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ミッションとは何か。自らに問いを立て続けることが、これからのG-netをより強くする

2021年にG-netは設立20周年を迎えました。次なる10年へ一歩を踏み出すG-netに、関わる人たちはどんな期待を寄せているのでしょうか。今回対談するのは、G-net創立メンバーである田代達生さんと蒲勇介さんです。「まちづくりに関わりたい」との思いから集い、G-netの立ち上げに深く関わることとなったおふたり。現在、田代さんはまちづくり会社の社長、蒲さんは地域づくり支援団体の理事長を務めるなど、今なお「まち」「地域」をフィールドに活躍しています。そんなおふたりに、これからのG-netに期待することを聞きました。

20年前、「まちづくり」「地域活性」の志を持った若者が集まる

—おふたりが、G-net立ち上げに参画するきっかけとは何だったのですか?

田代:まだG-netが法人化する前、2002年くらいに、「柳ケ瀬のまちづくりをやりたい!」と意気込んでいた秋元祥治に出会ったんです。僕はちょうど十六銀行柳ケ瀬支店に入行して3年目くらいで、柳ケ瀬商店街の事業者さんのところを自転車で回っていましたね。当時って景気が悪くて、商店街のいろんな事業者さんの状況を目にして「銀行員だけでは地域を元気にすることはできない」と痛感する毎日でした。秋元と出会ったのは、僕自身「何か、金融以外のことでまちを元気にする方法はないのかな」と考えていた時期で、彼の意気込みについ惹かれてしまったんですよね。同じくして、いろんな人が集まってきて。メンバーの中で社会人は僕と、現在は石徹白で自然エネルギーと地域づくりに取り組む平野さんの2人だけ。あとはみんな学生でした。蒲くんも参画時は大学生だったよね?

蒲:そうですね、九州の大学にいた頃にG-netのことを知りました。当時の僕は、社会起業家に興味があって、いろんなNPOのウェブサイトに目を通していた時、たまたま地元の岐阜で社会起業家集団を標榜する団体の情報に行き着いたんです。その団体が、G-net。「地元にこんな団体ができるんだ!」と、すごく興奮したのを覚えています。在学中にフリーランスでデザイナーをしていたのもあり、「もしも何かあっても、なんとかなるだろう」と、参画を決めました。大学卒業のタイミングで本格的に関わりを深めて、法人化に伴い副代表理事となりました。

—創設期は、フリーペーパーの編集・発行や地元イベントの企画・運営などを手掛けていたんですよね。

蒲:いろいろやっていましたね。今のような人材に特化した方針に舵を切るのは、立ち上げからしばらく経ってからです。

田代:で、僕らをはじめメンバーの一部は、バンドでいうところの「音楽性の違い」から離脱したんです。僕の場合なら、「まちづくりはひとづくりである」という方針を掲げられたのがきっかけ。言っていることは理解できるものの、まちづくりとひとづくりはやっぱり別物なので、ちょっと違うな、と思ってしまったんです。

蒲:もともと僕らがG-netに惹かれたのって、地域活性の方法論なんてなかった時代に、「衰退する地域の課題を事業型NPOで解決していく」ことを打ち出していたからなんです。ただ、メンバーによって「商店街の活性化をしたい」と思っている人もいればもっとざっくりとした「地域活性」に取り組みたいと考えている人いるなど、思い描く地域活性のイメージは本当にさまざまで、多くは熱意はあれど具体的な仮説を持ち合わせていなかった。もっとファジー(曖昧)に考えていたんですよね。だから事業内容が絞り込まれていく中で「合わない」と感じて距離を置くメンバーも出てきたんだと思います。

推進力の高い人材が交わる拠点としてG-netは価値を発揮してきた

—その後も、蒲さんはNPO法人「ORGAN」を立ち上げるなど、まちに関することには取り組まれてきたのですね。

蒲:ORGANは、ファジーな考えだった元G-netメンバーが集まってできた任意団体で、スタートしたのは2003年くらいかな。明確な活動方針なんてのはなくて、本当に自由。古民家まちづくりや伝統工芸品の復活とか、ちんどん屋さんとか。それぞれが自分の仕事をしつつ、ボランタリーで遊びと活動の間みたいな、ゆるさのある活動を通じてまちと関わり続けてきました。そうすることで、メンバーは自分なりの「まちづくり」を模索していたのかもしれません。そして、「長良川おんぱく(長良川温泉博覧会)」実行委員会事務局を務めることになったのをきっかけに、2011年に法人化。「長良川おんぱく」やORGANの軸にもなっている「長良川の流域文化が岐阜市の文化の基礎をつくった」という仮説も、法人化以前のゆるい活動を通して見出したものなんです。

田代:僕も脱退後、銀行員を続けながらORGANの活動に参加して、いろんな人と関わってきました。G-net、そしてORGANのこれまでを振り返ってみても、具体的な方法を持ち合わせたり、見出したりはできていなかったとしても、「まちづくりがしたい」という強い思いを持つ人たちが、G-net創設期に集結していたんだなと思います。

蒲:大学在学中にG-netでフリーペーパーの編集長を務めていた興膳健太くんが郡上で「猪鹿庁」を立ち上げたり、石徹白に移住した平野さんも地域に根ざした活動を展開していたり。元G-netの仲間の活躍に触れる機会も増えて、ネットワーク化していると感じますね。

—エピソードを聞いていて、結果的に方向性の違いは生じたものの、高い志を持った人が集まるきっかけをつくる存在として、G-netが影響力を持っていたのだなと感じました。

田代:正直言って、当時、まちづくりを名乗る団体でまともなのはG-netしかありませんでした(笑)。だからこそ、創設期のG-netは「意識の高い岐阜人に"フラグ"を立てる」意味で、大きな価値を発揮していたと思います。僕を例とするなら、銀行員だけやっていては出会えないような人脈と、G-netを通じてつながることができましたから。

蒲:きっとG-netは一貫して、多様な人が集まり、つながる拠点として重要な役割を担ってきたんでしょうね。

閉じている扉を開け社会を変革していく。大事なのはミッションをブラッシュアップし続けること

—現在のG-netは、おふたりの目にどのように映りますか?

田代:つい先日、当社の社員とG-net職員の合同で岐阜研修を実施したんです。講師は蒲くんで。僕は最後だけ顔を出したんですけれど、そのとき「G-netはきちんと人材が若返っているなぁ」と感じました。細胞が入れ替わっているというか、新陳代謝が高めな印象を受けたんです。

蒲:本当に、今は人材が健全に代謝していると思いますね。志の高い若者が、地域の中に入る足がかりとしてG-netを使う、なんてことも増えていると感じます。混沌とした時期を経て、事業が明確になったことで、健全な人材入れ替わりができるようになったのでしょうね。

—今後のG-netに、どんな期待を寄せますか?

蒲:「若さ」ですかね。地域活性化を主体とする組織って、全国的にもリーダーが「おっさん化」している印象があるんです。地域のイノベーターとして頭角を現していた若者たちも、この20年間で当然ながら年を取り、若者だった頃に直面していた社会課題の前提も、今では大きく変わりました。例えば、限界集落の問題はとうに臨界点を超えて、今は強制撤退のフェーズに入っています。では現在の若者に目を向けると、良い意味で未来志向。これからをどうやって生きていくかを模索する若者の姿勢に触発されて、僕自身も今までこだわってきたことをもう一度見直していこうと思い始めています。体感値ではありますが、「若返るサイクル」が地域にあることが、スキームや思想よりも大事になってくるのではという気さえしますね。

—田代さんはいかがでしょうか?

田代:以前、南田くんが「改めて、これから岐阜を掘り直したい」と話していて、僕としてはぜひ協力したいと思いました。と同時に、「岐阜を掘り直す」のであれば、これからのG-netには「閉じている扉を開けるためのアクション」が求められるのではないかと思います。あえて厳しい言葉を選ぶと、今のG-netは、G-netの手法が刺さる企業にだけ評価されている、という印象を受けます。・・・年功序列、終身雇用、新卒一括採用といった日本型雇用が邪魔して、扉が開きづらくなっている状態といえます。だからこそ、そこに対してアプローチしていけたら、より多様な働き方を創出できるのではと思うんです。今まで開けられなかった扉、閉められてしまった扉を開けにいく、おそらく今まで避けてきたであろうアクションに挑戦したいという意味で「岐阜を掘り直したい」と言ってくれていたのならうれしいですし、応援したいです。

蒲:「岐阜を掘り直す」のであれば、ミッションの再定義も必要と思います。ORGANでもずっと、いろんな「閉じた扉」をこじ開け続けてきました。伝統文化や産業関係はしがらみも多い、一見さんお断りの世界。そこに踏み込んで仕事をしていくっていうのは簡単ではありません。じゃあどうして僕らは、そんな手強い相手と渡り合ってこられたのかと言うと、「岐阜が岐阜である理由を失いたくない」からです。G-netであれば、地域の何を改善し、より良くしていきたいのかを考え、刷新し続けることが、扉を開ける上で欠かせなくなってくると感じます。めざす社会に向けて自分たちの使命をブラッシュアップし続けることができれば、新たな一歩を踏み出せるのではないでしょうか。

[登壇者プロフィール]

田代 達生(カンダまちおこし株式会社代表取締役)

岐阜県岐阜市出身。京都大学卒業後、十六銀行に入行。柳ケ瀬支店をはじめ、名古屋支店、本部勤務を経験する。2017年、地域経済の発展に貢献する研究機関「十六総合研究所」研究員に。2022年4月「ローカルにまわる経済をおこす」をミッションに掲げる十六フィナンシャルグループ設立のまちづくり会社「カンダまちおこし」代表取締役に就任する。


蒲 勇介(NPO法人ORGAN理事長)

岐阜県郡上市出身。2005年頃から仲間同士でゆるく協力し合いながら、岐阜市の伝統工芸品復活プロジェクトや町家保存の取り組み、地域イベントの事務局運営などに取り組む。2011年、長良川流域の持続可能な地域づくりを支援する団体としてNPO法人ORGANを設立。2021年にスタートしたまち歩き観光「まいまい東海」ではプロデューサーを務める。


[聞き手プロフィール]

伊藤 成美(ライター) 
ウェブメディア運営会社への転職を機にライター職に就き、執筆経験を積む。「培ったスキルの活用の場を広げたい」との思いから2018年にG-net主催「シェアプロ」に参加し、プロボノ・副業の経験を通じて独立を決意する。2020年よりフリーランスで活動。