第18景 小さきものは美しき ソール・ライターの視点@Misakiのアート万華鏡
日常に宿る美の発見
雨上がりの窓に映る光、街角のさりげない瞬間。ソール・ライターの作品は、五感を呼び覚まし、私たちをその世界へと引き込んでくれる。彼はそんな日常の「小さきもの」に美を見出し、写真という芸術に昇華させた。彼の作品は、日常の風景や人物に宿る一瞬の儚さのなかの繊細な美しさを静かに描き出した。観る者に温かい共感を呼び起こす。
彼は「世の中すべて写真に適さぬものはない」と言いつつも、「雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い」と語った。つまり、見過ごされがちな存在にこそ、深い愛情を注いでいた。静かに降る雨の音、ひんやりとした空気、そして、窓に映る光。なぜ、彼は日常の些細な瞬間をこれほどまでに美しく捉えられたのか?
ソール・ライターは、写真という枠を超えて、日常の一瞬を詩的な美しさで切り取る達人だった。ソール・ライターは、ニューヨークの雑踏や変わりやすい天気といった都会の喧騒の中に、静謐な時間を発見し、それを鮮やかな写真として切り取った。小さな視点の中に広がる世界の豊かさ、まるで絵画のような色彩と構図。それらは観る者の心を捉え、彼の作品を単なる記録写真ではなくアートの域へと引き上げた。
例えば、《赤い傘》(1958年)に見られるように、構図を大胆に切り取り、色彩の対比を通じて物語を作り上げた。一見すると何気ない光景だが、その奥には光と影、色彩のハーモニーが生き生きと描かれている。彼は、「写真は物語の断片を伝える手段だ」と述べていた。彼の作品は、観る者に物語を想像させる余白を残しながらも、独特の詩情で満たされている。
伝説のフォトグラファー、ソール・ライターとは
ソール・ライターは、1923年12月に生まれ、2013年11月に89歳で生涯を閉じた。幼少期からユダヤ神学校でラビになるべく教育を受けたが、22歳で神学の道から離れる決意をした。そして、画家を目指してニューヨークに移住した。
1952年、マンハッタンの東10番街にアパートを構え、以降、半世紀以上にわたり、この街で暮らし、創作活動を行った。この地域は、かつては移民たちが集まる貧しい地区だった。しかしソール・ライターが移り住んだ頃には、アートの「新天地」として注目を集め始めていた。
1950年代後半からは、ビート・ジェネレーションの詩人や作家たちがこの地域に移り住んだ。60年代後半、この界隈は、既存の価値観に反抗し、新しい価値観を提示して社会に影響を与えたカウンターカルチャーが一気に花開く。アートシーンの中心へと変貌を遂げた。アンディ・ウォーホルもこの界隈で活動し、この地域は「イースト・ヴィレッジ」と呼ばれるようになる。
ソール・ライターも、そんな時代の中で、ニューヨークを舞台に活躍した。ファッション誌の表紙を飾り、一躍有名になった。次第にソールの写真は注目を集め、58年からは『Harper’s BAZAAR(ハーパーズ バザー)』誌のカメラマンとして活躍。60〜70年代には、同誌以外にも数々のファッション誌の誌面をソールの写真が飾り、5番街に広々としたスタジオも構えた。
そうしてファッション写真の第一線で活躍しながらも、1981年を境に表舞台から姿を消した。ニューヨークのイーストヴィレッジにあるアパートで静かに暮らしながら、日常の中の美を探し求め続けた。実に見事にファッション写真を撮ったライターだったが、自らが好んで撮った写真は、近所を歩きながら取ったものがほとんどだった。
「自分は決して重要な写真家でも、偉い人間でもない」と語るライター。彼にとって、社会の変化に左右されることなく、自身の目で見た世界を、独自の視点で記録し続けることこそが、最も大切だったのではないだろうか。
2006年、写真集で定評のあるドイツのシュタイデル社より、それまで封印されていた個人的な写真などをまとめた初の作品集『Early Color』が出版された。亡くなった後に有名になる作家はいるが、一度名が売れた後に、カムバックする作家は珍しい。ソール・ライターは「カラー写真のパイオニア」として、再び光の当たる場所へ引きずり出されることになった。80歳を超えた"巨匠の再発見"は世界中で熱狂的に迎えられた。
2013年11月26日、90歳の誕生日を間近に控えていた写真家ソール・ライターは、静かにその人生の幕を閉じた。それは奇しくも、彼のドキュメンタリー映画「In No Great Hurry : 13 Lessons in Life with Saul Leiter(邦題:写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと)」(トマス・リーチ監督)のプレミア上映の日だった。
ソール・ライターと日本文化
2017年のソール・ライター展のキュレーターを務めたポリーヌ・ヴェルマールが『ソール・ライターのすべて』で述べているように、彼は日本とフランスの美術の影響を受けていたようだ。
ライターの写真はしばしば「絵画的」と評されるが、その背景には日本の浮世絵からの影響がある。特に歌川広重や葛飾北斎への共鳴は、彼の作品に深い影響を与えた。彼は広重の《東海道五十三次》シリーズに見られる、視線を誘導する構図や微妙な色の使い方に感銘を受け、自らの写真に取り入れた。例えば、広重の《名所江戸百景》に登場するような、画面を部分的に遮る構図や、遠近感を強調する手法は、ライターの作品にも共通して見られる特徴だ。窓の水滴や窓越しの風景を取り入れることで、ニューヨークという現代的な風景に浮世絵のような詩情を宿らせている。
ゴッホが油彩で模写したような、直接的なオマージュは認められないがが、こうしてソールの写真と広重の浮世絵を並べてみると、イメージの連想ゲームができそうだ。赤と緑の色面で構成された画面、建造物の合間から眺める遠景。ソールと広重は、風景の切り取り方の手法が似ていると松崎 未來氏は指摘する。
桜の花びらが水面を彩る隅田川をゆく船と、黄色のタクシーが行き交うニューヨークの街。どちらも、どこか日常の一コマを切り取ったような写真だ。しかし、写真の中心にある電柱や木の幹といった、一見邪魔な存在が、画面に奥行きを与え、見る人の心を惹きつける。日本の浮世絵師・歌川広重と、アメリカの現代写真家・ソール・ライター。時代や国は違えど、二人は共に、日常の風景の中に美を見出し、それを作品に昇華させた。浮世絵と、現代写真。異なる表現方法でありながら、二人の作品からは、どこか共通する詩情が感じられる。
ソール・ライターの作品には、日本の伝統美とフランスのモダンアートが融合している、と美術評論家のポリーヌ・ヴェルマールは指摘している。これは、19世紀後半にヨーロッパで流行した『ジャポニズム』と呼ばれる日本美術への熱狂の影響と考えられる。
ライターは浮世絵のなかでも特に北斎を愛していたようだ。広重・春信・歌麿・清長・写楽らの和綴本とともに多くの北斎の本をコレクションしたという。浮世絵以外では、蕪村、雪舟、宗達の綴本を所有していたらしい。日本語も読めないのに、俳句の本や『好色一代女』『枕草子』『更級日記』や岡倉天心の『茶の本』もコレクトしていたという。また、仏教や禅の本も多数あったとヴェルマールは述懐する。これはライターの日本美術への愛好と敬愛を示している。
なぜ日本人に愛されるのか
叙情的な風景描写と侘び寂びの共通点
都会の喧騒を背景に、静かに佇む人物や、雨に濡れた路地裏。ソール・ライターの写真は、ニューヨークという活気あふれる都市の中に、静かで詩的な瞬間を切り取っている。そして「侘び寂び」。不完全さや儚さの中に美を見出す日本の美意識のこと。この「侘び寂び」に通じる雰囲気を日本人が強く感じるのは、単なる風景写真というより、情感を伴った「物語」を読み取る性質が日本文化に根付いているからかもしれない。特に雨や曇天の描写が多いことが、日本の四季を愛する感覚とも重なる。日常の美しさと「見立て」の文化
ライターが平凡な日常の中で見つけた美しさを写真にする姿勢は、日本人の伝統的な「見立て」の文化ともつながる。「日常の中の非日常」を捉える視点が、茶道や庭園設計、俳句といった日本文化の感覚と響き合っているのではないか。ライターは、特別な被写体を探して撮るのではなく、ありふれた風景に隠された美しさを「見立てる」ことによって、新しい視点を与えている。これがライターの写真に「親しみやすさ」を感じる理由の一つと言えるでだろう。色彩の美しさと和の感覚
ライターの色彩使いは、淡く控えめながらも温かみがある。この「淡色の中に豊かな感情が宿る」感覚は、たとえば日本の着物や伝統工芸品に見られる配色と共通する部分が多いように思える。彼の写真の色使いが、和の美学を体現していると感じる人も多いのではないか。写真に込められた物語性
ライターの写真に物語を感じるのではないか。日本人は、たとえば浮世絵の中に描かれた日常風景や、映画や文学の中に隠された「行間」を楽しむ感性を持っている。ライターの写真に見える曖昧さや余韻、明確に語られない背景が、日本人に「想像力の余白」を提供しているのかもしれない。『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』の影響
この映画の影響で日本の一般層にも彼の知名度が広がったのは確かだ。しかし、映画が単に知名度を上げただけでなく、彼の「急がない人生」が日本の観客にとって深い共感を呼んだのも理由だろう。「急がない」という生き方は、日本の現代社会の忙しさと対照的で、多くの人が理想とするライフスタイルに映ったのではないか。写真文化とスローライフへの憧れ
日本人の写真への興味の高まりに加え、「スローライフへの憧れ」は重要なポイント。彼の生活哲学は、効率重視や競争社会に疲れた現代人に「本当に大切なもの」を考えさせる機会を与えている。この共感は、特に都市生活者に強いのではないか。
写真展の紹介
カラー写真のパイオニア」ソール・ライターの写真展「Saul Leiter」が、虎ノ門ヒルズ ステーションタワー内のart cruise gallery by Baycrew’sで開催中だ。ソール・ライター財団の監修のもと、新たにプリントされた44点が、観る者の心を捉える。ライターは、特別な被写体を追い求めるのではなく、日常に潜む美しさを独自の視点で見つめ出し、私たちに新たな世界を見せてくれる。彼のレンズを通して、まるでニューヨークの街を一緒に歩いているような、親密な感覚を味わえることが、彼の写真の最大の魅力と言えるだろう。
日本初公開(約40点)のソール・ライター作品が無料で見られるチャンス。虎ノ門ヒルズに足を運ぶついでに、ぜひ立ち寄ってみてください。