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TAFRO症候群×新型コロナウイルス感染16日目:膠原病科へ転床。偶然の顔合わせ、看護師さんと一緒に涙

呼吸器科のベッドで肺炎の治療を続けている父。1日2〜3回のうつ伏せ酸素投与と痰を出しやすくする吸入以外になにか治療をしているのかどうかはわからない。LINEのやりとりはあるけど、声を聞いているわけではないからどのくらい苦しいのかもわからない(父はだいたい「大丈夫だ」と言っている)

それに、もともとの入院目的だったTAFRO症候群の治療方針や、腎臓数値、CRP、血小板などの数値異常がどうなっているのか(TAFROの症状なのか?それともコロナの症状だったのか?も含めて)その辺もまったくわからない。

「先生にお任せするしかない」という状況は、なんだか不思議だ。もちろん素人の家族に何かができるわけではないけど、何も知らないことはこんなにも人を不安にさせるのだ。聞いたからと言って安心するのは「知っている」という部分だけ。だから何ができるの?というわけでもない。たとえば「(自分の)知らないうちに悪くなっていた」とか、そういう状況を恐れているだけなのかもしれない。自己満なのかもしれないね。

自宅待機が明けて病院に必要備品を届けにいく

入院16日目。濃厚接触者としての14日間の長い長い自宅待機を無事に乗り切った娘。前日には保健所の職員さんが「今日で待機期間が終了しますが、お変わりはないですか?」とわざわざ電話をくださった。医療関係者だけでなく、保健所など行政で怒涛の忙しさを引き受けてくださっている方たちにも本当に感謝をお伝えしたい。ただ、ありがとうと言葉で言われるよりもきっと、感染者、感染疑いの接触者が減ることの方を望んでいるに違いない。ご迷惑をおかけして申し訳ない気持ちだ。

別に会えるわけじゃない。それでも父のいる病院に行きたかった。だから待機が明けたこの日、職場に行き、仲間にお詫びとお礼を伝えた後、父に無理やり聞き出した「持ってきて欲しいもの」を持って病院に向かった。たぶんそんなに急を要さないものばかりだと思う。だけど何か口実を作らなければ病院には行けないのだ。また自己満なのだがね。

車に乗る前、父から連絡があった。「個室から大部屋に移るそうです」まあそれがいつのタイミングなのかは例によってわからないけれど、多分スタッフステーションに一番近い病室だろうと想定しながら車を走らせた。

少ない荷物を持ってエレベーターに乗る。膠原病科の階で降りて右手の病棟に進む。目の前がスタッフステーション、受付で面会票と検温、コロナ問診票に記入していると「看護師に連絡しますのでお待ちくださいね」と受付の方に言われた。「あ、荷物を受付の人に渡すだけじゃないのね」という状況に、看護師さんから父の様子を聞けるのかとちょっと期待。

椅子に座って待っている。目の前は想定していたスタッフステーションに一番近い病室の入口だ。ふと目をやると入口脇にベッドで使うテーブルと、その上の私物が見える。

ん?あれは…父のやつ!

「なんとタイミングの良いこと」とのちに看護師さんに言われるのだが、父から無理やり聞き出した荷物を持って病院に行ったら、病室移動とはちあわせたのだ。

実はこういうの、何回か経験している。
コロナで面会できなくなってからというもの、ちょうど検査からの帰りとか、リハビリに行く前とか、そういううまいタイミングで私は病院に行っている。ただの偶然にしちゃ出来過ぎのような気もするけど、個人的には引き寄せや宇宙のなんちゃらとかで説明するのもしっくり来ない。

肩に手を置き、一緒に泣いてくれる看護師さん

5分ほどで、看護師さんたちが父のベッドを父ごと運んできてくれた。入口を頭から通る際、少し背中を起こしていた父と目が合う。手を振る。頷く。たった数秒の「面会」だったけど、生きているんだなと思ったら頭がぼーっとしてきた。

どうやら泣いていたらしい。だけど気づかなかった。
父のベッドを設置して病室から出てきた担当看護師さんが、座ったまま動けない私に近づいて『ちょうどタイミングが良かったですね!本当はもう少しゆっくり会えたら良かったのだけど…って、大丈夫ですか?』と聞かれてようやく自分のメガネとマスクの中がぐちゃぐちゃになっていることを自覚したのだ。

そっからはもう、止まらない。「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら泣いている私の肩に、こんな時なのに手を置いてくれて、一緒に涙ぐんでくれているもんだから余計に止まらない。

頼まれていたペットボトルのお茶2本とおしりふき、そして食べられるかどうかもわからない父の好きなハムサンドが入った袋を手渡し、しゃくりあげそうな声を必死にコントロールしながら『よろしくお願いします』と看護師さんになんとか伝え、ヨロヨロと歩き出す。下のボタンを押して、エレベーターホールで声を上げて泣いた。その場にいた人たちに気を遣わせながら。今思えば食堂とかトイレとかに逃げれば良かった。一体なぜ泣く場所に、よりによってエレベーターホールを選んだのだろう。もはや自分がわからない。


***

まだ、酸素飽和度の値が下がることがあるらしく、容態は安定しているとは言えなかった。すでに見た目でわかるほど痩せてしまってたし、おそらくまたイチからリハビリをやり直しだ。それでも峠を越え、父は生きている。

生命力がハンパない父と、泣き虫ですぐ悪い妄想に振り回される娘。コントな日々はきっとまだまだ続くなこりゃ。



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