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TAFRO症候群×新型コロナウイルス感染8日目:ICUから感染者病棟へ。ガラガラ声の電話と「青空っていいな」

前日、LINEをくれたものの、今どんな状況なのかを話すことはなかった父。ICUでスマホを使っているのだろうか?いろんな疑問は残ったままだけど、身体の状態を優先してほしいと思っていた私は、8日目の朝に父にLINEを入れた。

『おはようございます!先日の看護師さんの話では早ければICUを出られるかも…とのことでしたが体調はどうですか?』

1時間経って、父から返信が。

『もうICUを出てコロナ病棟に移りました。嬉しい(ニコちゃん絵文字)』

ここで、今まで聞けなかったことを次から次へと質問攻めにする私。

『良かった!ほんと良かった!今もまだ鼻からの酸素?ご飯やトイレには動けるの?お風呂とかはどうかな?何か足りないものはない?』

よせばいいものを。昨日まで「返信もしんどいだろうから体調を優先して…」とか言っていた自分はどこいった?父も見かねたのだろう、7日ぶりに病室から電話をくれた。

父の名前からの着信に出て「お父さん」と一声発したら、張り詰めていたものがパンと割れて、また泣きながら父と話すことになってしまった。泣きながら「良かったよ、死ぬかと思ったんだよ。○○(妹)と2人で覚悟してたんだよ」とまくしたてる。うん、許せ、父。

『ほんどはね、ぎのうICUをででだみだいなんだげど、おれもまだ、なにがなんだがわがらなぐてざ。げいだいももっどはやぐつがえだらしいんだげどおしえでもらえなぐで、それでれんらぐおそぐなっぢゃっだ』

※本当はね、昨日ICU出てたみたいなんだけど、俺もまだ何がなんだかわからなくてさ。携帯ももっと早く使えたらしいんだけど教えてもらえなくて、連絡遅くなっちゃった

(す、すげー声)

おそらく昨日は鎮静から目覚める過程でLINEをくれたのだろう。その後ICUを出ていたけれど、まだうつらうつらしている状態だったのだと思う。連絡が遅くなったというけれど、もう、そんなことはどうでも良かった。また、奇跡を見せてくれたのだ。TAFROもコロナもどちらも重症になって死にかけた父。医療スタッフのお力添えでまたしても一命を取り留めた。

ICUに送る手はずになっていたボックスティッシュ5箱の行方だったり、病院に行けない私の状況を考えて、必要な備品は父が自分で頼めるかもしれないということだったり、5分ほどガラガラ声の父と話して電話を切った。

『元気の出る曲聴いて頑張ってるよ!』

その後、父が病院食の写真をLINEで送ってくれた。紙容器に入った全がゆとおかず。感染防止にそのまま捨てられる紙容器を使っているのだろう。一緒に添えられた食事の指示書をみると、1,600Kal/日の表示が。おかゆとはいえ通常のご飯だ。

父はこれを「薬だと思って食べる」と言っている。
前の入院の時もそうだったが、父はおかゆが大の苦手。重湯なんて出た日には地獄だと感想をもらったこともあった。

「おかゆだね、それは我慢してください(笑)」「早くおかゆがご飯になるといいね」と私と妹がつぎつぎと返信をする。3人でまたグループLINEができる、当たり前の日常(病院だから非日常か?)をそれぞれが噛み締めてるように感じた。少なくとも私はそうだった。

 
***

数日ぶりの食事をどの程度食べられたのかはわからないが、終わって一息ついたのかもしれない。ふと、窓から見える景色を眺めてLINEをくれたのだろう。

『青空っていいな、すっきりするよ。元気の出る曲聴いて頑張ってるよ』

入院すると父はいつも景色が見える窓際のベッドを希望して、看護師さんができる限り融通してくれていた。

最初にTAFRO症候群で入院した時、E-ICU、救命病棟、無菌病棟で1ヶ月半過ごしたのち、大部屋に移った時は4人部屋の入口側ベッドで。隣の方が退院して空床になった日にカーテンを開けて景色を見せてあげた時の父の感動した様子を思い出す。

『ああ…空を見るのがこんなに気分のいいものだって知らなかったなぁ』

きっと今回もICUには窓がなかった、もしくはあったとしても(眠っていて)見られなかったのかもしれない。こんな風にいちいち「当たり前」に感動できる父を、ちょっと自慢したくなる。

昨年、YouTube視聴を覚えた父。カラオケが好きでスナックで一緒に歌うことも多かったのだが、お姉さんたちの選曲で覚えたのだろう、割と若い人が聴くような曲を知っていてびっくりすることがあった。

中でもお気に入りが、AKB48の365日の紙飛行機で、自宅で朝から何度も流している。おそらくこの時も青空を見ながらこの曲を聴いていたに違いない。データ容量1ギガの父の料金プランを考え、Wi-Fiルーターを持たせていて正解だった。

『扇マークついてるなら、ガンガン聴いて下さいな!』

いたって平和なやりとりだ。


***

ICUを出て、人工呼吸器も外れ、食事も摂れて少しずつ快方に向かっている。順調だ。順調すぎるかもしれない。でもこの時、誰もが「峠を越えた」と思っていた。先生や看護師さんたちでさえそう思っていたと後から聞いた。

父だけが、油断をしていない、いや、まだ安心していなかったようだ。そして翌日、それはまた的中することになる。

もう、なんか、ジェットコースターに乗っている気分。急降下・急上昇。追いつくのがやっとなのよ…


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