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夏の幻想

誰かが見た夏の景色だろうか。青く燃える空に白い龍神が飛んでいく。開け放たれた奥座敷で寝転ぶわたしは夢を見ている。

かすかに香る湿ったイグサの匂いに混じる線香の煙、畳に落ちる影の濃さ、光の力強さ。いっときのうちに影は部屋の端まで移動し、また戻り、時間を狂わせながら境界の門をたたく。

縁側をひたひたと歩く白い足のたおやかさ、活けられたクロコスミアの赤、青い青い空、白い白い雲、井戸の中から長く高い草笛の音がする。

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夕暮れ、田んぼのあぜ道を、手を繋いで歩いたあの人は、黒い翼と嘴を持つひとだった。母という想いのまぼろしに手を引かれ、誰もいない道を歩きながら、この道はどこまで続くのだろうとぼんやりと思った。あのひとは幼いわたしを見て微笑み、そして夜に溶けていった。

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あのころ住んでいたのは日本庭園のある古い家で、縁側から重い石を踏み、庭へと下りられた。そこここに置かれた巨大な庭石、椿の木の木陰で、蟻の巣穴を枝で刺す。輪郭の薄い、白いこどもたちがいつしか周囲にいることに気づく。彼らはまだ少し人であり、精霊じみてもいる。わたしにはわからない言葉、囁き、葉擦れの音にかき消されるそれは、産まれたころに聞いた音楽と似ていたかもしれない。

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父方の祖父母の家の一番奥、廊下の突き当り、仏間になっている部屋の縁側の、籐の椅子に座る銀髪の老人のことを、誰にも話したことがなかった。彼はいつ見てもうとうととまどろんでいるようであったし、こちらのことなど少しも気にしていないように思われた。

子供の目から見て大きすぎる仏壇(内側は奇妙なほどに派手である)と神棚があり、その部屋は空気の重さのようなものが他とは違っていて、何よりいつも薄暗かったので、わたしには少し怖かった。しかしわたしは同時に意地っ張りの蛮勇の持ち主であったので、何かに挑むつもりで、老人から見て、ガラスのテーブルを挟んで向かいの椅子に座ってみたのだった。

老人は重そうな瞼を持ち上げてわたしを見た。その目は驚くことに、空のように青く澄んでいた。すぐにそれは閉じられる。夏の間だけ、そこに現れる人の話。


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目に見えない鳥たちの大移動の日。鷲の翼の娘が仔を産む。

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無人の家から太鼓の音。

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