「先生、Wikipediaですか?」東大卒の覆面学者団による署名文の不思議【前編】
先週夏休みで久しぶりに東南アジアに行っていた。と言っても今の時代だからスマホ越しに日本とほとんどつながっているような感覚で、ふとツイッターである署名運動を見かけた。が、せっかく海外にいるのだしとその場では読んでみる気にならず、ブックマークだけをつけてスマホをバックに放り込んだ。
……オンラインの署名ねぇ。5年くらい前の私は、オンライン署名にもっと期待していたような気がする。電子署名サービス「Change.org」はアメリカ発のサービスで、アメリカの大学にいた時から学内の制度や学生にとって影響の大きい社会システムについて何度か署名したことがあった。日本に生活の基盤をもう一度移した頃はちょうど時間差で国内でもChange.orgが脚光を浴び始めた頃で、Change.org上の自分がこれまでにサインしたキャンペーンの一覧を見てみたら、2013年頃はアメリカ社会や国際的なムーブメントに絡むものが多く、そこから安倍元総理の国葬についてだとか、インボイス制の導入だとか保育士の給与改善と自分が目を向ける対象が時系列で変わっていったことも見えて、ややノスタルジックな気持ちになった。約10年で15件というのは、年1くらいで気になるものにはわりとサインをしてきた方だと思う。
そうやって10年くらいオンライン署名を見てきて思うことなのだけれど──署名で社会を変えるのって難しい、ということだった。オンライン署名は手軽な分(街頭に立ち続けるよりははるかに手軽である)年中どこかでやっているけれど、署名の数が結構集まったからってそこから社会が変わった感じがすることはほとんどない。“Victory“と署名活動に祝マークがついているのは15件中1件で、なるほど、それは社会への浸透に反比例して、私の学習された無力感が高まっているのも無理はないような気がした。
これまでにもツイッターで流れていくフィードのなかで皇族関連の署名運動を見かけたこともあったので、ああ、またなんかそんな類の──と無意識に思っていた。そんな数日後、異国ですんなり寝付けない夜にふと思い出して、その署名のページを開いてみた。いやまさか、そこから2万字の文章を読むことになるとは思いもせず(笑)
※ちなみに本一冊で約10万字が通常なので、本を1/5読むに値する量という文量!
でも、長いとは思わなかった。私は、短いこと端的なことTiktokでわかるくらいわかりやすいことが由とされる風潮が嫌いなのだが、そんな私は、署名文は簡潔に端的でわかりやすいものが望ましいという通説を覆す力を見せたこの署名文も、その意味ではとても好きである。一度開いてしまったらたとえ流し読みであっても話が続く限りスクロールを続け、とりあえず「the end」までは読んでみようと思わせる流れは見事だった。2万字という長さに対して、意外にも途中離脱をした読み手って少なかったのではないだろうか。
でも、違和感を感じる部分もあった。それは書き手のアイデンティティに対する話なのだけど──以下に、この署名運動文に対して、私が考えたことについて書く。
皇族の行動について、道義・倫理的な反復性を見せたのは秀逸
この文章で最も高い説得力をみせるのは、未成年の親王が倫理的・道義的に懸念のある二つの行動を結果的に重ねてしまってきている点に対し、パラレルな事象関係を浮かび上がらせたことだろう。
二つの行動とは、ひとつは15歳の時に北九州市立文学館主催「第12回子どもノンフィクション文学賞」に投稿した作文が中学生の部・佳作を受賞したが、その後一部が剽窃に当たるとの指摘を受けたこと。修正を行い再提出のなされた作文が受理されたものの、本来発覚した時点で失格とされる行為があったのにも関わらず、賞の自発的な返還や辞退を行わなかったという行動である。
二つめは、高校2年生の時に学者と共著で発表した学術論文「赤坂御用地のトンボ相-多様な環境と人の手による維持管理-」の学術的な信頼性および、インテグリティへの疑問符である。現在17歳の親王が幼稚園の頃から“研究”をしてきたと言われる観察記には、学術論文の論拠と言えるべきデータが不足しており、「2012年のマルタンヤンマの産卵の発見は、この5歳から6歳児の証言しか証拠がないのである。つまり、『ぼく、見たよ。ちゃんと見たよ』という幼稚園の年長さんの証言である。これが学術論文の論拠となるデータと言えるのか?」と疑問を呈する。さらには過去の産経新聞報道を参照する形で、過去に彼が生態系の人為攪乱につながる放虫をしているにも関わらず、その事実に対して論文内の言及がない点について、研究倫理上の問題を指摘する。
私が論として最も新鮮さを感じた部分は、剽窃疑惑の上がった作文への対応という行動を前段とし、“観察対象となる場所の生態系を人為的に乱してしまう放虫を過去にしていたにも関わらず、学者と共著で書いた論文には当該記載がないことを“倫理的な問題”と指摘し、「学問研究において必須のこの誠実さ、これが佳作作文の盗作が露見した時の対応と全く同質の問題であることは、悠仁様にはわかっていただけるであろうか」と、それらの2点の間に、ゆるやかに繰り返されて見えるパターンと言い得る筋を見せたところである。
通常、
「(高校生だけど)学者と論文書いた」→それって……ズルくない?
「受賞作文の剽窃バレた」→出し直しでOK!変じゃない?ルールには再提出は一切認めないって書いてあるのに!
と、それぞれ単一の事象についての意見は持てても、連続的な行動としてそれらがどう繋がり、倫理的な見地からどういう相を呈するかのまともな言説はこれまでメディアには全く出てこなかったように思うので、非常に読み応えがあった。さっすが東大生(卒)でございますね。
(加えて、それを教えられないことは両親と周囲の大人の責任であるというのも至極まとも)
でも一方で、不思議に思えるのは、この学者集団さんの目線が、なぜだかWikipediaであることなのである……。署名文の冒頭では親王の剽窃行為は海外でも報道されていることを示すものとして、以下の文章がある。
上記引用に続ける形で、「新聞とは異なり、Wikipediaは消えない」と語るが、
……が、学者の常識から捉えれば、「後から改ざん(修正)でき得る」「できない」の対比としてその二つの性質は、真逆である。
アテにならないから
大学時代、付き合っていた彼氏が私のニックネームでWikiのエントリを作り( 『little Rina』は世界中の大都市に生息し、レストランでもっとも高脂質なメニューを好んで頼む動物である。歴史学者は彼女の生態系を解明しようとしているが、あまり多くは分かっていない)とふざけて書き、私にそのURLを送ってきたことがあった。当時ウィキペディアを自分が好きに書けるなんて知らなかった私は(引用元として使ってはダメとは大学で何度も聞いたけど)驚いて笑ったが、こんな大嘘があたかも本当のことかのようにWikipedia空間に存在できてしまうことが、新鮮な驚きだった。
(が、それは1日も経たないうちに、内容の妥当性が確認できないため削除します──という通知が来て消えてしまい、ああスクリーンショットを撮っておけばよかった、と後悔したのだけれど笑)
10年前のそのページは、今ではネット空間のどこを探しても見つけることはできない。
また別の時はスタートアップ起業の広報をしていた友人は、できたばかりの会社について日々書かれることと書き直すことの戦いに消耗していた。なぜ上書き合戦に消耗するのかというと、Wikiは誰にとってもオープンな編集権があり、かつ中央集権的な管理に完璧に置くことも出来ないからである。(「私のことだから私が一番わかっているor 誰よりも書く権利がある」なんてことにはならないというように、その会社の創業史についての記載だからといって、その会社に属する人間の意志が優先されることはない。それに規約では“自分自身が関係ないことについてのみ書いてください”という建前であるのだから──まあ、無論そんなポリシーが機能などしていないのは、身元確認などは一切行われることのないオープン・プラットフォームにおいて、そんな但し書きにはなんの意味もなく、形だけの「お願い」であるからです。
と、こういうことは中高生は知らなくとも、レポート書いて卒論書いての大学教育を受けた人の常識(ざっくりとしたWikiの信頼性について)と思っていたのだけど、先生にWikipediaなんて言われたから、びっくりしちゃった。
と言ってもそんなポッと出の会社とか、架空の動物なんて怪しいエントリじゃないものは──皇族とか、例えば政治家とか、そういうあまりにも有名な人やものに関しては信頼できるんじゃないの?と思われそうでもあるので、では実際の実例で見てみましょう。
これは、悠仁親王のWikipediaページが過去1ヶ月で、どれくらい閲覧されたか、また編集されたかを出したものであり、過去1ヶ月間(2024/07/18〜2024/08/18)で12回も編集があったということがわかる。
ちなみに誰かが更新をすると、新しい「版」ができ、過去の「版」との間の差分がわかるようになっているのだが、一例として、変更の履歴にはこんな推移がある(例示としてわかりやすいものを探したので、過去1ヶ月以外の例も含む)。
ほお。確かに小室氏が悠仁親王をどう呼んでいたかのソースは不記載なので削除されても妥当でしょう。さて、続きまして、半年ほどまでの版では、こんな変化が見られた。
下記のスクショ上、緑でハイライトされている部分が、この版で書き足された部分ですね。悠仁親王の学校に不審者が侵入した事件の記述において、「警備の面でも、学習院が相応しかったとも言える」という点、そして作文コンクールの関連のパラグラフの文末にて、「入賞が取り消されたり、辞退しなかったことで、疑問を呈されたりした」という2文が追記されたことがわかる。
しかし、その後幾度の更新を経て、この二つの加筆部分(上記スクリーンショット画像で緑色にハイライトされている部分)は2024年8月15日の閲覧ではそのどちらも再度消されている。
ところで、こんなにWikiを熟読したのはじめてだわと思いながらしげしげと読んでいたところ、悠仁親王のページの最新版に、気になる一行を見かけてしまった。ご誕生について記すセクションの最終文「皇室医務主管金沢一郎は、秋篠宮同妃夫妻の意向により性別の事前検査は行わない方針を示した」という箇所である。
その文章には参照元が付与されていなかったため、この文章をバックアップする情報が世の中にあるのか──報道や宮内庁資料の記録があるのか──自分でも軽く探してみたが、このWikiを参照元としている不思議ブログ以外には見当たらなかったため、このnoteを書く傍ら、ついでに削除させていただいた。
なお私はこの一連の削除操作を行うために、ウィキにアカウントを作る必要さえない。改めて、なんてお手軽なんだ、Wikiぺでぃあ。
と、これらは、いかにWikipediaというものが恒常的な相を呈するものではないかを実証するために書いていたのだが、私のこの最後の些細な行動は、はからずもきちんとした研究者・学者は少なくともwikiを考えの根拠・引用元とはしないワケの実証的な例示となる一例を生んでしまったと気づいたので、紹介しよう。
そう、性別の事前検査をしなかったという文章の根拠を探してネットを軽くみていたら、同文章をバックアップする報道・資料こそすぐには見当たらなかったのだが、代わりに、Wikiの同文章をソースとして文章を綴っていたサイトはいくつかあり、その一つが皇室遅報offlineというサイトである。
2024年8月19日の現在、「この情報のソースと言えるもの」はもうはないことがお解りいただけるだろうか(私がウィキの一文を削除したから)。
これこそが研究者という言説の再現性や論理性を強く試される場所で生きる人間が、Wikipediaを「引用」しない理由である。砂上の楼閣のように消え落ちてしまうものを根拠・証左にするのは、自分の言論の信頼性を毀損し、また同時に、笑われるくらいお手軽なソースで作成したインスタントラーメン的な主張に見られてしまうからである。
世界中の人が相互に監視しあってる=信ぴょう性が高い?
それでもWikiは世界中の人が見ているのだから信仰をもっている方もいるかもしれませんが(Wikiは信頼できるサイトになりつつある、というウィキサイドの広報努力による報道もちらほらあるので)、まあ、Wiki上の言葉というのは、玉石混交なわけです。ちなみに悠仁親王がお生まれになった時のWikiの議論の記録があまりにおもろかったのでこれをセレクトするが、お名前が決まるより前にフライングして「文仁親王第一子」というページ名でWikiページを作成した者に対して、削除依頼が即刻誰かから入り……削除票,非削除票が飛び交いますが……
「命名もされてないのに記事を作るなと小一時間説教したい」
「情報を多くするのが今の使命だとおもう」
ええと、はい。その有識者会議の結果、「削除」に決まったということが履歴からは読み取れるが、このように、ウィキは、消せ、消すな、こう書け、こう書き直せ議論が激化すると(荒れすぎると)、「ページが保護下に移される」という状況があるんですって。
確かに、⚠️マークのエラー表記がたくさんついてる風景って既視感あるなぁ。
ちなみに私が学部教育で通った大学は、大学というのは引用元と参考文献を正確に、客観的で緻密な論証をできるようにする訓練機関であるという思想が強く、レポート・論文とともに、Wikipediaを引用したものは引用と認められないルールであった。(オバマ元大統領の母校です)
論拠というものがいかに重要かということは、この署名文の主張の核の一つである。だからこそこの学者がトンボ論文のエビデンス・ドキュメンテーションの甘さを指摘する一方で、高らかにいう「Wikipediaでは」というレトリックが不思議に見えるのである。先生、Wikipediaですか???
学者やシンクタンクの研究員達にとって「Wikiは通り過ぎる」もの
まあ、そうは言っても調べ物をすればネットの目につくところに上がってくるのは多くの場合Wikipediaでもあるわけで、今の時代にwikiを丸無視しろというのもそれはそれで偏った考え方だと思います。しかし、だからこそ、今の大学というのはwikiの使い方(向き合い方)を教えるものと私は思っている。そのことは何も私だけの信念ではなく、インプットの一部にWikiがあるのは良いが、アウトプット(言論の論拠や引用元として)wikiを使うのは良くない、というのがまあ「良識的な学者・学術的な指導者の総意」なんじゃないですかねぇ……。
インプット(の一部)がウィキなのはいいけれど、アウトプットの論拠がWikiはダメって、どういうこと?という質問に答えると、たとえば、先のWikipediaページで、悠仁さんが幼い頃、「ご家族にゆうゆうと呼ばれていた」という記述がありました。それは聞いたことないなぁ。本当かな?そう思った私(これが情報に出会う=インプットの瞬間)は、そのソース元として記載されていた毎日新聞の新聞記事を自分で確認するわけです。これが、検証する(というほど大したことではない、ただの事実確認をする、、、)ということです。
その先にあるのがこちらの記事な訳ですね。(別に国会図書館に行って探さなくても、ハイパーリンクかかってるからワンクリックで飛べて大変有り難し)
この記事内で、秋篠宮殿下(お父さん)がそう話しかけている、と確認でき、少なくとも6歳時点でご家族にはそう呼ばれていた、と確認できたわけですね。そして、こう確認できた時点で、「Wikiによると」と言う必要は消滅するわけです。論文や言説のサイテーション(出典)って、発見のルートではなく、消えない根拠を書くものだから。
今から私が「悠仁親王は幼少期、家族からゆうゆうと呼ばれており」と書こうとしたら、出典元は、迷わず毎日新聞になるわけです。(not Wikipediaの「悠仁親王」)これは、なんのハックでもなく、今日の大学生が教えられるベーシックなリサーチの初歩だと思うのですが……
ちなみに、学者というのは言説の格を気にするものと私は思っている(私自身は「学者」ではないけれど、学者ってわりと軒並みそうですよね、という意味)。まあ、同じこと主張しても、どういう語調で言うか、どんな引用をするか(アリストテレスの一行挟んでみるか、2ちゃんねるの話を出すか?!)で、同じ論理構成の文章もその印象は激変する、ということ。
だから、同じこと言いたい時にも、どうベターなフレージングができるか、知性を香らせる一行の引用を持ってこられるか?!って、頭の引き出しを総動員して考えるもの、だと思うのですね。はは、めんどいけど表現は思想の一部で、この先生達だって、洒脱だ 怯懦だ というのは、それが自分たちの思想を表現するのにふさわしい言語であると考えているからでしょう。
でもだからこそ、この躊躇なくWikiを引き合いに出しちゃう感じに、すごい違和感を感じるのですね。
えっ・・・???先生、Wikipediaですか?(´;ω;`)
→後編へ続く
備考:オンライン署名の文章は上書き変更される可能性があるため、2024年8月20日時点の文章をPDF化し以下に保存しました。
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