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往生際の悪さ

往生際
最近耳にすることが少なくなった
言葉の一つかもしれません。

往生際とは
① 死にぎわ。死ぬまぎわ。
また、そのときのさま。 
② 追いつめられて
どうしようもなくなったとき。
また、その時の態度。
という意味です。

私はこの「往生際の悪さ」と
いうことを、我が母が
身をもって示してくれた、
そんな場面に居合わせた
経験があります。

母は15年ほど前に他界しました。
末期がんで、全身の骨にがんが
転移してしまい、施しようがなく、
半年ほど在宅療養ののち、
緩和ケアの病棟(ホスピス)に
入ってそこで息を引き取りました。

私は、最後の1週間ほど、
ホスピスにある母の病室で
過ごしました。

かつては三段腹を誇っていた人が、
骨と皮ばかりにやせ細って
しまっていましたが、それでも
モルフィネで痛みの
コントロールをしてもらえたので、
院内のピアノを弾いたり、
来訪者や他の入院患者の悪口を
叩くくらいの元気がありました。

それが、昏睡状態に入ってしまい、
昼夜を問わず口を大きく開けてい
びきをかき続けました。

そして、ある晩、呼吸が止まったり
戻ったりということを頻繁に
繰り返したため、看護師さんを呼んで
見守っていたら、そこで母は静かに
息を引き取りました。

その後、家族が呼ばれて
病院に来ましたが、
結局最期を看取ることが
できたのは私ひとりでした。

そのまま、通夜と葬儀でしたが、
母は生前とある新興宗教を奉じており、
そのため仏式での葬儀は
してほしくないという
意思を示していました。

そのため、無宗教で葬儀を
行うことになりました。
実家の墓があるお寺さんは、
父の同級生が和尚さん
なので、仏式で葬儀を
しないことに相当な難色を
示されましたが、こればかりは
致し方ありません。

そして、葬儀当日、参列者の方には
焼香も献花もいただくことなく、
希望される方には亡骸と対面
していただくということに
なりました。

参列者のなかに、
お母さんと娘さんの二人で
来られた方がいて、私の母が
宗教に勧誘していたらしかった
のですが、娘さんが私の母のことを
慕っていたようでした。

亡骸に対面したとたん、
その場に倒れ込んでしまった
その娘さん。しかし、ただ倒れた
だけではなく、口から泡を吹いて
呻いていました。

口元で耳を澄ませてみると
「いやだ、いきたくない」
という

私は霊感というのものが
ないのですが
さすがにこれは、
故人の漂っているものに
憑りつかれてしまったことが
わかりました。

その娘さんを、葬儀場裏の
和室に連れて行って
寝かせましたが、ひたすら
口から泡を吹いて呻く
ばかり。

その娘さんの母親は、
「拝み屋」と呼ばれる町内の
祈祷師を呼んできたのですが、
状況は何も変わりませんでした。

そこで、姉と私の二人で、
母を説得することにしました。

そして、あなたはもうここに
いないのだから、
どこかはわからないけど
あちらへ行きなさいと
ひたすら語りかけました。

生きている人を
道連れにしてはいけないと。

30分ほど経ったでしょうか、
娘さんの表情がふっと
穏やかになり、
呼吸が整ってきました。

それは、母がようやく
ほんとうに「往生」したことを
意味していました。

その母娘は何も言わずに
帰っていきました。

私も二人にかける言葉が
ありませんでした。

母は生前、宗教の教義として、
人は死んだら塵になり、
霊魂は残らない。

この世が滅びた後、その宗教を
奉じていた人は選ばれた者として、
肉体をもって復活し、
家族と永遠に生きられる。
そんなことを信じていました。

きつい言い方ではありますが、
私は母の生前、今生だけで
十分だから

いわゆる来生まで
一緒にいたいとは
思わない、と
母に言ったことがあります。

母は過剰ともいえるほどの
愛情を注いでくれましたし、
私も親に対して親愛の情は
当然ありますが、いつまでも
延々と一緒にいるということは
あり得ないと思っていたのです。

それが、ホスピスで静かに
息を引き取ったと思っていたのに、
実はそのあたりを彷徨っていて、
しかも他人様に憑依して
苦しめてしまった

その、凄まじいまでの
生への執着という
往生際の悪さを
最後の最後に
見せつけたのです。

きっと、死んだらただ
なにもなくなると
思っていたのに

まだ自分というものが
肉体を離れた形として
あることに困惑し、
なんとか肉体にすがり
つきたかったのでしょう。

これが仏式の葬儀を
あげていたとしたら、
読経という「引導」があり、
死んだことを否応なく
自覚させられるわけなのですが、
その儀式もなかったので、
なおのこと彷徨っていたの
だと思うのです。

私は、人が死んだら
どうなるかというのは、
本当のところはわからないですし、
わからなくても構わないと
思っています。

その先を視たいとか、
亡くなった存在と交信したいなどとも
思いません。

亡くなった方がその後に
たどる過程は、死者しか
経験できないものですから、
生きている私が知る由もなく、
知る必要もないものです。

それを、生身の人間として
生きている範疇での想像力、
しかも他人の想像したものや、
あやふやな「霊感」というものに
基づいて創作された、
死後の世界とやらを
真に受けて信じ込んで
しまった。それが私の母でした。

その信仰が、母の心の平安に
多少は寄与していたのかも
しれませんが、自分の信仰を
絶対の是とし、そこに反するものを
ひたすら蔑み、家族にもそれを
押し付けてきたので、長らく
家族全員大きな葛藤がありました。

控えめに言って、母はとても
有能な人でした。

家計の切り盛りだけでなく、
自営の才もあり、さらには
大勢の親戚筋、ややこしい
田舎の近所づきあい、
さらに宗教や子供たちの学校、
そういうところと
如才なく関わっていました。

一方で、多方面に気と心を
配るあまり、本音で話し合える
友人がおらず、きっと寂しさが
あったのかもしれません。

そんな母にとって、
ガツガツ言いたいことが
言えるのは、姉や私くらい
だったようです。

姉にはひたすら厳しく、
私にはそれなりに甘くも、
愚痴や不平不満を吐き出して
いました。

世俗にまみれているから、
そうではない世界に憧れる。
そして、それを自分が想像し
創造するのではなく、他人の
創作物に安易に身を委ねてしまう。

頭が良く現実的なだけに、
その判断も本人の中では
合理的に処理されていたのかも
しれません。

膨大な、しかし綻びだらけの
ファンタジーを現実のものとして
信仰し、30年もそれに家族を
巻き込み、さらに死んでなお
他人をも道連れにしようと
した。

これを往生際が悪いと
呼ばずになんとする、です。

なので、私は今でも墓参りはしますし、
母のことはたまに思い出しますが、
基本は「お逝きなさい」で
「もう戻ってくるな」なのです。

最近は「親ガチャ」なる
言葉があるそうですが、
そういう意味で私は大当たりな
親のもとに生まれた
と言えるかもしれません。

たとえ往生際が悪かったとしても、
あの母のおかげで稀有な経験を
させてもらえて、
いまの私があります。

そういう意味では、
とても感謝しています。

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