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パン職人の修造 152 江川と修造シリーズ 赤い髪のストーカー



工場の奥で働いている田所修造さんだわ。

修造は細長いピールを手に持ち、一瞬ドンとピールで床を突いた。

そして強盗をよく観察してピールの先を強盗に向けた。その時モニカが麻弥を引き寄せて遠ざけた。強盗の刃先が修造に向けられたからだ。

修造は右足、左足と直線上を真っ直ぐ男の方に進み、思い切り踏み込んでバンバンと左手のナイフを弾いて右肩を思い切り突いたので、ピールの先は左肩にめり込んで男は喚いた。

その間はひとつ息を吸って吐くぐらいの短い間の出来事だった。

いつの間にか修造は男を裏返して上に乗り、長いピールの柄(え)男の右袖から左に通して麻弥の足元を見て「紐ある?」と聞いた。

修造に包装用の紐を渡して男が縛り付けられる様を見ていると、足を縛りながら今度は「警察に電話して」と言われたので他の者が慌てて電話しに行った。

ノアが「スゲェこいつ忍者みてぇ」と言ったのでその後修造はみんなから忍者と呼ばれる様になる。

修造はカカシの様に通した棒に足を縛った紐を結んですぐに工場に消えて行った。

その時からだ。

麻弥の心の全てを修造が埋めた。

嫌な事で埋め尽くされていた麻弥の脳内は甘くて温かいもので満たされた。

工房から店への移動中、用もないのに工場の奥を覗いて、修造がチラッと見える度に胸が熱くなった。

修造の写真を隠れて撮り、部屋に貼り付けた。


話しかけたいわ。

こちらを見て欲しい。

それは生まれて初めての感情だった。

でも両方ともできそうで全然出来なかった。

麻弥は男性と話をして気を引く様な事は全く出来ず、修造は麻弥の方を見る事は無かった。

そこで麻弥が考え出したのは「明るい同僚」の設定だった。

高校で見た『クラスの中心的人物で華やかで明るく友達も多い素敵な女の子』それを真似ることにした。

まずメイクを明るめにして、いい匂いをさせ、修造がカゴに入れたブロッチェンを運んでいる時に「修造元気?」と言って腕にチョンとタッチする事から始めた。

修造はろくに返事もせず素早く通り過ぎた。

麻弥は顔が引き攣っていたが、修造はその引きつった顔を見る事は無かった。

麻弥はそれ以降すれ違う度にそれを実行した。

修造が嫌がっているとも知らずに。

クラスの中心で一際派手な女の子が修造の最も苦手とする女性像だった。

修造の高校時代には同級生から空手男とか、無口な修造と言われてからかわれていた。修造はなるべく馴れ馴れしい麻弥と関わらない様に務めたが、麻弥は修造の渡すプレッツェルの入ったカゴを受け取る時抜け目なく手を握ったりした。

秋も終わる頃店内はクリスマスの用意でもっとも忙しくなった。クリスマス用のレープクーヘンに可愛い絵を描いたものを延々とラッピングして箱詰めを続けた。そのうちにいいアイデアを思いついた。クリスマスマーケットにみんなで行く体(てい)にして接近すれば良いんだわ。素敵なクーヘンがあるから見に行きましょうとかなんとか。

「修造、次の休みにみんなでクリスマスマーケットに行ってみない? 珍しいレープクーヘンが沢山売ってるから勉強に行きましょうよ。」麻弥は計画通り明るい同僚の言い方で修造を誘った。

修造は麻弥の肩のあたりを見て「うん」と言った。

これが2人の初めての会話だった。

麻弥達何人かと修造はクリスマスマーケットに出かけた。


生まれて初めてこんなに煌びやかで飾りの凝ったマーケットを見た。

美しい建物が沢山立ち並び、その広場には屋台というよりも、しっかりとした作りの小屋が沢山並んでいて、まるでひとつの街みたいに広い。
木作りの小屋(ヒュッテ)にはそれぞれの店に所狭しとクリスマスのものが並んでいる。

食べ物の店も沢山あるし、クリスマスのグッズがびっしり並んだ店もある。

「凄いなあ」

寒さに震え、みんなで甘くて酸っぱいシナモン味のホットビールを飲んだ。

ほろ酔いになり、会場の店を見て廻った。

『明るい同僚の麻弥』は何かと修造にボディタッチしたが修造にはずっと気がつかないふりをされていた。

修造が他の人とはぐれて1人で会場の奥にある綺麗な観覧車を見ていた。

告白するなら今しかない。

麻弥は今までの人生の自分の中の勇気のかけら全てを集めて言った。

「修造、私修造のことが好きなの。私と付き合って」と色々振り絞って言ったが修造からはこんな返事が返って来た。

「自分は結婚していて、奥さんと子供がいるんだ。もし麻弥と付き合ったら、自分の性格では麻弥のことも自分の奥さんのこともどちらも裏切れないと思う。自分は日本に戻って律子とパン屋をする為にここにいるんだ。だからごめん」

その時初めて修造が自分の方を見た。目力の強い信念の籠った目で。

麻弥はバッサリと振られた。

その瞬間まで、そんな答えが返ってくるとは夢にも思わなかった。何故なら麻弥の中では明るい同僚が振られる事は無い筈だからだ。

途方に暮れ、どうやって帰ったのかもわからない。

麻弥はまた遠くから修造を見てるしかなくなった。

麻弥の心の中は昨日迄の『温かい幸せ』と言うよりは『辛く打ちひしがれた気持ち』に変わり、本来なら修造の事なんて忘れてもっと優しい、麻弥の全てを認めてくれる男性を探すべき所だが、麻弥はまだ探せば修造と自分の間に『温かい幸せ』を得られるのではないかという期待が強かった。

麻弥は辛抱強くその時を待っていたが、そうしてるうちに修造がヘフリンガーを去る時が来てしまった。
マイスターの試験の為に本格的にFachschulen(ファッハシュレ)と呼ばれる高等職業学校で勉強に専念する為だった。勿論麻弥も将来的にはそうするつもりだった。

修造は合格したら日本にいる奥さんと子供の所に帰ってしまうんだわ。
そう思うと凄く悔しくていくらでも涙が出てきて止まらない。

ヘフリンガーに修造はいなくなってしまった。


つづく




(修造のバカ)




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