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真夜中のキャビン


「カウンターが、背中合わせで二枚。で、14席。それで6坪の店ねえ。」


多久島さんは、さっきからそればっかり言っている。


僕は答えない。はっきり言って、愚痴るデザイナーの相手をしてる場合じゃないのだ。


外は多分もう夕方だろう。

排煙窓しかない狭いテナントに、陽の光は差さない。


スナックだった内装は、取りあえず剥ぎ取られ、剥ぎ取られた地点から工事は一歩も進んでいない。

銀行の融資が下りないからだ。


「いいっていいって。条件見たけどそれ通るヤツだから。後は遅いか早いかってだけで。」


遅いと、困るのだ。


2週間後にオープンの迫る店の名前は「SLOW
BOAT 」に決めた。

桟橋から大型船へ、旅客を渡す小さな舟。
転じて、見知らぬお客様同士の渡し舟になれるように。

聞かれた時のために、来歴も覚えた。


名刺もDMも、コースターもグラスも。
細かいものは全部作ったし、買い揃えた。


ただ、融資が下りない。


自己資金と言うにはあんまりに心細い残高は、通帳に穴でも空いているかの様に消えていき、それから丸々2日、内装工事は止まっている。


「どうせ後払いなんだから、やっちゃう工事?」


多久島さんは何処までもお気楽に、全く緊張感のない声で言う。

いや、実際に緊張感などない。

この人の真面目な顔を見たことがないし、外で偶然会う時は、いつだって酔っ払っている。

ただ、腕はだけはいい。すごく、いい。


市内の有名どころのバーは、殆ど多久島さんの内装デザインだし、なんと言っても先日退職したばかりの古巣だってそうだ。


「なー。ラーメンでも食べに行こうぜ。事業計画書睨んでたって何にも進まねえよ。こういう時こそ気分転換しなきゃ。」


何が、しなきゃ、だ。人の気も知らないで。


ひとりで行ってください。
僕は多久島さんを残し、雑居ビルを出る。


メインのアーケードから、一本入った通り沿いの古いビル。

その3階にテナントを借りた。

保証金に前家賃、何だかんだで貯めた金と親からの借金は殆ど消えた。

内装の手付金の期限が今週末だから、あと5日。

銀行から聞かされていた融資の予定日は、昨日のはずだった。



船のキャビンの様な内装にしたい。

僕の勢い先行なイメージを聞くと、多久島さんはさらさらっとスケッチブックに鉛筆でラフを描いた。

木目調の壁に、一枚板のカウンター。狭いから背もたれのないスツールは足を太くしてどっしりと。天井から下がるライトは、裸電球にあえて鉄枠だけを付けて。

別になめてた訳じゃないけど、普段へらへらとしているこの人の、その繊細な絵と完璧に汲み取った僕のイメージに、正直驚いた。

だから、絶対に間に合わせたい。


やっぱり夕暮れだった繁華街を、僕はひとりで歩いた。

もう10年前から着ているコートは、古さが味の域をオーバーランしている。
髪だってボサボサに伸び、肩から下げたキャンバス地のバッグは、見積りやなんやの書類でパンパンだ。


つい10日前まで、老舗のチーフバーテンダーだったようには見えないのだろう、見知った同業者が目も合わせずに擦れ違っていく。


足取りが重い理由は、もうひとつある。


実は「SLOW BOAT」に「渡し舟」と言う意味はない。

どこでどう思い込んだのかはわからないけど、僕はそう信じていた間違いを、DMにもフライヤーにも印刷し、新規オープンの取材に来た雑誌にも得意げにそう答えていた。


古いジャズにあるように、スロウボートとは中国行きの船。またはただ単に、遅い船。渡し舟は全然関係ない。


でも思うじゃない。絵面が浮かぶじゃない。はしけから沖の大きな船までを繋いで漕いでいく、小舟のシーンが浮かぶじゃないか浮かばないか。


ぶつぶつと独りごちながら、僕はいつの間にか外国の都市の名前がついた通りの端まで来ていた。

家とは反対の方角だ。


確かに、多久島さんの言う様に、悩んでたって融資が早く下りる訳じゃない。

だからと言って、まっすぐ帰る気にもなれなかった。

財布の中身を思い出す。

僕は、入った事のない居酒屋を選んで扉を開けた。



携帯が鳴った時、何件目の店に居たのか分からない。

少なくとも3件目以降のバーで、僕は多久島さんからの電話を受けた。

よく聞き取れなかったのは、単純に僕が酔っていたからで、それでも何とか「今から店に来い」と言ってるのはわかった。


雑居ビルまでどうやって来たのかは、覚えていない。


階段の壁に手をついて、やっと体を支えながら3階まで上がる。


付け替えてないテナントの扉は、スナックの時のままだ。


その、およそキャビンの入口には見えないドアを、引いて開けた。


多久島さんはまだ、カウンターも何もないがらんどうの店の床に、胡座をかいて座っている。


「見ろよ。」


視線をあげた。


壁も天井も、腰の高さから上に、明るい木目のクロスが貼られている。


「クロス屋さんに電話したら、今日はもう終わりって言われてよ。仕方ないからクロスだけ貰ってきて自分で貼った。」


そりゃそうですよ、今何時だと思ってんですか。


「な、気分良いだろ。何とかなるんじゃないかって思えてくるだろ。な。やっぱり実際見ると違うんだよな。」


エアコンもまだついてない2月の夜に、多久島さんは汗だくで笑っていた。


「だから、ま。あんまり思い詰めずに取りあえず進め。出発、じゃない。スロウボートは渡し舟だったか、なら出航か。出航ー!ってな。」


スロウボートに、渡し舟と言う意味はない。


ただ、クロスを貼っただけの、まだ到底店とは呼べないその場所は、僕には船のキャビンに見えた。

旅先に向かう船に、旅人を渡す小さな舟。


渡し舟と言う意味はないけれど。


だったら、渡し舟になればいい。


多久島さんは、いつもの様にへらへらと笑っている。


緊張感は、相変わらず無い。


この時間、開いてるラーメン屋はあったかな。


酔って斜のかかる頭の中を蹴飛ばしながら、僕はそれを考えていた。









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