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(国際女性Dayに向けて)ちょっとだけ頑張らなきゃ出来ないこと

私はシングルマザー。


会社を立ち上げ10年、なんとかやってきた。


日本の法律やルールがいかに男性中心に作られているかと気付かされながら、壁にぶつかりながら、今までやってきた



私の場合、まずびっくりしたのは、離婚の際、子どもが自動的に旦那側に残るシステムになっていたこと


私は結婚し、自分の家族の戸籍から抜けて、専業主婦として相手の戸籍に入った


出産して一所懸命子育てしたが、離婚の際、子どもを戸籍から抜くのには旦那の許可が必要だった




私みたいなケースで行くと、理由が何であろうと、嫁いだ女性だけが戸籍から外されるため、子どもを連れていくということに戸籍の持ち主の許可をもらわなければいけないというわけだ


でも、もしも夫が子どもを育てたいと思えば、離婚届け以外の手続きは必要ない


ずるい、納得がいかないし、何とも虚しい…


当時、私は、金銭的にも厳しかったが、それよりも覚悟を決めて籍を移し、大変な想いをして子どもを出産して、子育てをしたと言うのに、それに対してのリスペクトが全然ない!と法律や社会に対して怒っていた




とはいえ、離婚前の私は子育てに専念したいと思い、自分で専業主婦を選んだ


だから仕事をやめ、毎日子どもの世話に明け暮れていた


古い考えだが、その時は自分を「いい母親」だと思っていた気がする


いや、結婚という「就職」をした気になっていたのかもしれない


本音を言えば、好きな仕事でなければ、働くことも面倒に感じていた気もする


とにかく一所懸命いろいろなことにぶつかり悩みながら毎日専業主婦を務めていた


だから、離婚する時にはもう少し子育てが女性のキャリアとして認められ、リスペクトされると期待していたのかもしれない




離婚後は、英語ができるため、おかげさまで割とすぐに仕事は見つかった


しかし、キャリアはなかったし、社会的な信用はなかった


そう、


専業主婦には社会的信用がないのだ


専業主婦の無力さを感じた




受験をして女子中、女子高から女子大へ、お嬢様学校だからなんとかなると大人は言っていたが、ちがった…


学生のころはチヤホヤされたが、出身校だけではなんともならない


必要なのは社会に出てからのキャリアと信用だった


40でそれを知り、周りで働き続け続けていた友人達から大きく差をつけられた気がしていた





でもしょうがない!!


始めるしかない!


私は会社を立ち上げた


見事にキャリアのない私には仕事が来なかった


今でも私の作った資料の端を興味なさそうにボールペンでペラペラといじりながら、「こういう方いっぱいいらっしゃるんですよ」と断ってきた若い男性を思いだす


くやしかった…


今なら断られた理由が、私の仕事が素人だったからだと理解、納得もできるが、その時私は「元専業主婦はキャリアがない」と落ち込んでいた


泣きながら部屋をでて、悔しくて、絶対にいつか見返してやる!と思っていたことを思い出す




私は開き直って無理せず、背伸びせずに、少しずつキャリアを積んでいくことにした


小さくても「ちょっとだけ頑張らなきゃ出来ないこと」をしてみた


ちょっとだけ頑張る


ちょっとだけ


すぐには変化が見えなかったが、とにかく


ちょっとだけ


ちょっとだけ




今、私は51歳


今もちょっとだけ頑張る仕事にチャレンジしている


それがちょっとずつキャリアとなっているが、今は社会的信用のためにやっているわけではない


私が、女性として60や70になって、子どもが巣立っても、ちょっとだけ頑張るキラキラ女子でいたいからだ


「ちょっとだけ」は私に充実した時間と達成感、自信や自己肯定感、そしてなにより笑顔や仲間を運んできてくれている



3月8日は国際女性Day、今年もちょっとだけ頑張らないと出来ないことに挑戦しようと思っている

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