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半生と反省②

その日、HIP-HOPというジャンルの音楽を初めて聴いた私はすぐにHIP-HOPに夢中になった。

今でこそサブスクが普及してスマホで音楽を聴くことが当たり前になっているが、当時はレンタルショップに行き片っ端からCDを借りてきて、MDコンポで焼くという作業をした。

それから2PAC、The Notorious B.I.G.、N.W.A書ききれないが、様々なラッパーの曲を聴き漁った。

CDに和訳付きの歌詞カードが付いていれば万々歳である。その歌詞カードを見て頭の中で情景を思い浮かべたりすることが好きだった。

それからはラッパーの半生やドキュメンタリーのDVDを探しては借りを繰り返して、どんどん知識を深めて行った。

昔から好きになればとことん追求したくなる性格で、熱中し過ぎて時間が溶けてしまう。生きていく上でなんの役にも立たないことでも、自分が好きでやってるならばそれでいい。

熱中して調べた事は、いつかどこかで話の種になったりするかも知れない。

無駄なことなんて一つもない

太字で書いた後にこんな事を言うのもなんだが、熱が冷めるのも早い。あれだけ好きでたまらなかったものにある日突然、興味がなくなる。これは特性なのか調べたこともないが、自分でもびっくりするほどソレが見えなくなる。

Rと連みだしてしばらく経った頃に、Rの先輩で学年が一個上のS君と遊ぶことになった。S君は私を「女の子みたいで可愛い奴だな」と言ってとても可愛いがってくれた。

というのも今でこそ身長が180近いのだが中学生になった頃の私の身長は140しかなかった。驚くことに六年で40センチ近くも伸びている。小さく色白の私は女の子みたいだと言われる事が多かった。

S君はどうやら、YやYの先輩と交流があるらしく、私の事を知っていたみたいだ。余計なお世話だが私を可愛いがるように言ってくれていたみたいだ。人は見かけによらない、悪そうに見える人達は情に熱い人が多い気がする。実際悪いだけの人もいるのだが。

S君はRと違いロックを聴いていた。私が初めて好きになった曲でもあり、ロックが好きになったキッカケでもある

GOING STEADY童貞ソー・ヤング

この曲も私の大事な思い出だ。S君のスピーカーは馬鹿みたいに大きかった。ウーハーを別で繋いで改造しているので聞いた事のない大音量で音楽が流れ出した。心臓に直接音が響くような感覚に近い。

歌詞の冒頭にある

「やれば出来る」なんて嘘っぱちだ。
そうじゃねえだろ!?
「やってみなきゃア わかんねえ」。
そうだろ!? 若者よ、童貞を誇れ!!!!
!!!!童☆貞☆万☆歳!!!!

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初めてこの曲を聴いた時に、なんてストレートで混じりっけのない魂のこもった歌なんだと思った。

最後の峯田のセリフ

愛だの、平和だの、戦争だの、
テロだのよ、誰も俺等の青春はァ
殺せやアしねえんだよ!!!

lyricjp.com

この歌詞が正に私のその時の気持ちを代弁してくれているような気持ちになった。中学一年生の私の青春は始まったばかり!パンクロックの素晴らしさはS君から教えてもらった。

それからはロックばかり聴くようになった。S君は太陽族、銀杏BOYZ、GO!GO!7188、ジャパハリネット、B-DASH書ききれないが沢山のバンドのCDを貸して教えてくれた。

S君には歳の離れたお兄ちゃんがいて、そのお兄ちゃんも大のロック好きだった。ハイラックスサーフに乗っていて、RとS君と私とお兄ちゃんの友達とライブハウスに行くようになった。

残念なことにGOING STEADYは解散したばかりで見る事は出来なかったのだが、銀杏BOYZは私が中学2年生の頃ライブハウスで生で聴くことが出来た。

そんなこんなでロックという新しい趣味が出来た私の生活は明るくなって行くように思えた。


-弟との比較-

私には二つ年下の弟がいる、弟は昔からとても可愛いし、心から愛している。きっと今よりもっとおじさんになっても可愛い弟に変わりない。私の大切な家族だ。

この弟とは、小さい頃本当に仲が悪かった。書けば引かれるのだが、ここには思っている事を全て吐き出すことにしたので書いていく。

父はニ回も大学に入り直して、卒業したらしい。一回目の辞めた理由は、夜の仕事や身近な人の死だとしか聞いていないが、紆余曲折あり保険屋の仕事をしていた。

絵に描いたようなサラリーマンだ。

自分が苦労したので息子には大学に行ってほしかったみたいだ。今思えば父はどうしようもないくらい不器用な人だと思う。

私と弟にはよく、勉強せんとつまらん人間になるぞと言っていた。ろくでもない大人という意味だ。

私は小学生の頃から劣等生で親や周りの人に迷惑をかけてきた。自分勝手で傲慢、先行きは不安でしかない。望んで選んだのは私自身だからどうしようもない。小学高学年のある日を境に父とは目も合わせないし口も効かなくなった。

父は私を見る度にため息をついた。

自分でもため息をつかれる理由はわかっていたが、兎に角父が嫌いでしょうがなかった。私も負けじと尖って見せた。頑張って背伸びをしたガキンチョだ。

続く

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