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慙愧の念と単語帳【日記:2023/5/9】

知らない単語を調べるのが好きで、実はオリジナル単語帳を作っている。
普段見ている漫画、本、アニメ、Twitter、インターネット、聞いている曲の歌詞やタイトルなどに知らなくて気になる言葉があったら、Googleなどで調べて紙のノートにまとめるようにしている。さすがに古い小説とかだと、全部確認するのにかなり時間がかかるのでほどほどにしているが、分からない言葉があると気持ち悪く感じるほどになってきた。
この習慣を始めたのは2年ぐらい前で、ノートも3冊目に突入した。
きっかけは何だったか正確には覚えてないが、出張先のホテル、ラウンジになっている飲食スペースの情景。そして無料メニューのトルティーヤを食べながら何かの本を読んでいたのは覚えているので、多分その本に影響されたのだと思う。

思い返してみれば、昔から言葉を覚えるのは結構好きだった。
TOEICの勉強も単語帳を全部覚えてる時が一番楽しかったし、授業中暇な時は適当に広辞苑を眺めたり、地図帳で知らない国の首都を覚えたりしていた気がする。
なんでそんな嗜好になったのか今では分かりませんが、考えていたら一つ思い当たる節がありました。

それがこれ。「名探偵コナン」原作の単行本16巻の一シーン。
アニメ版では「名家連続変死事件」と名付けられていた事件で、復讐と愛と罪悪感が入り混じった悲しくも美しい名エピソードです。

(コナンが「ピアノソナタ”月光”殺人事件」のことを思い出し、服部に自身の探偵哲学を語る上記のシーンも有名ですね)

で、単語帳の話に戻りますがこのシーン、名探偵コナンにしては珍しくコマの下に言葉の注釈が付いています。確かに『慙愧の念』という言葉はそこまで一般的ではないですからね。(実際アニメだと、「犯した罪を悔いてのことだったとしたら…」に変更されている)
こういうの本当にコナンだと非常に珍しくて、100巻の歴史の中でもここだけとかだと思う。少年漫画ということを意識してなのか、普段は難しい言葉の使用はなるべく控えているようですし。

それでもあえてこのシーンでは『慙愧の念』という言葉を使った。
恐らく作者の青山先生にとって、この場面に最も相応しいと感じられたのがこの言葉だったのでしょう。
子供の頃は言葉は事象に対して一対一で対応していると思っていて、何でわざわざ難しい言葉を使うんだろうと思っていましたが、教科書の端の誰も覚えてないであろうことがテストに出て自分だけが解けた時のような、そんな優越感があって印象に残ったのを覚えています。

振り返ってみるとこれが言葉を使い分ける事、言葉を覚えることの楽しさを知るきっかけだったように思えます。
それから十数年、今でもその精神は生きていてカッコつけて優越感に浸るために日々言葉を脳にため込み続けている。
服もフリルが沢山ついてる方が可愛いのと同じで、言葉も複雑な方がカッコいいと私は思う。この世の言語的トレンドはシンプルきれい目なのかもしれないが、ゴテゴテのロリータ言語を使いたい欲が抑えられない。
だから私は永遠に中二病。でもそれでいい。
可愛いとカッコイイは正義だから。


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