鎧と中身
何か大きなメリットがあるわけじゃないのに、なんでこの人は自分と会ってくれるんだろう?と不思議に思ったことはありませんか。
友達だったらそんなふうには考えないかもしれませんが、特に目上の人から気にかけられた時なんかに感じるかもしれません。
大した成果を挙げたわけでもないのに、なぜ自分を推してくれるんだろう。
もう同じ職場じゃないのに近況を尋ねてくれるのはなぜだろう。
何かと気にかけて食事や、贈り物をしてくれるのはなぜだろう。
そう考えたときに、相手が他人に求める「何か」を自分が持っているからではないかと思いあたりました。
その「何か」は人によって様々でしょうが、相手からもらうとうれしい気持ちになるものです。
例えば、何か贈り物を受け取ったらお礼状を出す、食事をご馳走してもらったらしっかりとお礼を言う、髪型や服装の些細な変化に気づいて声をかける、仕事ぶりに対してねぎらいの言葉をかける、素敵なところを素敵だねと口に出す、こんなようなこと。
自分は当たり前にやっているつもりでも、世間を見渡した時には当たり前ではないのでしょう。
だから、そういった言動が小さな感動となって相手に届くんだろうなと思いました。
じゃあ、その自分なりの習慣やマナーは一体どこから来たのか。
それは、今まで出会った人が授けてくれたものなんじゃないでしょうか。
親、恩師、親戚、きょうだい、周りの友人や素敵な大人達がかけてくれた言葉、教えられたマナー、知らないうちに身についた習慣。本や映画で見て、自分もああなりたいと取り入れたものもあるような気がします。
そういった小さな影響の数々が鎧となって、自分を守ってくれているんだなと感じました。
もうそばにいない人だとしても、今の自分を守ってくれている。
そう考えるとあたたかい気持ちになってきます。
かんじんな鎧の「中身」を育てていくのは、自分にしかできないことだと思います。
何に時間を使うか。どういう経験を選択するか。何を考えるか。人間は色んな外からの影響を受けるものですが、そもそも考える時間を取るかどうか、という最初の判断は自分にしかできないのです。
そうしていろんな選択からいろんな経験をして、考えて悩んで、「中身」が強くなれば、いつかいらなくなる鎧もあります。
その時に、いらなくなった鎧をけちょんけちょんにするのはおすすめ出来ません。
それまでの自分を守ってくれたものだし、強くなる前には自分に必要なものだったはずです。
今まで守ってくれてありがとう、と一つずつ鎧を外して、身軽に生きていきたいと思います。
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