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「何かあったらすぐ来れるように待機していてください」【総合病院E-ICU1日目】

相当びっくりしていたのだろう。父は荷物を4つも持って救急搬送されていた。中身を確認すると、持っている全通帳、よくわからない組み合わせの衣服、洗濯物干しからひったくったのが容易にわかるしわくちゃの下着2枚…など。「着替えとか持っていったほうが良い」と近医スタッフからアドバイスされ、しんどい体を押して家に戻り思いつく限りの入院グッズを詰め込んできたらしいが、リュックは驚くほど軽い。『ぜんぜん大したもの持って来れなかったんだ』と父は苦笑いしていた。

そりゃそうだ。はじめての救急車、はじめての入院。何を持っていけば良いかなんてわからない。混乱も相当だっただろう。それでも『俺はもう2度とこの家には帰って来れないかもしれない』そう直感した父はリスクを承知ですべての通帳と印鑑を小さなセカンドバッグに詰め込んでいた。

泣きそうだった。

まだ冗談も言える。話だって普通にできる。ちょっと管に繋がれているけれど「身体が怠いだけなんだよ」と笑みすら浮かべている。なのにグレイ先生は「脳出血や多臓器不全の可能性が高く、いつ急変してもおかしくない。急変すればたとえ救命センターで処置をしても助けてあげられないこともある」とコトの深刻さを話してくる。見るもの・聞くものに頭や感情が全然追いつかないのだ。

父本人はきっと、もっと、そうだったはずだ。

血小板輸血が届き次第すぐに輸血を開始します。今、急いでもらっているんですが…と言われていた。搬送後すぐにどんな菌にもある程度効果のある抗生物質とひどい脱水だったため輸液が投与されていた。

『今夜はここに泊まりますか?あ…でもE-ICUなのでご家族が泊まれるのは待合室しかないんだよな。あそこじゃ休めない。長女さんは家(2時間半かかる)に戻られますか?何かあったらすぐに来て欲しいのだけれども…』

グレイ先生が矢継ぎ早にそうおっしゃった。

私は正直、一晩実家に泊まり様子を見て一旦家に帰る気でいた。病院に着き状況を聞いて最低限数日は無理だと思ったので「いえ、地元にいる予定です。30分あれば来れると思います」と答えた。グレイ先生は私が病院に来る際も「気をつけて来てくださいね。何かあったら連絡しますが、車を安全なところに止めてから折り返しでいいですからね」と言ってくれるなど、すごく気遣ってくれる先生だ。が、たびたびおっしゃる【何かあったら】というフレーズが不安を煽る。

「今日は実家に戻るよ」と父に言い残し、疲れただろうから少し寝れるといいなぁと思いながら、後ろ髪をひかれる思いで病院を後にした。

車に戻ってオットに電話。一生懸命状況を説明しようとするも自分でわかるほど支離滅裂。ひとつひとつ冷静に聞いて確認してくれた。私がこうしようと思うことはことごとく的を射てなくて、そのたびにオットが「それはこうした方がいいんじゃない」と的確にアドバイスをくれた。それでもそのアドバイスが本当にベストかどうか疑ってしまうほど判断力が鈍りまくっていた。

オットと話し、何が起きたのか少しだけ整理できたので、同じく遠方に住む妹に初めて連絡をする。妹ももちろん、動揺。すぐに義弟(妹の旦那)に電話口を変わられた。私の唯一の希望は医療関係者であるこの義弟に話を聞いてもらうことだった。妹もそれをわかっていた。

グレイ先生が書いてくださった文書(例のBSキー連打のやつ)を読み上げる。口頭で説明してくれたのにも関わらず読み方がわからない医療用語。義弟は推察しながら聞いてくれた。脳出血を引き起こせば救命は難航する、義弟はグレイ先生と同じことを言う。「でも救命センターですぐに処置ができる状態だからあまり心配しなくて大丈夫」と話してくれた。義弟に言われ、この日初めて大きなため息が出た。間に合ってよかった、もしもあと少し父が病院に行くのが遅かったら…そう思えたからだ。

後になって妹から聞いた話では、入院患者でもない人がDICを発症するのは聞いたことがない事例だ、とのことだった。院内感染や長い期間管を入れられ感染症を引き起こした高齢の入院患者が発症するのが通例らしい。今になって思えば、この時からすでに希少難病の予感は漂っていた。

翌日、妹が地元に来ることになった。妹もきっとヤキモキした夜を過ごしたと思う。そして私もまた同じだった。ひとりで過ごす実家は電気をつけても暗く感じた。

父は本当にしんどかったのだろう。キレイ好きで整ったいつもの実家とは全く違う散らかった惨状と化していたからだ。夜中まで部屋の片付けに没頭することと、看護師さんから持参するよう言われた入院グッズの準備に勤しむことで気持ちを落ち着けていた。その日はほとんど何も食べず、「何かあったら」のフレーズがリフレインして寝れない夜を過ごした。

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