映画予告編の美学
私はあまり予告編を見ない。最近の予告編は専門の制作プロダクションが配給会社の依頼を受けて作っていることが多く、往々にして配給会社のエゴが含まれているからだ。しかし、映画館に行けば自分の意志とは別にそれを見ざるを得ないこともあり、「ああ、これは面白そうだ」などと思わず呟いてしまうこともある。この記事では、予告編と映画本編を切り離して考え、私が好きな予告編をそれ単体の作品として見つめることでその魅力を考えたい。
ソーシャル・ネットワーク (2010)
使用されている楽曲はRadioheadの”Creep”をScala & Kolacny Brothersがカバーしたもの。Facebookの画面で始まるあたりが独特で、どこか上品な印象を与えている。この映画は乱暴な言い方をすれば『市民ケーン』(1942) を下敷きにしているのだが、このトレーラーからはそれが一切伺えない。要するに本編映像を解体、そして再構成している。これはトレーラーの最高傑作ではないか、と私なんかは愚考している。もちろん映画本編も素晴らしい。
地獄の黙示録 ファイナル・カット (2019)
この予告編を見たのは確か京都二条のシネコンだったと思う。文字が多少うるさいが、それ以上に殺人的な迫力を感じた。スコープサイズを十分に活かしたショットに『地獄の黙示録』は大画面で観て然るべきだと確認するに至った次第。
『クライ・マッチョ』 (2022)
トレーラーを見れば、馬が映っていて、イーストウッド本人が悪態をついている。『許されざる者』(1992) や『グラン・トリノ』(2008) を想起させるようなショットもあり、思わず溜息が漏れる。このトレーラーを初めて観た時の高揚感、そして幸福感は尋常ではなかった。だからこそ、本編を観たときに笑ってしまったのだが。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 (2019)
このトレーラー、何度観たことだろう。心地よい緩慢な本編と違って、テンポ良く69年ハリウッドの原風景が映される。車のサイドドアから落ちる煙草の吸い殻、踊るヒッピー、ドライブインシアター、夕暮れの映画館、カリフォルニアの陽光、ハリウッドスターのダンスパーティ、、、全身にオールドハリウッドを浴びるようなこの数分。「こんなの観てしまっては、俺はもうダメかもしれない」そう呟いてしまうのは、タランティーノへの祝福である。
以上の4作品の他にも、『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』(2020) や『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021) のトレーラーは存外良かった。トレーラーが良いから、映画本編が良いと言えるわけではないが、傾向として
トレーラーと本編どちらも良い時は、良さのベクトルが違う
音楽の良さ (上の例で言えば、The VerveのBitter Sweet Symphony、Creepのカバー、Pink FloydのEclipseのカバー)
がある。
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