虚空のスキャット
個々の映画について語ること
極めて内省的なベスト
作家性に注目して、映画作家とその作品を見つめ直す
現代のビジネス環境では、革新的なアイディアと技術は企業の貴重な資産であり、それらを保護するための知的財産戦略が重要です。特に、モノ売りからコト売りに舵を切ったソニーグループ、日立製作所、ダイキン工業などの企業と「知財を重視する」という方向性はマッチしています。というのは、大企業において、知財部員は、「グループ全体のポートフォリオの組み替えについて、経験を積める立場」にあると言うことを意味しています。これは、テクノロジーの会社にあって、エンジニアには到底習得しえない能力(価値)
私がここ2年ほど心身を捧げた物性物理学において、トポロジカル物質は非常に注目を集めています。これは、「トポロジカル」という名の通りトポロジー(位相幾何学)と物質科学の学際分野、すなわち、トポロジカルに特徴づけられた電子状態に起因する新規物性開拓を目指すものです。 トポロジーは「連続変形に対する不変性」に関する数学の概念ですが、これは今や物性物理に限らず、あらゆる領域において当初予想を超えた広範な基盤を与えることが期待されています。ひとつの例として、近年のデータサイエンスに
数年前は映画に狂っていたはずなのに、今年は指で数えるほどしか見ていない。来年は、目指せ50本! トップガン マーヴェリック 視線劇という古典的サスペンス、そしてその視線が結実するラストシーンにおけるTクルーズの接吻の美しさ。それこそハリウッドが最期まで持ちうる極めて幸福で経済的な祝福であることなど言うまでもない。過不足なく”映画”であった。 殺し屋ネルソン 隠れた傑作(とされている)。蓮實重彦の思い出らしい。 ドン・シーゲル初期の作品とはいえ、既にミニマムな撮り方は確立さ
なんとなく暇だったので今年読んでよかった本を思い返してみた。毎年思うことだが、いろんな種類の本を読みたい、たとえば小説とか、ビジネス書とか。なかなか難しいのだが。 ジャンルとしては、今年もやはり専門書が多かったが、下半期は特許・知財関連の本が多かった。未来への布石である。 トポロジカル物質とは何か / 長谷川修二 初めて読んだのは、大学院に入る前の3月だった気がする。今読んでも新たな発見があるし、何度読んでも楽しさを覚える。この本は一般書(入門書)に位置付けられているはずだ
特許要件のうち、多くの場合に問題となるのが新規性と進歩性である。そのため、これらを有しているかの判断が特許出願においては必要である。その検討のためには、まず、従来技術(公知発明)を把握することになる。ここでは、学術誌や書籍のみならず、特許情報を検索し、特許調査を行うことが重要となる。 特許調査 特許出願がされると、出願日(優先権主張を行っている場合には優先日)から1年6か月経過後にその出願内容が出願公開され、公知となる。出願公開された特許情報は、特許公報として入手すること
気づけば、京都という街を出てから一年がたってしまった。あの不思議な空間が現実なものだったとは未だに思われず、ふと幽玄の世界へ手繰られるような甘美な錯覚を覚えてしまう。そして、「現世と冥界を往還する資格」など持ちえないと判断した私は、1年前の今日、京都を去ったわけである。 そんな1年前には到底想像もつかない現在の世界の変貌ぶりには、ひたすら高級な振る舞いが躊躇される。何やら秘密めいたからくりで動くチャットボットが毎日のように世界を騒がしている。そして、俗衆で持て囃されてきた企
ここ最近、といっても数ヶ月だが、映画への興味を失っている気がする。興味を失うというのは妥当な表現ではなく、抗い難い興味の変化がそこにはあると言った方が遥かに適切だ。それは昨今叫ばれているような、映画というメディアが古典的なものと位置付けされるようになったという社会学的な議論ではなく、極めて個人的なものであると同時に、芸術の崇高な世界がその崇高さをより強固にしたという事実でしかない。そして、それはゴダールの死と関係していると言わざるを得ない。 ゴダールがその特権を利用するかの
2022年に配信で観た映画のうち、印象的だったものに関してここにまとめておく。 ヒッチ・ハイカー(1953年) アイダ・ルピノというあまりに偉大な女性監督。最小限の手数で撮るべきものを撮れてしまう技術力。50年代アメリカ映画にしてはあまりにコンパクトで驚く。 ゾディアック(2006年) 今年ベスト。ゾディアック事件に偏執的になる3人の男たち。ジレンホールの色気を漏らさず映すショット。鑑賞から数か月経ってもなお、"Hurdy Gurdy Man"が頭から離れない。 ペンタ
2022年がもうすぐ終わるそうなので、今年、映画館で鑑賞した映画のうち、印象的なものをまとめておこうと思う。自宅で配信で観たものは別の記事でまとめておくつもり。 今年、日本の劇場で公開されたものアンチャーテッド(2022年) 京都二条で鑑賞。興奮したのをよく覚えている。巧いわけではないが、ルーベン・フライシャーにはこれを求めていた。 https://note.com/gm_magapink/n/n42086fb232ca 秘密の森の、その向こう(2021年) 渋谷Bunk
2021年 セリーヌ·シアマ監督 ひとまず上品だといって差し支えないであろうその格調高いオープニングに目を奪われた観客は、この紛れもないフランス映画を最後まで見届けたいという知性的な欲望へと焚きつけられることになる。少女が遊び相手であろう老婆たちに順々に別れを告げていき、その姿を長回しで追い続けるカメラが最後に捉えるのはどこか寂しげな母親の後ろ姿である。そして画面いっぱいに映し出されるタイトルは何やら暗示めいたものを思わせるが、このアヴァンタイトルに私は何か美しいものを確信
つい先日、六本木の美術館にルートヴィッヒ展を見物しに行った。この展覧の目玉はおそらくピカソやウォーホルだろうが、私が何より覚えているのはモディリアーニだったことを告白しておく。『アルジェリアの女』という無装飾な名前をもつ絵である。特有の相好表現と色遣いに感じるものがあるが、私はそこにこびりついたモディリアーニの死の匂いを香ってた。ジャック・ベッケル『モンパルナスの灯』の影響だろうか、ベル・エポックの終焉を知っていたかのような焦燥と映画の残酷さを思い出す。ここに描かれている女も
最近は、アカデミアに残ることこそが最上のキャリアである、という価値観に触れることが多い。どんなに有名企業に入ろうが、どんなに収入が高かろうが、アカデミアに残れなければ負けらしい。自分が工学系出身だからか、あまり馴染みの無い考え方だったが、なるほど、今の自分ならこれはよく理解できる。 —————————————————————— 所属する組織にアイデンティティを求めることが出来たらどんなに楽だろう。目の前に見えたレールの上を走っていくだけだ、それは良い大学を出た人なら簡単なこ
何の気なしにニュースを開けば「ジャン=リュック・ゴダール監督が死去」という文字が目に飛び込んできて絶句した。自分の中であまりに大きくなりすぎていた存在がこの世から永遠に奪われてしまったという事実にはひたすら嗚咽するしかなかった。ただでさえ気の滅入るような日々の中で、この訃報は到底耐えられそうもない。しかし、何かほかのことをしてみようとするもひたすら空転するしかなく、彼の作品について考えることしかできない。今にも崩れ落ちそうな精神状態のまま、疲れ果てた体はただどうすることもでき
つい最近、表題の実験について詳細に調べる機会があったので、その時まとめたノートをここに記しておく。あくまで内省的な記録であると同時に、この実験について日本語で書かれた記事は筆者が知る限りほとんど存在しないので、誰かの役に立てば嬉しいと思っている。あくまでアウトラインしか書いてないので、具体的なデータなどは実際の論文を参照してください(フルペーパーはドイツ語だったり英語だったりするのだが...) 0. 磁束の量子化とは何か 超伝導体でできたリングを考える。このような多重連結超
ジョン・フォードが映画を完成させてから一世紀近く経つというのに、今だにまやかしのような技術で塗りたくられた現代映画と戯れている我々はその“時代錯誤”にひたすら無自覚であるからこそ、東洋の島国に住む若い男にとっては今回のフォード特集はごく細やかな僥倖だったと言ってよい。 スクリーンに映るジョン・ウェインの背中を観れば、映画が既にジョン・フォードによって完成されていたという事実を確信するしかなく、また二十一世紀の東洋の島国で私がこのショットに立ち会えたという感動に私はひたすら嗚
「相手がマスクを外し、口元が覗いた瞬間にふと胸をつかれるような思いがする。なるほどコロナ時代にはこんな心の動きが可能となるのか、などと少し驚きながら相手に笑みを返す。」 これは、若さの発露としての意思疎通である。澄明な泡沫が弾けるような会話には、確固たる恋慕の存在を確認するほかない。しかし、未熟な自分を強く意識するようで少々気恥ずかしくもなるのだ。 ______________________ 全身の神経細胞が破壊されるような心の動きを悟られまいと必死に取り繕うようにどう