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【応援記事】「タダ弁当はじめます」ひとり親・ヤングケアラー支援を始めた教会〜制度と制度のエアポケットに落ちた若者を支える〜

「コロナで食事を振る舞えない。『だったらお弁当を配ろう』という話になった。」

そう語るのは天理教甲京分教会(甲賀大)の会長を務める辻真一さんと妻の治美さん。

兼ねてより児童養護施設あがりの身寄りのない孤児たちに『おかえり食堂』として、食事と何か困ったときに頼れる、集える【場】を提供されてきた。

2021年、コロナ禍続く日本で、孤児だけでなく、ひとり親、そして『幼き介護人』と言われるヤングケアラーたちへの支援に乗り出した。

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孤児に『おかえり』

辻さんの教会で昨年より始められたのが、今回のタダ弁当の前進となる『おかえり食堂』だ。

児童養護施設施設は孤児を18歳までしか世話することができない。

18歳となる間に、里親や養子縁組、後見人などが現れなかった孤児は、その歳を境に保護者の支えなく独り、社会に放り出される。

後ろ盾のない齢18の若者が、この弱肉強食の社会で独り生き抜くにはあまりにハードルが高い。

なんとか社会適応できる子ももちろん居るが、多くは一度、正職にありつけたとしても、会社内での人間関係や精神的なもろさゆえの失敗などで適応しきれず、退職。

結果、夜の仕事について『当たり前』と呼ばれるありきたりな生活からどんどん遠退いてしまう。

孤児にとって2度目の【悪循環】が始まってしまい、2度目の悪循環から抜け出させる支援はこの国には皆無と言っていい。

さながら『ここまでお国のお金で育ててやったんだ、後はのたれ死のうが自分の力でなんとかしろ!』とでも言わんばかりだ。

もちろんそんなことは思ってもみないかもしれないが、事実、制度と制度の空白部分『エアポケット』に落ちてしまい、救われない若者たちがいるのだ。

「身寄りのない若者が『あそこに行けば助けてくれるかも』と頼れる、家でもない、職場でもない第3の居場所を作りたい。

私自身、何名か『おかえり食堂』に来た若者たちに出会ったのだが、皆、とても素直で、気が利き、素敵な若者たちなのだ。

そんな彼らが辻夫妻を『頼れる存在』として位置づけているのが、傍から見ても明らかなのだ。

後ろ盾がないことほど不安なことはない。

逆に『私』を見守る存在を背に感じることほど、安心と励みになるものはない。

『おかえり食堂』とは独り立ちした孤児たちの、背中を支える居場所なのだ。

(↓左下の🐰ちゃんは独り立ちした孤児)

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ひとり親に『お弁当』

私の姉も数々の変遷を経て、現在ひとり親として2児を育てている。

なんでもやり切るパワフルな姉なので、サポートは不要かと思うのだが、それでも

「お弁当もらえんの??1食浮くだけでメチャクチャ助かるわー😍」

と、すぐ飛びつくほど、経済的にも時間的にも『足りない』生活をしているのだと思う。

ふた親そろってる我が家庭ですら『足りない』と感じるのだから、ひとり親ならばその倍、足りなさを感じて当然である。

片親であることを埋めるのは容易ではない。

自らとも、子供らとも合うパートナーと巡り会うことが簡単であれば、皆そうしている。

素晴らしいパートナーが容易く見つからないのだとしたら、次に足りなさを埋めるのは『お金』だ。

しかし、ひとり親は独りで子の世話や家事をしなくてはならず、必然的に働ける時間の制約がきつめなのだ。

能力やスキルアップを計ろうとも、その時間を生み出すのは難しい。

1日々々を過ごし切るので手一杯、というひとり親も大勢いるだろう。

そんなひとり親たちの『1食の手間と時間、そして家計を省く』、それが無料弁当配布という支援の形だ。

需要はある。

すべて辻夫妻の持ち出し金により制作される『タダ弁当』、初回、限定20食中、半分以上の予約が入った。

内、1件は私の姉がチラシを貼らせてもらった『ひとり親家庭支援センター』からの問い合わせだった。

センターに張り出されたチラシを見たひとり親が電話してきたと言う。

辻夫妻が行ったチラシのみの宣伝で、半分以上の予約は相当の需要だと思われる。

口コミが広がれば20食などすぐに埋まってしまいそうだ。

「頼りのない人たちが困った時に頼ってくれるかもしれない」

辻夫妻の『タダ弁当』には、何かと足りないひとり親たちに、見に見えない【繋がり】という隠し味を足しているのだ。

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幼き介護人へ『プレゼント🎁』

辻夫妻がお弁当を無料で渡しているのはひとり親だけではない。

幼き介護人と呼ばれる『ヤングケアラー』たちも、そのサポート対象だ。

ヤングケアラーふ

この言葉をあなたは知っているだろうか?

知らなければあなたは、どんな人たちだと想像するだろうか?

実親が年老いて弱れば、手助けするのは大人になったあなたや私の責任…というか恩返しに他ならないと言えば、それはまだ想像しやすい介護関係だと思う。

しかしヤングケアラーたちは普通とは違う介護関係を強いられている。

ヤングケアラーの定義は

①18歳未満で

②親や祖父母、兄弟姉妹の

③介護や家事を

④1日に1回以上

⑤(精神的に肉体的に)強いられている

介護関係にある子供たちのことを指す。


例えば、

精神疾患の母親の代わりに幼い頃から家族の食事を作っている子。

例えば、

共働きの家庭でダウン症の弟の世話のために部活や友だち付き合いを諦めている子。

例えば、

両親が事故で他界して祖父母の介護を一手に引き受けている子供。

そんな彼らを『ヤングケアラー』と呼ぶ。


彼らの問題は大きく分けて2つあると思われる。

1つ目は、家族のケア(介護)をすることが【当たり前】になっていること。

家族のケアを放棄することは、いずれその家族の【死】に直結するという自覚があり、それが介護をせざるを得ない状況を生んでいる。

2つ目は、家族のケアによって自らの人生の大半を諦め、未来を夢見れなくなってしまっていること。

家族の【命】を繋ぎ止める対価として、自分の【命=人生】を支払っている。

自分の『幸せ』を求める、誰しもに与えられている自由を奪われてしまっている。

そんな不自由を抱えるヤングケアラーたちに、チャンスを届けようとしているのが辻夫妻だ。

ヤングケアラーたちの残念なところは、若過ぎるがゆえに【無知】であり、家族のことだからという固定観念で、他人を【頼ることを知らない】、または頼りづらいと思って成長してきていることである。

辻夫妻は、【繋がり】という隠し味をタダ弁当に込めて、彼らヤングケアラーたちにお弁当だけでなく、知恵を分けてあげたいと思っておられる。

例えば行政にはどんな支援があり、どこに申請に行けばよいか?と言った、大人なら当たり前に考えそうな知識でさえ、幼き頃から介護をしてきた彼ら彼女らには思いつかない。

当たり前になっている親や祖父母、兄妹へのケアが他人や、ましてや行政から支援されるとは思ってもみないのだ。

頼られれば『助けたい』と思うのが人情というもの。辻夫妻ほど人情深い夫婦を私は身近で知らない。

夫妻を頼ったケアラーたちは必ず多くのサポーターとの繋がりを得れると信じてやまない。

(↓右下🐻は辻夫妻の末っ子で医療的ケア児、真ん中🐰の兄姉が小さい頃から介護を手伝う、まさにヤングケアラーなんです)

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辻夫妻からのお願い

「私たちがお弁当を届けられる範囲は限定的。お弁当は作る、だから君の周りのひとり親やヤングケアラーに届けてもらえないだろうか?」

そう言って私にも活動のサポートをお願いしてこられた。

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現在、基本すべて自腹、持ち出しでこの支援活動に当たられている辻夫妻は、多くの手助けを必要とされている。

夫妻の想いに共感した多くの人が、食材や人材やお金を寄付し始めている。

先日は「農林水産省も備蓄米を融通してくれそうだ」と喜んでおられた。

共に喜び、共に助け合う『ありがとう』の輪を、辻夫妻と共に私も手助けできればと思う。

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参考記事


あなたのそのお金は、あなたが働き、培った、あなたの時間という名の『命』です。もしあなたの『命』を寄付したいと言われたら、私は覚悟して扱わなければならない。『決して無駄にはできない』