人俺だけが、目玉が飛び出し、バラバラになっても痛めつけれる蔓押の肉片を呆然と眺めて立ち尽くしていた。
 全てはあっという間だった。

 その日の朝、蔓押のツイッターにはこう投稿されていた。
「ウオオオオ!」
「やる!やってやるぞー!」
「俺はパンダを愛し、ポストパンダでありたいと願ったが、それだけじゃだめなんだ!」
「いくら身体にペイントを施して、鳴き真似して仕草を真似たところで、どうしてたって真のポストパンダとはなりえない!」
リツイート『パンダ繁殖に苦心する神戸動物園 交尾に関心を示さず 兵庫新聞』
「俺ならできる!!」
「やれる」
「絶対俺の子を産んでもらうから」
「ちゃんとポストパンダ誕生させるからねー」

 蔓押のパンダレイプ未遂事件は世界中で話題になり、連日テレビとネットの話題をさらった。
 週刊誌の取材をかわしながら、俺は手持ちの乾燥大麻、カンナビスバター、出来上がっていたマリファナスイーツを全て処分した。
 マリファナスイーツで一山当てようにも、蔓押がいなくなっては肝心のマリファナが手に入らない。
 他に草を持ってる人間は知らない。
 ネットで探し回ったり、知人の知人を探し当たれば、誰かが持っているかもしれない。
 だが俺は人見知りだ。
 ただ草を分けて欲しいというだけで、どういう人間かもわからない奴と交友関係を築けるとは思えなかった。
 渋谷や大久保に売人がいるという話は聞いた事があるが、散歩がてらにそれらの街をいくら探し回っても草を売ってる奴なんか見つからなかった。
 俺の雲を掴む様な夢は破れた。
 マスターも蔓押の死にまた気が動転し、家に籠もり、クローサーは閉店した。

 俺は今、ただ毎日を自堕落に生きる事しかできない。

(クローサー 完)

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