「大谷翔平選手にまつわる「たられば」の罪深さ」:『Forbes JAPAN』連載
Forbes JAPANの連載18回目 は、ここ暫く随分と静かになった、大谷翔平選手に対するメディアおよび一般人による行き過ぎた憶測と、そのキツさについて。実は、この一件で一番気になっていたこと。
つくづく思う、言葉は剣。喋る言葉もそうですが、SNS上で発信する言葉もそう。同じ言葉であっても、発信の仕方でも大きく変わること。
その剣は善良な一市民であるそれぞれの中にだって潜んでいて、善良であればあるほど、そのナイーブな正義感故に、剣の怖さを知らず不用意に相手を切りつけることがある。
言われる対象者だって、一人間だと忘れてしまうんでしょうかね。否、その人に言っているつもりではなくて、あくまで自分が思ったことを感想として言っているケースも多々ありでしょう。でも、誰もが読んだり見たりする場でそのトピックの対象者が誰かわかるように発信しているのであれば、それはやはり切りつけたも同然。しかも、通り魔的とも言える。
大谷選手にまつわるこの一件は、決して稀なことではなく、似たような問題はたくさん起こっている。「口があるからなんでもしゃべっていい」「発信する場があるから思ったことをなんでも発信していい」なんてことはない。「本当に自分は正しいのか?」「正しいと発信した自分の発言の説明ができるのか?」「責任を取れるのか?」私も含め、それぞれが、それを自分に問い、その答えを心に刻み直す必要があるなと思った次第だ。
それと同時に、この状況を「超えていける」大谷選手の強さは本物だとつくづく思う。
振り返れば、「超えていける」の言葉は、昨年今頃に同じくForbes JAPANの連載で書いた、WBCでの彼の発言にあった。
その時は、「憧れを超えていく」。
何かがあっても、それをきっかけに、それを超えるサイズに自身が成長していく。是非とも更に大きな大谷選手になっていってほしいと願っている。
是非ご高覧ください。
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