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新居

 線路沿いの家に住むことに憧れていた。
 家のすぐ横が線路のような、電車が走るたびに振動で軋んでしまうような家に。

 安い賃貸マンションの2階の角部屋なんかが理想的だ。自室の窓を開くと眼下に線路がある。永遠に続くようなそのレールの上を、2両編成の普通列車や何両も連結した特急列車が走っている。列車が通った後には警報機がけたたましく音を立て、やがて静寂に包まれる。

 線路沿いの家に住んだら、窓辺に椅子を置いてみよう。テーブルは置かない。椅子に座って、コンビニで購入した98円の水でも飲みながら、列車が走る様子をぼんやりと眺める。水を飲み干しても窓の外を見続ける。
 電車が1つ過ぎ去ったら1本、また1つ過ぎ去ったら更に1本とタバコに火を付ける。銘柄はアメスピの6ミリ。飽きたら吸うのをやめる。電車が行った後にはレールを眺めて、世界の終わりについて思いを馳せる。お腹が空いたらキッチンの二口コンロでパスタを茹でる。日が暮れてきたら電気をつける。およそ15分ほどかけて作られたその料理を、椅子の上に置いてまた窓の外に耳を澄ます。そんなことをしながら幾つもの電車を見届け、最終電車が通過する時間に眠りにつく。翌朝、始発電車が通る時間になったら起きる。そんな風に毎日を過ごして老いていく。

 どうしてこんなに線路沿いの家に憧れているんだろうか。理由はわからない。電車は特に好きではないし、旅行もあまり行かない。線路という電車が往来する場所、その近くに定住し、安全地帯から世界が絶えず変化する光景を楽しんでいるのかもしれない。

 線路からは物語がはじまりそうな予感もしている。くるりの「赤い電車」ではないが、通勤にしろ旅行にしろ、列車に乗って移動し、別の場所に向かう過程に線路は存在している。多様な人々が列車に乗り込み、線路の上を通過している。その様子を想像して、刺激のない日常の生活に変化を与えたいのかもしれない。実際は大したことなど起こりもしないのに。

 はじまりの予感と同様、線路は終わりの象徴でもあるように思える。Googleで調べてみると、昨年の鉄道事故での死者数は287人だった。そういえばゲゲゲの鬼太郎にも「幽霊電車」なんて妖怪がいたな、どんな妖怪なのか忘れてしまった。線路沿いの家に住んだら、深夜に「幽霊電車」を眼にすることもできるのだろうか。

 5年間住んでいた家を引っ越した。新居は駅から徒歩15分、線路からある程度離れた場所にある。結局線路沿いの家には1度も住んだことがない。線路沿いに住んだところで、実際のところは騒音がすごいだけでろくな事が無さそうだ。しかし、線路沿いの家に住むという憧憬を未だに捨てられないでいる。