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逆張り大好きジャパニーズ【日記:2023/4/26】

3年ほど積んでいた「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」をついに読破しました。非常に晴れ晴れとした気分です。
本棚で発酵させている間に、世間ではすっかりAIブームに。どんどんフィリップ・K・ディックやSF作家たちが予想した世界に近づいていきますね。

さて、本作といえば映画「ブレードランナー」の原作であることが有名で、実際のところ実は読んだことないという人が多いと思います。
まあ確かにブレードランナーに比べると、かなり地味で暗い作品ではあるので、エンタメとして見るのであれば圧倒的に映画の方が見やすいです。
ただ個人的には、設定が細かく考えさせられる要素が多かった原作小説の方が好きではありますね……

そんな原作小説にのみ登場する要素として、マーサー教という宗教の存在があります。ざっくり言うと、皆で感覚とか感情も含めて一つに融合して共感し合おうという宗教です。
原作小説では人間とアンドロイドを分けるものとして、共感というのが大きなキーワードになっており、それ故にマーサー教の設定も作品世界を彩る重要なオーナメントでした。
映画的にはアクションを重点的に見せたいし、マーサー教自体も枝葉の、なくても本筋自体は成立する設定だったのでオミットされたのでしょうが、この改変は結構驚きましたね。

それで前置きが長くなってしまいましたが、今日語りたかったのはこの宗教という要素についてです。
SFでもファンタジーでも、大抵の創作作品に基本装備されており、現実でも大抵の国では何かしらの宗教が信じられているもの。一方で現代日本では、宗教の存在はどこか禁忌めいた扱いをされており、無宗教が当たり前。
宗教の話=怪しい勧誘だという不文律ができてすらいます。
多分これには、20世紀末ごろのカルト宗教によるテロの影響だったり、大日本帝国時代の統治の影響だったり、色々あるんでしょうが、この点に関しては私は詳しくないので、何故こうなったかという部分は置いておきます。

個人的に気になるのは、果たして無宗教というのが実際にあり得るのかということ。宗教は倫理の基盤で、倫理は良い悪いの判断の基盤だと思うので、完全な無宗教だったら良いも悪いも存在しない気がするんですよね。
どっちが得かは言えるけど、得する方が良いという判断基準のない、ただプログラム通りに反復行動するアンドロイドになってしまうというか……
だから、無意識にせよ何かしらの思想の枠に嵌っていると考える方が自然ではあると思います。

よく日本人は無宗教じゃなくて、神道や仏教のちゃんぽんみたいな言い方もされるけれど、それはちょっと本質からずれている気がする。
習慣として入り込んでいるというだけで、思想としてそれらしいかというと違う気がする。ほとんどの人は自然をさほど大事にしてないし、救われるために念仏を唱えたり、修行をしたりはしないですし。

どちらかと言えば、「逆信仰」とでもいう言葉の方が個人的にしっくりきました。私が勝手に作った言葉ですが。
どういう意味かというと、陰口を言うことによって仲間意識を高めるような態度をイメージしています。日本人はこういう姿勢を見せることが多い気がします。(他の国を知らないので、もしかしたら人間全体そうかもしれない)

仕事・労働はクソ、宗教はクソ、政治もクソ、金持ちもクソ、職場でのダルイコミュニケーションもクソ。
クソであることを避けるように人は生活をして、クソを語り合って共感することで連帯感を高める。
そんな肯定ではない、否定の否定という価値観が現代日本の価値観なんじゃないかと、宗教について考えたらそんなことを思いました。

なんか真面目な話をしてしまった気がするので、神の強さ議論スレリンクを貼っておきます。昔はよくとあるシリーズの強さ議論スレとか見てたな……
ちなみに私はインド神話推しです。すぐ数字を盛るイメージがあるので。

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