パン職人の修造68 江川と修造シリーズ Genius杉本 リングナンバー7
「俺はただのプレゼントで指輪を渡したいだけじゃないのに!」嫉妬も相まって、普段は絶対怒らない、どちらかと言えば温厚な態度の杉本が語気をちょっとだけ強めてしまった。
風花はその事がショックで「龍樹のバカ!」と言って、来た方と反対の河原町の方に向かって走り出した。
「待ってくれよ!危ねぇって」
人混みの中をうまく避けて風花はどんどん見えなくなっていく。
杉本も瞬発力と動体視力を駆使して人混みを避けて走って行った。
四条河原町の大通りを越えて行く時、ここどこなんだと全く土地勘のないまま心配になる。
そのうち橋が見えて来た。
「風花!」
杉本は段々距離が縮まって来た。
四条大橋の手前で信号を渡り、風花はこのままでは追いつかれると思ったのか急に左に折れて鴨川の方へ降りて行った。
「えっ」
川に向かう階段からピョンと飛んで風花に追いついた。
2人はハアハアと息が上がり話せないまま河原に座った。
辺りは段々暗くなり、川の脇の小道にはカップルがどこからともなくやってきて等間隔に距離をあけて座って何か楽しげに囁いている。
杉本は風花が逃げられないように手を繋いだ。
「ごめん」
風花は下を向いて言った。
「何が腹立ったの?」
「修造さんがカッコいいって言うから」
杉本は正直に言った。
「あの人の事は最近怖いのが少しマシになった程度よ。カッコいいって言ったのはパン作りに対する姿勢の事じゃない」
そうだったのか、、ちょっとホッとしたりして。
それにあんな愛妻家見たことねえもんな。修造さんごめんなさい。
「俺風花が誰かに取られたらどうしようって心配だったんだ」
「私は物じゃないのよ?取られるって何よ!私の事信用してないの?」
風花の声は等間隔に並ぶ二人組の遠くまで響いた。
揉めてるの?揉めてはるね。
などと聞こえる。
サワサワと流れる鴨川の音以外には囁きしか聞こえない。
辺りは暗く薄明かりに人のシルエットだけが見える。
杉本は小声で言った。
「風花、パンロンドに入って途中からは俺なりにパン作りを教わった通りにやってきた。それに俺、まだまだ頼りないけど進歩してるつもり」
「知ってるわ。龍樹は頑張ってる。いつもそばで見てるもの」
「だろ?だから俺はこのままで進んで行っていいと思ってる」
「でもね」
と風花は言い出した。
「何故」
「え」
「そんなに勉強を嫌がるの?書いたら覚えられるなら書いたら良いんじゃない?」
「風花、俺は生涯机に座っての勉強はしないと決めてるんだ」
「大人になっても勉強は続くんじゃない?」
「普通に仕事してるのが俺の勉強だよ。それこそガチ勢の先輩もいるし」
「そりゃそうだけど。何故嫌がるの?」
堂々巡りの会話に気がつきもうやめようと思った時「答えて」と言われて杉本の何かがプチっと音がした。
「しつけえな。絶対やらないから。めんどくせえし眠くなるし」
「そう、わかった」
風花はそう言って立ち上がり、さっき降りた階段を登って泊まるホテルのある四条大宮に向かって歩き出した。
杉本は離れて歩き、風花を見守りながら「もうダメかもな」と呟いた。
ロビーでは修造、江川、藤岡が今日行ったパン屋の話をしている最中だった。
店舗の様子や各店の特徴や方向性や売れ筋、シェフの事など。
入ってきた杉本を見て江川が声をかけた「おかえり杉本君、さっき風花ちゃんは上がって行ったよ?」
「そうなんですよ。俺、疲れたんでもう寝ますね。お休みなさい」と言ってエレベーターに乗った。
お風呂に入ってベッドに横になったが全く眠れない。
戻ってきた同室の藤岡が「喧嘩でもしたの?」と聞いてきた。
「風花とはもうダメかもしれません。俺、なんでこんなに勉強が嫌なのか過去を振り返ってました。覚えてないけど何かあったんだろうな」
「トラウマとか?」
「そうかな。勉強の2文字が働いてからもついて回るんだって驚いてます」
「一生勉強だろ。ただ風花の言う勉強はまた違うよね」
「どっちでも俺の嫌いな言葉に変わりありません」
ーーー
「なあオカン」
「ん?」
「俺、いつから勉強嫌いになったっけ?なんでかな」
旅行から帰ってしばらく風花と業務上の最小限の事しか話さず、みんなもなるべく気にしないようにしていた。
ある時帰ってから台所に座って夕食後、洗い物をする母親に聞いた。
つづく
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