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新聞

友人がとある大手の新聞記者になったので、「新聞」についてブログを書いてくれと頼まれた。というわけで今回は「新聞」をテーマに書いてみる。

実家にいた頃は、新聞はわたしにとって至極近い存在だった。
毎日朝起きたら、椅子の上に置いてある。
とりあえずテレビ欄と一面をチェックして、ニュースを見ながら朝ごはんを食べる。
「物騒だなあ」だとか「リーマンショックねえ」だとか思いながら。
そうこうしてると学校に遅刻しそうになって、急いで準備をしていた。現に遅刻したりもして。

実家で取っていた新聞は朝日新聞だったので、暇な時は天声人語を読んだり。
学校で習字がある時は(高校まで習字の授業があった、嫌いだった)古い新聞を漁って、学校へ持って行ったり。
祖母が半分うとうとしながら地元の記事を眺めている様子を見ながら、お茶を啜ったり。
祖父が真面目な表情で、虫眼鏡を使って株価を調べていたり。

わたしのすぐそばにある、当たり前の存在だった。

上京して、5年目。
新聞というものに触れる機会が、本当に一切なくなった。
そもそも新聞という存在を忘れかけていたといっても過言ではない。

そう思うと急に寂しく感じる。
新聞に触れる当たり前の生活は、いつの間にかなくなっていたのだ。

今のご時世、ネット環境が整っているので、わざわざ新聞を読まなくともニュースを知ることができる。
そう考えると、新聞はもう時代遅れのいらない存在なのかもしれない。

でも、新聞というものがこの世から消えてしまったとしたら。
きっとものすごく寂しいし、虚しい。

電子書籍なんかも最近ちまちまと読むが、わたしは本で読む方がなんだか好きだ。
なんだろう、なぜか電子書籍は好きになれないのだ。めくるという作業がないからか。
だから、新聞を読むのが嫌いじゃなかったのかもしれない。

全てがデジタルな世の中はつまらない。
少しくらいアナログなものがあったっていいじゃない。
IT社会にAIに、5G。最新技術だなんだと騒がしいけれど、新しいものだけが良いの?

懐かしくって、ペラペラの新聞。
あの小さな文字で書いてある株価の欄を祖父と一緒に見るのが好きだったなあ。
それとわたしは、あの新聞独特の匂いが好き。

今度久しぶりに、新聞を買って読んでみよう。
朝日新聞を買って読みたいところだけど、友人の新聞社の売り上げに貢献してあげようかな。

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