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FIGT Japan イベントレポート

 「ぐるる」でもご案内していましたが、FIGT Japanが9月9日に東京・目黒区のTCKワークショップでイベントを開催しました。ずいぶん日数がたってしまいましたが、古家が参加したレポートをアップします。


イベントの概要

 その前にFIGT Japanとは何か。Ruth Van Rekenさん(『新版 サードカルチャーキッズ』の共著者のひとり)が創設したFamilies in Global Transitionという国際的なグループがあります。要するに国境や文化をまたいで移動する子どもたちやその家族を支え、そういう経験をした/している人々同士で自分たちの境遇やそこで生じるさまざまな問題を考えようという組織です。その日本支部をリードしているのが、『新版 サードカルチャーキッズ』の共訳者のひとり峰松愛子さん。またTCKワークショップとは海外・帰国生向けのオンライン家庭教師サービスを提供している会社で、代表取締役の水田早枝子さんもまたFIGT Japanの中心メンバーのひとりです。峰松さんも水田さんもご自身がかつて海外で育った経験をお持ちです。

 さて9月9日に開かれたイベントは題して
"Interculturality as a benefit… not a burden" 「はざまで生きる」を考える
 異文化コミュニケーションの分野で著名なおふたりの研究者ミルトン・ベネット先生(Intercultural Development Research Institute =略称IDRI、異文化間発達研究所)と山本志都先生(東海大学文学部英語文化コミュニケーション学科教授、IDRIディレクター)をゲスト講演者に招き、「はざまで生きる」ことについて共に語り合い、考えようという企画です。リアル(対面)で集まったのはおよそ10人、オンラインでの参加者は20人ほどだったそうです。現役の大学生からインターナショナルスクールで教えている人など、さまざまな立場の人たちですが、「異文化コミュニケーション」に興味がある、あるいは自身がTCKであるなどが共通点のようでした。

リアルで参加したみなさん。
前から2列目、右端に立っているのが峰松さん、その隣に座っているのが水田さん。

はざまで生きる

 まず演壇に立ったのは山本先生。「<異>を語ろう!」というテーマで、たとえば「自分とほかの人々との間にギャップが生じている?」「なんか違う・・・・・・?」などと感じたとき、どこにどんな線引きができているのでしょうか?という話から始まりました。

山本志都先生

 そのギャップ、あるいはズレの一例として先生が挙げたのが、食器に洗剤をつけて洗ったあと、どのぐらいゆすぐか。あるいは洗剤を拭き取るだけで済ませるか。この記事を読んでいる皆さんは、どうしていますか? じつはこの例、僕はこれで実際に苦しんでいた人の話を聞いたことがあります。アメリカで育った日本人で、当時は日本の介護施設で働いていた人。彼女は職場で食器を洗うときに洗剤のぬるぬるが多少残っていても気にしないそうです。しかし職場の同僚たちにはそれが気に入らない。いつも文句を言われるけれど「私は日本人にはなりたくない」と強硬で、それがまた彼女の居心地の悪さに輪をかけていたようでした。山本先生は、たとえば洗剤を拭き取るだけで済ませている人を見たときに「ぎょっとして、ちゃんと洗い直してほしい」と思うか、それとも「どうしてこの人はそういうやり方をするのだろう、もしかしてそれでもいいのかもしれない」と知りたがるか、という反応の違いがあり得ると続けました。

 食器の洗い方に生じた、自分にとっての「あたりまえ」から外れた行動に気がついたとき、<異>(differentness)が現れます。<普通>と<普通でない>の違いが目についたときに両者を分ける意識が働く場面が生じた、ともいえるでしょう。性別や性的指向、人種や民族、出身、年齢、身体的特徴、社会的地位、思想信条や宗教、右利きか左利きか、なんなら贔屓のスポーツチーム、ネコ派かイヌ派かなど、ありとあらゆる場面で、人は多数派<普通>と少数派<普通でない>に分断されます。そしてもちろん、場面が変われば多数派と少数派が入れかわることもあります。<普通>であれば、自分が多数派であることも分断があることも意識せずに便利さを享受できますが、それが他者に対する同調圧力を生んでいることもあり得ます。逆に<普通でない>人は、何かと不利や負担を感じることも多くなりますが、その希少性が価値を生むこともあり得ます。この<普通>と<普通でない>両者の間(はざま)で、人は何を感じ、どのような態度や言動を取るのか。それこそが「はざまで生きる」というテーマです。

<異>を統合する

 次に演壇に立ったベネット先生は、Developmental Model of Intercultural Sensitivity(DMIS=異文化感受性発達モデル)の提唱者でもあります。このモデルは<異>に葛藤しながらも共に成長する過程を、自文化中心主義(ethnocentrism)的な「否認(denial)」「防衛(defense)」「最小化(minimization)」から、エスノレラティビズム(ethnorelativism)としての「受容(acceptance)」「適応(adaptation)」「統合(integration)」に至る6つの連続した局面に区切り、過去の出来事に新しいストーリーを生み出してポジティブな未来につなぐことを可能にするものです。

異文化感受性発達モデル

 それぞれの局面ごとに特徴的な人の態度や言動、<異>の捉え方や解釈・意味づけの仕方がありますが、「<異>と自らの世界との関係を可視化して理解するための『観測カテゴリー』として活用することが望ましい」。つまり「この局面の人はこういう行動をします」という固定的な分類ではなく、カテゴリー(境界)のつくり方自体が流動的で、「関係性の中に異なる立場をつくり出しているのは私たちである」と考えてほしいということです。「文化」という用語自体、調整のためのツールであり、動詞として考えるのがふさわしいという説明もありました。
(古家による旧稿「文化は名詞か形容詞か」をアップしました。ご参照くださいませ。)

 そうした考え方に立ったとき、<統合>という局面では「<異>を自らと社会が生み出したものとしてメタレベルから俯瞰して見ることができる」「自分の立ち位置を自らの責任で選ぶ」「境界線を引き直してつくりかえる」「相手のロジックでも考えられる・動ける」「ズレを前提として調整しながら共に未来へ進むことができる」などという特徴が現れるそうです。別のいい方をすれば「数ある実行可能な選択肢の中から自分自身のコミットメントを選び取ることによって、自分自身の座標を自覚的に決める」という態度です。

ミルトン・ベネット先生

 先ほどの食器洗いの例で考えてみましょう。実際に苦しんでいた彼女は「日本人にはなりたくない」と言っていましたが、そこで「日本人なのかそうでないのか」という境界線を引いていたのは彼女自身であるという考え方です。もちろん食器洗いは一つの具体例にすぎず、ほかにもさまざまな場面で彼女と同僚たちの間に摩擦が生じていただろうと思いますし、彼女がそれをアメリカで長く育ってきたという自身の生い立ちによって説明せざるを得なかっただろうことも理解できます。しかしその境界線を自分で引き直すことができるとしたら? たとえば食器をゆすぐための水を節約するエコの立場からそうしているのだと周囲を説得しようとしたとすれば? あるいは洗剤を拭き取るだけで済ませているのは自分の習慣であって、アメリカで育ったことは関係ないと考えたとしたら?

 「日本人=普通」だというものの見方をしたとき、<普通>の日本人の多くは自分が日本人であるとは意識しないものです。<普通でない>からこそ、「日本人になる/ならない」という選択を考えます。そして仮に「日本人になる」ことを選んだとしても、それは自ら意識的に選択したこと。「日本人であること」に意識的であるかないかという差異は残ります。そして、無意識に「日本人である」人々にとっては、「この人は意識的に日本人になっている」と(それこそ無意識に)感じるだけで、違和感を生じさせることになります。

 また「日本人になる/ならない」という選択があると知った人は、「日本人になる自分」と「日本人にならない自分」とのはざまに立っていることを自覚するようになります。「日本人であるのか/ないのか」と自問し、「どっちでもあるし、どっちでもない」と考えることもあります。

 ベネット先生によると、「Aでもあり、Bでもある」あるいは「Aでもなく、Bでもない」カテゴリーにいる人は、「第三文化の場」を形成するのだということです。この場は「互いに相手を理解し共に生きていこうと試みる人々の間で生まれる」、またこうした場に生きる人はリミナル(liminal)つまり「発達的なはざま(developmental inbetweenness)」という状況にいて、同様にliminal identityを持つ人々と交流することが安心をもたらすとも述べていました。

 それにしても自分と他者の間でのさまざまな<異>を、つねに自分で境界線を引き直しながら(自身のアイデンティティを再定義しながら)調整していくことはなにしろシンドイ。「それはとてつもなく疲れる生き方でもありますよね?」と僕が質問したら、ベネット先生は「その通り。だから人はコンサートやスポーツの試合に出かける。そこに行けば<異>を感じずにみんなと一つになって楽しむことができるからね」と。まさに僕が日々の生活で大事にしていることです。そこに心理的な理由があったなんて、知りませんでした。「疲れたら、休んでエネルギーを貯める。冒険がしたくなったら、また<異>を味わいに出かける。その往還ができるのも、リミナルな生き方の良さの一つ」と、ベネット先生は続けました。

liminal identity

 このほか質疑応答では、「インターナショナルスクールの子どもたちにliminal identityを育てるにはどうしたらいいか」という質問も出ました。ベネット先生の答は、「グローバルエリートの子どもたちが集まるような、あるいはグローバルエリートを育てることを目指しているようなインターナショナルスクールでは、liminal identityが育ちにくい」と指摘するものでした。旧来のコスモポリタニズムが<共通性>を基盤に人類普遍の絶対的価値を目指していたのに対し、<異>が流動し構築されるものだということを前提に相対的な調整を目指すのであれば、多種多様な子どもたちが第三文化の場を形成しているような学校が望ましいということです。

グループに分かれてワークショップ

 二つの講演が終わると、会場にリアルに参加していた人たちだけでいくつかのグループに分かれ、ワークショップが開かれました。テーマは、「それぞれがどんな場面・立場で自分は<普通でない>と思うか、そのとき、自分はどうしているか」をふり返るというもの。僕の参加したグループには現役のキコク大学生がいましたので、全体へフィードバックする際に彼女の同意を得た上で、僕が彼女に公開インタビューを行うという形式を試みました。少しだけご紹介します。

僕−−自分が何者であるかと考えることはありますか?
彼女−−しょっちゅうです。いつも考えているかもしれません。
僕−−それは、あなたが帰国生であることと関係あります?
彼女−−そうですね。私はいま、日本人になりたいと考えていて、でもどうしたらいいのかわかりません。きっといま、私は「最小化(minimization)」の局面にいるのかもしれない・・・・・・。でも、「日本人になりたい」と意識している時点で、すでに「無意識に日本人である」ということとは違うんですよね?

 彼女のこの話は会場から多くの共感を呼び、そこから「帰国生であること」をめぐる議論が広がりました。

 また別のグループからは、「帰国生であること(外国に住んでいたこと)」だけではなく、たとえば性的指向なども私を形成している」という話が出ました。さまざまな<普通でない>を自分自身の中に増やしていけば、それだけ境界線の引き方も豊かになる。それをcultural nonbinaryと表現してみれば?という提案には、多くの賛同が集まっていました。

「メタ」という言葉

 この日、とても多くの場面で「メタ」という表現が使われていました。meta-consciousness、meta-awarenessなどなど。ところで僕は1970年代後半から80年代前半にかけて、「メタカルチャーの会」というグループに深くかかわっていました。日本で初めて生まれた「帰国生同士が自分たちのことを研究し、支え合う」ことを目指すグループでした。この会は1983年12月に横浜で「メタフォーラム'83」という100人規模のシンポジウムを開催し、その記録が『メタレポート−−居場所さがしと異文化体験』という1冊の冊子として残っています。その中に僕自身の発言として、「帰国子女は、多数の文化を平等に見渡すことのできる翼を持っている。そのような中で、自分の生き方としての根っこができた時に、メタカルチャー的な文化が身についたと言えるのではないか」「メタカルチャーの会とは、好きな時に好きな文化に自分を置くことのできる立場に立てる人々の集まりであり、そのような『メタ的な視座』によって解放されるような場でもある」という文章が載っています。

 今回FIGT Japanのイベントに参加して、かつてメタカルチャーの会で話し合っていたことが、40年分の理論的整理を踏まえて新たな用語と共に語られていることを懐かしくも心強く感じました。

『メタレポート』 頒布用に数十冊、預かっています。
お望みの方は理由を添えて古家までご連絡ください。



なお、山本先生は日本語で、ベネット先生は英語でレクチャーを行い、参加者はそれぞれ日英いずれかまたは両方で発言していました。両先生のレクチャーについては、両先生が共著者に加わっている『異文化コミュニケーション・トレーニング−−「異」と共に成長する』(三修社、2022年)を参照しながら古家が理解した範囲で記しています。両先生の見解と異なるところがあれば、その責任はすべて古家にあります。

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