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01220126 交互読

0122
『訂正する力/東浩紀』を読み終わる。先週の健康診断の帰りに書店に寄ったときに見つけて買った。
「ものごとをまえに進めるために、現在と過去をつなぎなおす=訂正する」と定義しながら、時事・理論・実存の三つの視点からその意味を分解していく本。これらの視点は哲学にも通ずるところがある。
東さんの文章は摩擦係数が少なくて読み進めやすい。だから、その一冊を読み終わるのはそう難儀ではないけれども、引用していた書物に派生すると難解すぎて挫折してしまうあるある。

哲学とは「時事」と「理論」と「実存」の3つを兼ね備えて、はじめて魅力的になるものだと考えています。読者と共有する社会問題についてあるていどの指針を出し、背後にあるなにかしらの独自の理論を示し、そして自分自身もそれと整合性を取るように生きている、そういう多面性を抱えていることが大事だということです。

現在の自分が過去の出来事を再考して解釈しなおすという点では、日記もまた訂正することに通ずるところがありそう。そして時事性もあるし、生活は実存している(はずだ)から、魅力的な哲学にリーチもかけている。残る理論。はて。こだわりとか、日々の蓄積による習慣ということだろうか。
そうならば、noteに日記を連続投稿することは哲学だ。


0123
小一時間くらい映画見ようか考えながら家事をして、結局見なかった。
流し見すれば冒頭でも見れたのではないかと勝手に損した気分になった。しかし最近は流し見しても入ってこないことが多いので、見ても見なくても一緒だったとプラマイゼロにする。むしろ家事が進んだとプラスにもってく。


0124
時間が限られていない作業をもくもくと続ける。終わらなくてもいいのに行き急いで、まずまずの仕上がりになってしまった。この手の作業は丁寧にするにこしたことはない。


0125
夜、中華鍋で麻婆豆腐をつくる。
最近は『中華鍋名人になる!/大庭英子』という明快なタイトルの本を参考に作っている。中華鍋のいろいろな調理法、場合によっては中華をはみだしてのレシピも載っていてよい。煮物とかごろごろ出てくる。
豆鼓(とうち)という聞きなれない調味料を用いる。豆を発酵させたもので、コクがふかまるそうだ。あとは痺れ成分をつかさどっている花粉(ほあじゃお)も加える。五香粉(うーしゃんふぇん)と混同しがちである。
辛み成分はなかったけど、中華のスパイスによって刺激的な夕食となった。

0126
初台にある本の読める場所『fuzukue』にいく。
本を3冊ぐらい持ち込んで交互に読んだ。間に休憩や食事を入れたりして、完全にサウナ施設と同じ動きをしていた。交互読。瞑想のように読書に没頭できて3時間がたった。
単に静かな空間をつくるだけじゃなく、その場にいる人の「読むぞ~」という意識をそれぞれ尊重する雰囲気が流れていた。そのための仕掛けがたくさんあった。たとえば案内書きとメニューが40ページ以上あって、店主の目指す空間について思いが書いており、それだけで1時間近く読んでいた。気を遣わないよう気を遣うという選択肢があった。


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