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【人生】に関するエッセイ

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人生についての穂乃花的哲学❁
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#自分軸

見返りを求めない愛の近道は、ブレない自分自身の意志を貫くこと

私にとってこの世で一番愛しくて、一番尊敬する人が言っていた。 人に期待しないためには、 “理想や期待は自分自身に、相手には信頼と愛情をモットーに”。 自分の意志の強さと、他者への愛情を感じられるこの言葉に、私は、無償の愛の近道を示してもらったのである。 相手がどうあろうと、ブレない自分でいられるだろうか?無条件の愛ってなに? 私の永遠のテーマだ。 きっと、その答えなんて結局わからないまま、私はそれをただ追求しながら死んでいくのだと思う。 今回の人生なんてそんなも

人は“自分の感情を選択できる”。どう感じてどう生きていくのかは自由である

幸せ、楽しい、嬉しい、安心、満足、 辛い、しんどい、悲しい、苦しい、寂しい、 人間には色々な感情がある。 感情があるのは人間だけ。 だから人間は面白いし美しい。 けれど、この美しい感情というものに、人間は囚われてばかりいるなと思いませんか。 人間の感情ってホント面倒くさいよな。 人間の感情って全部で27種類あるらしい 私自身、感情の起伏が激しいタイプです。良く言えば“感受性豊か”ってやつ。 で、気になったのです。 人間ってどのくらいの種類の感情を持っている

自己信頼できない人が、他人を信じられるはずがない

人間関係において、「誰かを信じること」。 これってとても大切なことだと思っている。 人を疑ってばかりの人生なんて苦しいだけでしょ? けれど人を信じた先にあるのが、“裏切り”。 「信じていたのに裏切られた」 そんな経験をしたことがあるって人って多いんじゃないでしょうか。 だけど、人間関係に、裏切った、裏切られた、なんて本来は存在しない。と、私は思っている。 “人は鏡”。 自分自身すらを信じることができない人が、他人を信じて生きていけるはずがない。そう思うんです。

人は自分自身を一番知らない。他人や謎の価値観に囚われすぎているから

自分が一番、自分のことをよく知っている。 そんなのは当たり前のことと思いがちですよね。 けど人って案外、自分自身のことこそ一番知らない。 他人と向き合うことより、自分自身と向き合うことの方が難しいし、怖いから。 生きていると、自分がわからなくなる 自分の本当の感情から目を背けたくなったり、自分が何をしたいのかわからなくなったりすること、よくありません? 私はよくある。 自分の心の内の本音や気持ちに気づいてしまう瞬間ってめっちゃ怖くないですか? いやまじで、考え

雑草みたいに生きたい

最近、雑草に魅力を感じる。 人に種を植えてもらって、水をもらって、育ててもらう、そんな一輪のお花も愛にあふれていて美しいけれど。 勝手に地球に降り立って、勝手に自分らしく生きている雑草ってめちゃくちゃカワイイ。 コンクリートの地面と壁の間から生えてくる雑草も。 誰からもケアされていないのに、勝手に生えてきて、勝手に生きている。 しかも、良く見ると、意外と綺麗。 小さなお花を咲かせる雑草も、ただ緑だけの雑草も、みんな形や色がそれぞれ違って個性的。 ただその野草の美

自分の「こうしたい」、自分の「1番の幸せ」に気付けるかどうか

大人になると、自分のやりたいこと、自分の1番の幸せがわからなくなる。 子供の頃は、将来こうなりたい!って希望に満ち溢れていたのに。 「あなたはこれからどうなりたいの?」 「何をして生きていきたいの?」 と聞かれたとき、それを明確に答えられる大人の方が少ないんじゃないでしょうか。 まあわたしもそのうちの一人だったわけなんだけど。 けど、人間って「私はこうしたい」って気持ちを絶対に自分の中に持っていると思うんですよね。 それに自分で気付けるか気付けないか、だと思うの。

「裏切られた」は自分の“理想像”に相手を勝手にはめ込んだ結果に過ぎない

人間関係を育んでいく上で、「裏切られた!」って感じてしまうことってよくあることだと思う。 「信じていたのに…」 「こうしてくれると思ったのに…」 でもそれって、自分が相手に期待をしすぎているだけじゃありませんか? そもそも「裏切られた」って何? そもそもの話、“裏切り”ってなんやろな、ということをおさらいしておきたい。 wikiで調べてみると、裏切りの定義はこう書かれていました。 裏切り(うらぎり、英: Betrayal)とは、約束や同盟関係を捨て相手に寝返る等の