さっぱりした関係なんて嘘。私は焦げ目のついたグラタン皿を捨てられない
「大空が年末で閉店するらしいから伝えといてって」
滅多に連絡をとらない弟からの、家庭の業務連絡の末尾に放り込まれたひとこと。
「大空」
たった2文字で私は過去に引き戻される。
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ぐりる「大空」は、昔ながらの洋食屋だ。
大空の最寄り駅は急行が止まるが、急行に乗っても渋谷までだいぶかかる。そんな典型的なベッドタウンの中で、目立つ広告や看板もなく、細い道にたたずむ2階建の店。2階もあると大きそうに聞こえるが、ここ10年は基本的に1階の15席だけで足りていた。
平成も終わるという2018年に、公式HPもない小料理屋。食べログの評価数は3件。2019年2月の今初めて知った。たったの3件だけれど、3件「も」投稿した人がいることに驚くような個人経営の洋食屋。
私がここに通ったのは3~9歳頃と、16~25歳頃だった。
小さい頃は両親に連れられて月に一度程度通った。
その当時、私が一番食べていたメニューはオムライス。家で食べるオムライスはケチャップライスに卵が乗っているだけだけれど、大空のオムライスは美味しいソースがかかっている。「大空でしか食べられない」そんなご褒美感があった。
両親が不仲になり、家族揃っての外食がなくなると共に、いつしか行かなくなっていた。両親の不仲なんて一朝一夕に突如立ち上がるものではないから、家族の外食がなくなることに慣れると同時に、オムライスを恋しいと思う気持ちも、大空のことも、あっさりと忘れていた。
高校生の時はとにかく家に居たくなくて、当時持っていた全ての貯金はライブハウス通いとライブグッズにつぎこみ、それ以外の時間は近所の個別指導塾に熱心に通うことで逃げていた。当時、両親はとっくに別居し、弁護士を間に立てて離婚に向けて財産争いをしていた。親権については「全く欲しくない」という父の意向により、母親が親権を持つことが決まっていた段階だ。
思いがけない再会は、高校2年生のある夏の日に起きた。
土曜日だったから午前だけの学校の授業が終わり、塾までの間に食べるお昼ご飯を探していた時のこと。不意に見覚えのある木の扉を見つけた。
「え?もしかして???昔家族で通ったレストラン????」
突然のことに感情が整理できず、その日は扉を開けることなくその場を去った。
翌週になっても、あの扉の先が気になって仕方なかった。
散々迷いながらも、前週と同じように土曜日の昼に足が向いてしまった。
おそるおそる扉を開けたけれど、そこにマスターの姿はなく、見たことのない金髪の女の子にさらっと
「すいませーん、今昼休みなんですよね、ランチだったら13時くらいまでに来てください」
と言われて終わった。勇気を出して扉を開けた分、気が抜けた。
けれどそれよりも、扉を開けた先の景色は、紛れもなく、むかし通った店だったという事実に興奮した。
店の奥にある謎の絵も変わらない。本当に同一の店だったのだ。
数日後、改めて制服のまま昼ごはんの時間に入店したら、変わらないままのマスターがそこに居た。見た瞬間にわかった。思い出した。オムライスと店の雰囲気しか覚えてないと思っていたけれど、幼い頃の記憶は自覚よりもはるかに濃く沁みついていたみたいだ。
((うわーーーーーーーーーーーーーー!!ほんとに合ってたみたい!どうしよう!!!!))
どきどきしながら促された席につき、日替わりメニューから適当に頼む。オムライスを頼もうか悩んだけれど、今日は「小学生の頃の私とはちがう」と背伸びをしたかったから避けた。
前菜に出てきたコーンスロー。
一口食べて驚いた。
この味を、覚えている。
久しぶりだと感じた。
感激しながらひとりでランチを黙々と食べていると、
りんりーん、りんりーん
電話が鳴った。
あぁ、黒電話!私はこの店でしか黒電話を見たことがない。まだ動いていた。16歳にして懐かしいという気持ちをこんなに感じるなんて。私の人生最初の「懐かしい」は大空に持っていかれた。
極めつけは、メインディッシュの際に出された白米を乗せた皿。
あまりにもくっきりと覚えていて、見た瞬間に思わず息をのんだ。
記憶と違うのは、皿の端が少し欠けていたこと。
何も変わらないように思えていたけれど、時間は確実に経っているみたいだ。
ランチタイムが終わりに近づくころ、先客が去り、客が私一人になった時にマスターが少しだけ話しかけてくれた。そこで思い切って昔の常連客であることを伝えた。
幼稚園くらいの頃に頻繁に通っていたこと。訪れていた時の家族構成と特徴。両親の不仲により来なくなり、先週自分が偶然見つけて、もしやと思い入ってみたこと。
嬉しいことに、マスターはすぐに思い出してくれた。
「あーーーーーーーーーー!あの子なの!??????大きくなったねぇえええええええええええ!!!!!」
「なんで学生の女の子が一人で来るんだろうって最初びっくりしてたんだよ!あーーーーーーーーなんだそういうことかぁーーーーーーーー!!!!!」
当時はマスターの驚き方に私のほうが驚いたけれど、たしかに女子高生が一人で訪れる店じゃないなと、28歳の今なら思う。
最後にランチ代1,000円を払う時
「また来てね、いつでも。」
と笑顔で手を振って見送ってくれた。
それ以来、毎月1~2回通った。ランチ・ディナー問わず1,000円で食べさせてくれる上に、マスターやアルバイトの女の子、時には常連のお客さんとのおしゃべりがある太洋は私にとってあっという間に大好きなお店になった。
ランチタイムが終わる14:30にマスターは近所の自宅に帰ってしまうけれど、その後もだらだらとバイトの子に相手をしてもらっておしゃべりをしたりもした。
同級生と探り合いのコミュニケーションをとるよりも、「いい・わるい」「盛り上がる・すべる」の反応がわかりやすく見えて、かつ失敗しても大丈夫という環境に助けられることも多かった。
彼氏を連れて行ったこともあれば、男女問わず友達を連れて行ったこともある。私の学生時代の友人に最も会ったことのある人は、間違いなくマスターだ。
なぜ友人を連れて行くようなシチュエーションが起こるのか。
具体例として、今思い返しても不思議な会の思い出をひとつ。
私が大学生5〜6年生の時に所属していた研究室は「たまたま入ることになった、ほぼ初対面の3人」がメンバーだった。この研究室は同じ学部の人の大半と異なるキャンパスにあるため、これまで培った友人との接触が激減する。そういった背景のため、研究室のメンバー間で仲良くするのは重要項目となる。そんな3人がさぐりさぐり見つけた共通言語は、麻雀だった。
自炊ができる人が2人と自炊経験ゼロが1人の3人組が最初に決めたルールは「昼休みに3人でオンライン麻雀をして、負けた人が翌日の昼ご飯当番になる」だった。料理にかかった費用は3人で平等に割るが、作る手間は負けた人が持つというルール。
これだけ見ると自炊経験ゼロの1人が不利に見えるが、彼がこの3人の中で最も麻雀にかけている時間が長かったため、自信満々で承諾し、麻雀昼飯の日々が始まった。
キャンパス内に学食はあるし、自転車で10分以内にいくつか昼食を食べる場所くらいある。
それでもこのルールが続いていたのは3人で同じ時間を過ごすことで、共通の話題を作っていこうという姿勢があったからだろう。
ちなみに麻雀結果を見ると、一番麻雀に自信のあった彼が最も負けが多く、昼ごはんを必死で準備していた。実にほのぼのとしている。
そんな日常の話をマスターにしたら、意気揚々とゲーム(デジタル)よりも実際の牌を触ることの大切さを語り始め、あっという間に常連のお客さんも加わり麻雀の話で盛り上がった。私が大洋を訪れると麻雀話が定番ネタとなる日が続き、いつしか「雀卓あるから研究室の人たちを連れてきてみんなで2階で麻雀をやろう」という話になった。
仲は良かったが、出入り時間に拘束が殆どない研究室のため、わざわざ3人で時間を合わせて夕ご飯を食べになど行かない。しかも大空は大学から特別近いわけではない。
実現するとは思えなかったが、ダメ元で誘ってみたところ「美味しいご飯が1,000円食べれてそのまま麻雀ができる」という店は求心力があったようで、見事3人で大洋を訪れることになった。
マスターのご飯を食べ、その時たまたま居たお客さんを加えた4人で2階で麻雀をした。
本当はマスターがどこかでお客さんと交代する予定だったのだけれど、そういう時に限ってお客さんがひっきりなしにやってきて、マスターはずっと対応に追われていた。その時のバイトちゃんによると、マスターは早く加わりたそうにしょっちゅう天井を眺めてたそうだ。
その日は「だって牌を転がす音がするんだもん!そりゃ行きたいよ!」とふてくされていたマスターを笑いながら店を後にした。
研究室のメンバーからも「おいしい料理を食べて、その料理代だけで麻雀やり放題」という場所はとても好評だった。でもそれ以降、特別もう一度行こうという話にはならなかった。彼らとは、大学を卒業してから一度も連絡をとっていない。研究室の関係なんてそんなものだ。
こんな感じで、なにかと理由をつけて何人もの友達を連れていった。マスターへは親よりもよっぽど詳しく近況を伝えていた。
お店にいる間は仲良くする。それ以外のつながりは特にない。ぬるくて、さっぱりした関係。
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社会人になり、実家を出て一人暮らしを始めるとともに、物理的距離に比例して訪れる回数ががくんと落ちた。閉店の連絡をもらった時、最後に訪れたのは2年以上前だったことに気づく。
閉店までに行かなきゃ行かなきゃと思いつつ、なんとなく先延ばしにしていた。
でも、もう12月が終わってしまう。ここで行かなきゃわたし、絶対後悔する。
一人で行くか、お店に連れて行ったことのある友達を連れていくか、それとも彼氏と行くか。
すこし悩んで、結局、当時婚約(現在は結婚)していた彼氏を誘ってみた。
実は、彼には以前断られたことがある。私にとってアットホームすぎるから、と。今回もやっぱり渋られた。それでも、「最後だから」「結婚予定だと報告したい」と頼み込み、OKをもらった。
12月最後の土曜日の昼。3連休の中日だけど大丈夫かしらと心配しながら、予約のために電話をかける。
りんりーん、りんりーん
この電話の向こう側できっと変わらず、あの黒電話が鳴っているんだろうなと想像しながら待つ。
8回ほどの呼び出し音の後、
「はい、ぐりる大空です」
変わらないマスターの声。それだけで涙が出そうになる。
「ふり子ですー。ご無沙汰してますー」
「え!えぇ!?ふり子ちゃん!????久しぶりだねぇ!」
「今晩お店いけたらなーと思ってるんですけど、空いてます?」
「うん、大丈夫だよー。昨日と明日は多いんだけど、今日は19時に3名の予約があるだけだから大丈夫」
「じゃあ、19:30頃に2人で行けるようにしますねー」
「え、だれ?彼氏?」
「うん、そう」
「ひゃー!楽しみ!待ってるよー!」
笑いながら電話を切って、ふうとため息をつく。なんで電話ってこんなにもその人を身近に感じさせるんだろう。
予約をとるだけで懐かしくなっていたら、訪れた時に最後だって思ったらどうなってしまうんだろう。
今住んでいる家からは、片道約2時間かかる。
乗りなれた行先を示す電車に、急行の文字を待って乗り込む。
私は何を話せるだろう。何を伝えなきゃいけないんだろう。
気持ちはまとまらないまま、降車駅に着いた。
ドアを開けるとすぐ、厨房にいるマスターと目が合う。
「こんちわー」と挨拶から始まる。
常連客が「マスターとのおしゃべり」も期待して訪れる、淡い赤い照明のお店。
一見すると特に変わったところは見当たらなかった。
「いらっしゃい。お任せでいいかい?」
「うん」
「はー!彼氏さんですか!優しそうな人だねぇ。ふり子ちゃんは本当に男運のいい女だなぁ。
はじめまして。お名前はなんていうんですか?」
簡単な挨拶と、近況報告を少しばかりしてから、料理が運ばれてくる。
この日はバイトがおらず、マスターが自分で作って運んでくれた。
以前とあまり変わらないお皿に乗った、美味しいごはん。
いつもの味のコーンスローも出てきたときに、今後は食べられないことを思って、涙がこぼれてしまった。
マスターは気づいていたはずだけれど、何も言わない。
メインディッシュを食べているとき、マスターに
「おいしいかい?」
と聞かれて
「おいしいよ!」
と元気よく答えた。
10年間、まったく変わらないやりとり。
これが二度とできないなんて、寂しくてしょうがない。
「もうこのご飯が食べられないなんて考えられない!」
「何言ってんだい、ふり子ちゃんのごはんはおいしいでしょう?」と彼に話をふるマスター。
「はい、おいしいです」とはっきり即答してくれる彼。
私は何も気の利いたことを返せず、黙って泣きながら食べているのが精いっぱいだった。
先客の3人家族が退店し、別の妙齢夫婦が訪れた。
この夫婦もやはり常連のようで、マスターとの会話も弾む。
私は食べ終わってからも泣いたり、泣き止んだりを頻繁に繰り返していたから、あまりマスターとの会話はできなかった。
それでも今食べている妙齢夫婦へご飯を出し終わったら手が空いておしゃべりできるだろうと思って、だらだらと待っていた。
常連のおばさんはストレートに
「閉まっちゃうなんて考えられない」と伝えたり
「マスターのジンジャーシャーベットのレシピは頑張って練習するよ」
と声をかけたりしていた。
私はコーヒーを飲まない場合にのみ出される、他では味わったことのないマスターのジンジャーシャーベットを思い出して一人でぽろぽろと泣くだけ。
こういう時に明るく会話が続けられる人になりたい。
おばさんは続ける。
「なんでやめちゃうの?」
「うーん、もう疲れた!疲れちまったよ!」
そういえば、マスターはもう70歳を越えたくらいじゃないだろうか。とぼんやり思う。
「最終日どうするの?」
「最終日は雑煮しかやらないって決めてんだ!何もオーダーできないよ!」
と笑わせる。
あぁ、花束でも持ってくればよかったかな。
目の前の彼とも特に会話せず、おばさんとマスターの会話を聞きながら勝手なことを考えていた。
妙齢夫婦に
「好きなもの持って行っていいよ!」
とマスターが声をかけた。
何かを選ぶふたり。そのやり取りを聞きながら、私だったら欲しいのはなんだろうかと考えた。
特に浮かばない。
店の装飾はサイズからして持ち帰るのが難しそうだし、調理器具は使い込まれている。
綺麗な食器をもらっても大空らしさがなければ意味がない。
そんなことをぐるぐる考えていたら、私にも好きなものを持ち帰るようマスターは声をかけてくれた。
どうしよう。まだ思い浮かばない。
とっさに買いたいなぁと思いつつ買ってなくて、かつ、大空でのお皿の記憶があるものを言った。
「グラタン皿がいい」
マスターは気前よく「これはだめだけどこれなら大丈夫」と
きれいなグラタン皿2つと、焦げ目がこびりついた馴染みのあるグラタン皿2つの計4つをくれた。
普通ならきれいなグラタン皿がいいだろう。
でも、今の私はちがう。焦げ目のついたお皿がいい。きれいなグラタン皿はただのお皿。思い出がのっている焦げ目のついたお皿の方が、私にとっては価値がある。
結局妙齢夫婦が食べ終わると、マスターはすぐに店じまいを告げ、ゆっくりおしゃべりすることはできなかった。
最後の会計時、
「もう掃除ができなくなってきたんだ」
と悲しそうに笑うマスター。
言われてみてはじめて、厨房とフロアに近い床がひどくぬるぬるしていて、滑りやすい状態になっていることに気付く。
そんなのバイトにやらせればいいじゃん、と一瞬思ったけれど、それ単体で解決するものでもないんだなと思い直す。
バイトの子が「洗剤で手荒れがひどいから皿洗いができない」と言い出しても辞めさせるようなことはなく、マスターが自分でお皿を洗う。マスターはそういうひとだ。
ごはんのお礼を伝え、最後のお別れをした。
信じられないくらい淡泊だった。
でも、ずっとそういう関係だった。
お店でつながる、ぬるくてさっぱりした関係。
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メニューはほとんどのお客が「お任せ」。
オーダーを言わなくても席に座っておしゃべりしていたら、いつの間にか最初のサラダとスープが出てくる。
日替わりでメイン料理が3品貼られているから、食べたいものがあれば、もちろんそれに変更もできる。
たまに変わる定番メニューの味に
「あれ、今日の赤いスープなに?美味しい」
なんて訊いた日には
「それは、ほうれん草だよ」
なんて大嘘が平気で返ってくる。
※赤はアクセントで入っていた明太子による色でした。
気になるお値段は、昼でも夜でも1,000円。
これで美味しい5品程度のコース料理+コーヒーorジンジャーアイスクリームを出してくれるんだから、最高としか言いようがない。
数え切れないほどお世話になった。
それでも閉店した今、マスターへ連絡をとる術はない。
家で焦げ目のついたお皿でグラタンを食べるときだけぐりる「大空」を、マスターを、思い出す。
それだけ。
ぬるくてさっぱりした関係。
それでも、私はこの先何度引っ越ししたとしても、この焦げ目のついたグラタン皿を捨てないだろう。
※店名は架空のものです
サポートありがとうございます!値段のないところにお金を出してもらえるって、本当にありがたいことだなぁと感激しています。大切に使って、そこから得たものを書いて恩返しさせてください。