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電脳に刻まれた墓碑銘

今日の朝、早起きして布団の中でスマホを弄りながらごろごろしていたら、ふとした拍子にLINEを開いてしまった。
私の今のLINEアカウントでの交流はほぼ皆無だ。極々稀に家族から近況を尋ねられたりはするが、会話の履歴は専ら企業の公式アカウント(任天堂とかAmazonとか)の宣伝がいつも上の方にある。

誤操作のようなものだったのでそのままLINEを閉じてもよかったのだが、好奇心に駆られたのかそれともこれも誤操作か、友だち欄を開いてしばらくぼけーっとスクロールして眺めていた。LINEの登録名の横には何か一言入れられたりする欄があって、それを一通り読んでみた。
私が友だち登録している大半は大学時代の友人や先輩で、何も書いていない人、近況を書いている人、座右の銘を書いている人、ポエムのようなものを書いている人と、色々だ。いつの間に追加された機能なのか知らないが、何らかの曲を名前の横に載せている人もいた。その人の好きな曲だったり、テーマソングだったりするのだろう。

スクロールが終わりに達するころ、私の実母のアカウントが目に留まった。
私の実母は故人である。去年の六月に癌で亡くなった。実母の死は、私が生活保護を受けることになる間接的な要因にもなった出来事だ。彼女のアカウントが目を惹いたのは必然的なことだった。
彼女の一言欄には「今日も一日頑張った!」とあった。いつからそう記されていたのかは知らないが、今後これが更新されることは絶対にない。死人には口もなければSNSのアカウントにログインする権限もない。
故に、この「今日も一日頑張った!」は、彼女の墓碑銘となった。石に刻まれるそれとは違って、実体をもたない、いつ消滅するかも知れない不確かなものだ。そうであることが、逆に私の記憶にこの一言を強く焼きつけた。

私は、生前の彼女との交流で嘘をつき続けた。
ろくに働きもしていないのに、今月の生活費が少し足りなくてだのなんだのと理由をつけて何度も金の無心を図った。立派な詐欺だ。オレオレ詐欺などと違って、実の息子がそれをやっているのだからたちが悪い。実母は私が精神を病んでいることを知っていたので、少しでも働いていると聞いて嬉しそうな様子だった。私は少しの躊躇もなく肉親を欺くことができた。
実態はバイトを始めては辞め始めては辞めの繰り返しだ。やがて実母の癌がいよいよ死に迫るようになって、入院や治療にお金がかかり、私の金の無心に応えることができなくなったと告げられた。収入元を失った私は消費者金融を利用することになり、それからしばらくして彼女は亡くなった。
入院以来、死に向かい続ける体はひどく痛んだらしく、スマホを触ることも出来ていなかったらしいことが叔母から伝えられた。私の母は死の床にあって、私が精神病と付き合いながらも頑張って働いていて、収入が少なく苦しんでいるらしいことを心配していただろうと思う。当の私はもう働くのを諦めてしまっていたというのに。日に日に目減りしていく財布の中身に見ないふりをして、私はへらへらとゲームをして暮らしていたというのに。
彼女が亡くなる直前、私は私で所持金がほとんどなくなって死に臨んでいた。それでも働きたくなかったし、もうどこから金を調達すればいいのか分からなかったし、相変わらずゲームをしてへらへらしていた。数年前からクローゼットに括りつけたままの首吊りロープがやたらと目にちらついて、それでも目の前の娯楽に必死に齧りついていた。死の瀬戸際にあっても、今ゲームができていればそれでよかった。ゲームに集中していて、実母の訃報が叔母から届いたのに数時間気がつかなかった。

それから、私を取り巻く環境は大きく変わった。実母の死が父に知らされ(父母は私がごく小さいころに離婚している)、私が金の無心を繰り返していたことが明らかになり、父はそのことに静かに怒った。ほとんど呆れていたのだろう。彼に「もう嘘はつかない」みたいなことを言ってから数年してこの有様だったのだ。結局私は父を十数年にわたって騙し続けていた。
それで、私は生活保護を受けることになる。数年にわたる低所得生活、度重なる金の無心に借金、滞納した家賃に光熱水費、所持金不足による通院不能、それから生じる精神の不調。こういった複数の要因から、私は生活保護を受給する条件を満たしたようだった。

生活保護によって金銭面の問題はほとんど解消され、精神も比較的安定してきた。それから毎日書き始めたnoteも、200記事以上、即ち200日以上続いている。
それでも、根柢の部分では私は変わっていない。嘘をつくのは疲れるしロクなことにならないといい加減気づいたが、いざとなれば平気で嘘をつくだろう。私は自分の命の無味乾燥さに絶望して、空漠たる余生のほとんどをゲームに費やすつもりだ。もはや社会復帰など出来る気がしない。もう私は頑張れない。

そんなことを考えている日々に、不意に実母の墓碑銘を見つけたのだ。
「今日も一日頑張った!」。最後まで私を信じていた実母は、頑張る人だったようだ。
石に刻まれているわけでもないのに、直に言われているわけでもないのに、この一言の存在感をとても大きく感じる。
私にはどうしたらいいか分からない。あと数か月で彼女の一周忌だ。

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