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ひとりの夜に


「誰かが、いつふと思い立って足を向けても良いように、バーは常に開いていなければならない。」



言葉にして言われたことは無いけど、オーナーはそんな風に自分で決めてたふしがある。


だから店に決まった休日は無かったし、たとえ店の前の看板が吹っ飛んでいくような台風が来てたって、当たり前に営業はしていた。


僕らは交代で休み、オーナーの完全な休日はほぼ無かったと思う。


それは丁度、支店の営業がやっと落ち着いてきた頃だ。


店の立ち上げに忙しく、オーナーと僕は数ヶ月支店に付きっきりになり、本店は店長とチーフの二人で回していた。



「で、だな。」


支店の営業終わり。
珍しく遅くまでいたオーナーは、いきなり何の前フリもなく話し出した。

この頃には、今からどういう毛色の話がはじまるのか、これだけでうっすらと僕にもわかる。


多分、良くないニュースだ。


「本店が、日曜日を店休日にしたいって言ってきた。ま、分からんじゃない。二人じゃ休みも取れないからな。ただ、日曜日しか来れないお客様だっているじゃない。そうだろ。」



話の流れが読め始め、うっすらはにわかに確信へと変わる。


「君だっていつか。いつかは独立して自分の店を持つわけだ。その時の予行練習と言うかケーススタディと言うか。なあ。」


初めて呼ばれた「君」と、分かりやすい「なあ」。


僕は諦めて、自分からその後を言うことにした。それが、オーナーの計算通りの展開だと分かってたけど。



「日曜日に本店開ければ良いんですか。僕、ひとりで。」



さすがエースは察しが良い、と手を叩きながら最後にオーナーは一言添えた。


 「よろしく。店長もお願いって言ってた。」



あの野郎。





鬼の店長に聞こえない悪態をついたものの、日曜日の営業は比較的ゆっくりだ。

仕事終わりの一杯は無いから、会社員の飲み会もない。
翌日が休みなアパレルや美容室系の客層は、もともと少なかったし、家族連れがやって来るような場所柄でもない。

9時頃から、そんな暇な店を狙って来店する常連さん相手の、言わば身内の集まりになることも多かった。


「だから来てあげたのよ。多分ひとりで暇してるかなって。」


エリさんはいつもひとりでやって来る。仕事を聞いたことは無いけど、時々雰囲気が学校の先生みたいだから、多分そうなのだろう。


「白ワインをグラスでお願い。あとあなたも何か飲んで。一人っきりで飲んでるの、あんまり好きじゃないから。」


僕はハウスボトルを開けて、2杯のワインをグラスに注いだ。


「えーと。何に乾杯?初の一人営業に?まあ何でも良いか。理由なんか無くっても、乾杯は乾杯よね。」


ふふふと笑ってグラスを合わせた後、エリさんはちょっと意外な事を言った。


「でも、相当信頼されてるのね。ここ通って20年近くなるけど、聞いたことないわよ。オーナーが誰か一人に任せるなんて。」


そうなんだ。
僕はてっきり、店長もチーフも経験済みだと思ってた。

どうやら、一人前と認められるための通過儀礼ではないらしい。

じゃ、何だ。


「でも、こっちの二人も頑張ってるわよ。言わなくても分かると思うけど。」


それは、店に来てすぐに分かった。


二人して休みなしだったはずなのに、メニューが減ってるわけでもないし、客席もそのままだ。

冷蔵庫にも冷凍庫にも、いつもと変わらない量の食材が仕込まれていて、しかも店は相変わらず古いながらも綺麗に整えられていた。


「あっちのお店にスタッフは増えたみたいだけど、結局お店の顔はオーナーと君たち三人なんだよね。便りにしてるよ、新人君。あ、新人はもうマズイか。」


そう言われれば、店長の「お願いね」もそんなに悪い気はしない。


僕はオーナーの目が無いのをいいことに「ご馳走させてください」とエリさんに二杯目を勝手に注いだ。


9時過ぎに鳴った電話に、一瞬びくりとする。


ひとりの不安は強くなったけど、エリさんが僕の緊張を笑い飛ばした。


「○○さんじゃない。今日行こうかなって言ってたし。」


ちょっとだけホッとしたけど、僕の水商売危機管理センサーが黄色く鳴っている。

そんな風に予定調和に終わったことが、かつてあっただろうか。


受話器をあげる。


「すいませーん。おい、何人だ?えーと、24~25名大丈夫ですかー?結婚式の三次会なんですがー。もう少し増えるかもしれませーん。」


そうか、日曜はそれがあったか。


断る理由は、残念ながら無かった。


僕は電話を切ると、冷蔵庫からワインボトルを取り出してエリさんの前に置いた。


「飲んだ杯数だけ、後で教えてください。」


エリさんは笑顔のまま、ゆっくりと頷いた。




日付が変わる少し前。

結局は三十人ほどになったウェディングな団体様は、たっぷりと三時間近くおめでとうを撒き散らして帰っていった。


散らかり放題のテーブルを片付ける気力はない。


「いや、久々に君のあたふたする所が見れてよかった。楽しかったよ、何だか。洗い物手伝おっか。」

エリさんの前に置かれたボトルは、二本目になっていた。

いや大丈夫です、お騒がせしましたと、僕はシンクに並んだ手付かずのグラス達を、うんざりと見ながら答えた。



「途中さ、一番バタバタしてる時電話に怒鳴ってたでしょ?あれは何?」


店にかかってきた電話は、オーナーの古くからの知り合いからで、「あれ、オーナー支店にいるの?何時くらいに本店には来るのかな?」と問われた僕は、普段なら絶対にしない事を言ってしまっていた。


「なんて?」


子供みたいに目を輝かせてエリさんが聞く。


「そんなのこっちが知りたいですよ、って。」


一瞬目を丸くして、それからエリさんは笑いだした。



「あっはっは。そりゃマズイね。まあ、あの状況なら仕方ないか。オーナーも怒んないって、多分ね。」



カウンターの内側に置かれた、椅子兼用の脚立に腰を下ろし、やれやれと僕は煙草に火をつけた。


さっきの団体は営業的には助かったけど、あくまでイレギュラーだ、普段ならエリさんのような常連さんには電話してもらえば良い。

支店から自転車を飛ばせば10分で店は開けられる。

何も人の少ない日曜の夜に、毎週開けてる意味はあるんだろうか。


僕の不満顔を読んで、エリさんが何か言いかけた。



そのタイミングで、あの女の子はやってきた。


疲れてはいたけど、店のドアが開くのに気付かなかったのは、それが初めてだ。


カウンターに座るエリさんの向こうに、その娘はいつの間にか小さく立っていた。


自分と同じくらいのサイズの、ぬいぐるみを抱いて。



「あのー。二人ですけどあいてますか?」



えっ?



僕とエリさんは、思わず同時に声を出した。


十代後半にしか見えない女の子は確かにひとりだったから、もうひとりと言うのは抱えたデカイ熊のぬいぐるみの事だろうか。



やっとひとつ終わったと思ったら、また面倒だ。



見てはいけないと思ったのか、すぐにエリさんが視線を外すのが分かった。


「カウンターで、よろしければ。」


ほんとはテーブル席に案内したかったんだけど、生憎そこは宴会の後の残骸で埋まっていた。


女の子はエリさんと反対側の端に座り、隣の座席を引いて、丁寧にぬいぐるみを座らせ頭を優しく撫でた。


それから、「オムライスは出来ますか。」と下を向いて小さな声で言った。


夜の世界にそれなりに長くいると、こういう変わったお客様には希に出会う。


僕は多分まだまだ経験が少ない方だとは思うけど、それでも目の焦点が合ってない中年女性や、木刀を背負って泥酔したおじいちゃんの接客をしたことはあった。


メニューにはないオムライスのオーダーを受けたのも、ただ単に面倒に巻き込まれたくなかっただけだ。



「お待たせしました。」


オムライスを前に置くと、女の子はパッと灯りが付くような笑顔を見せた。


なんとなく添えた二本のスプーンに気付くと、そこで初めて僕の顔を見てにっこりと笑い、いただきますと手を合わせた。


帰りそびれていたエリさんの前に戻る。

エリさんは目で「なんだろうね。」と言い、僕も「なんですかね。」と表情で返した。


女の子は、時々ぬいぐるみに話しかけながら、ゆっくりと丁寧にオムライスを食べた。


僕とエリさんはどうでもいい世間話をしながら、女の子の気配に耳を澄ましていた。


お客様の詮索をするのは、バーテンダーのタブーだけれど、無地のTシャツに色の褪せたジーンズを履いた女の子は、格好こそ普通だったけど、ぬいぐるみを同伴した点で僕が何度か出会った「変わったお客様」には違いなかった。


ただ、オムライスを食べながらぬいぐるみに話しかけている声を聞いてると、かかわり合いになりたくないとは、不思議に思わなくなっていた。


女の子は礼儀正しく緊張していて、少しだけホッとしてるみたいだった。


「ごちそうさまでした。」


ケチャップも残さないように最後のスプーンで口に運ぶと、女の子はお冷やの下に敷いた店のコースターを暫く眺め、ズボンのポケットにそれを入れた。


それから、僕らの方を向いて


「おいしかったです。お店を全然知らないから、ここ見つけられてよかった。また二人で来ます。」


と、小学生が何かを発表するように、背筋を伸ばして言い、またにっこりと笑ってぴょこんと頭を下げた。





エリさんは、バーテンダーが他のお客様を話題にしないのを知っている。

だから、女の子が帰った後も特に何にも言わなかった。




「さて、私も帰ろうかな。」


グラスに残ったワインを一息で空けると、エリさんは立ち上がって僕を見た。


「あのさ。大変だろうし色々不満もあるとは思うけど、少なくとも今日はお店開けてた意味あったと思うよ。私と、あの子にとってはね。」



はい、と僕は素直に言った。



「ひとりの夜が、どうしても嫌な時ってあるのよ。子供でも、大人でも。そう言う時にここ開いててくれると助かるんだけどなあ。」



そんな当たり前なことを、忘れていた訳ではないんだけど。

お客様の方を向いて、仕事をしていたつもりだったんだけれど。


黙り込んだ僕を見て、エリさんはバッグから財布を出し

「だから今夜は助かりました。ひとりの夜じゃなかったし。ごちそうさま。」


と、言った後



「あれ、奢りだったっけ。」



とおどけて見せた。



今度は笑顔で「はい」と僕は答えた。






















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