会社の雰囲気をガラッと変えた、たったひとつの習慣
昔、うちの印刷工場はすさんでいました。オジサンが下駄を履いてタバコを吸いながら印刷をしているような状態です。
はじめて、ビル1棟分の本格的な印刷工場を構えたのが、15年ほど前のことです。当時は、オペレーションも従業員の管理方法もまったくわからず、工場はみるみるうちに荒れてしまいました。
しかし、いまでは工場見学にきたお客さんに「すごくきれいで、あいさつの気持ちいい工場ですね」と言っていただけます。ここに至るまでには、僕の父で創業者である先代の、執念と哲学がありました。
「しのごの言わずに、掃除するぞ」
どうやって工場をまわしていけばいいのか。
考えあぐねていたとき、先代がいちばん最初にやったのが「掃除」でした。
「品質とか生産性とか、しのごの言うな。まず工場っていうのは、整理整頓・清潔であるってことが大事なんだ」と。
先代は印刷組合の副理事長をやっていて、他のいろんな印刷会社を見てまわる機会がありました。それで、優秀な印刷会社を見て「工場は5Sが大事だ」と学んできたんです。
5Sとは「整理・整頓・清掃・清潔・しつけ」の頭文字をとったもの。製造業やサービス業でよく使われる、職場環境の維持改善のためのスローガンです。
先代は「清掃するぞ。これからは、朝は必ず掃除だ」といいました。
震災の日にも「みんな、掃除だ」
5Sの浸透にかける先代の「執念」は、すさまじいものでした。
うちの会社で語り継がれている話があります。
2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。僕はそのとき新宿にいて、その場にはいなかったのですが、うちのビルがビックリするぐらい揺れたんです。外壁の一部が崩落して、重たいシュレッダーがひっくり返るぐらいでした。
*こんなに揺れたビルは他に東京にはなかったはず(笑)
あまりにも揺れすぎて、社員が怖くなって「ビルに入りたくない」と言うぐらいでした。2時ごろに大きい揺れがあって、そのあとも余震がつづきました。それで4時ぐらいになったとき、会長が口を開きました。
「みんな、掃除だ」
と言ったんです。
社員はみんなビルの外に出ていたのですが「こんなときなのに、働かなくてどうするんだ」といって、中に入って掃除しようとしたらしいんです。その場にいた取締役が「会長、さすがにそれは」と止めてくれて、その日は解散になりました。
現場に居合わせたスタッフは、いまでもみんな覚えているといいます。「あんな状況でも『掃除しろ』と言われるなんて、もはや狂気すら感じた」と。
やりつづけること。 そして、社員を愛すること。
そのぐらい当時の会長は「5S、5S、5S」しか言っていませんでした。
もちろん「掃除するなんてありえない」みたいな人もいました。そういう人は、すこしずつ辞めていきました。いまでは、それでよかったんじゃないかなと思っています。
先代は「言いつづける」以上に「やりつづける」人でした。とにかく毎日、自分で掃除をしつづけたんです。
もちろん朝礼などで5Sの話はしていました。でも、いくら言いつづけていても、先代自身があんなに掃除をやりつづけていなかったら、きっと工場を変えるのは無理だったと思います。
ホントにダメな人はすぐに辞めていったのですが、先代は、すこしぐらい反発する社員のことも、うまく取りいってしまう人でした。厳しいけれど、社員に対する愛情や、かわいいって思う感情は、ものすごく大きい人なんです。
そういうのって理屈じゃなくて、社員にも伝わるものです。
創業者が、自分たちに目をかけてくれてることの安心感。それは「働きがい」なんかではない、もっと深い部分の感情なんですよね。
そういう人間味の部分では、僕はいまだに先代には敵わないなと思います。
壁にぶつかったとき、脳裏に浮かんだ先代の背中
震災の次の年に、先代の後を継いで、僕は二代目の社長になりました。
初めて経営をやってみて、最初はうまくいかないことだらけでした。物事はすぐには変わらない。新しいことをやれば、必ず反発がおきます。
そんなときにふと思い浮かんだのは、執念深く誰よりも掃除をする先代の姿でした。
「そうだ、組織を変えるのって、ぜんぜん簡単じゃないよな。でも、あれぐらいやったら会社は変わるんだよな」と思ったのです。
当時は気づかなかったのですが、知らず知らずのうちに「経営ってこういうことなんだな」と、肌で感じていたんですね。
組織を変えるのに、どのぐらいの熱量と、しつこさと、時間と、愛が必要なのか。
変えるのは大変だけど、いったん文化が浸透すると、どれだけ強く、価値があるのか。
すべてあの先代の姿から学んでいたんです。
大切な人に胸をはれる職場に
僕が小さい頃から思っていたことがあります。
それは「印刷会社で働いてる人たちって、なんかスレてるな」ということです。
僕が子供の頃は、親が印刷会社をやっている友達の工場によく遊びに行っていました。僕がたまたま会った人がそうだっただけかもしれませんが、工場のスタッフはみんなどこか斜に構えていて、イキイキしていなかったんです。
あのころの印刷業界には、「しょうがないじゃん」という空気が蔓延していました。
語弊があるかもしれないのですが、そもそも、工場がすごく汚かったんです。ちょっと機械に触っただけで、手が粉だらけになるような感じです。でも、働いている人は汚いと感じていない。「いや、印刷工場だからしょうがないじゃん」「印刷会社ってこんなもんだよ」という調子だったんです。
それが悔しかったから「うちは、日本一キレイな工場にしよう」と思いました。
べつに、工場をきれいに掃除したって、売上が伸びたり表彰されたりするわけではありません。でも少なくとも、大切な人に「ここが自分の職場なんだ」って胸を張れるようになりたいと思ったんです。
自分が働いている職場を、大切な人に見せられる。むしろ見にきてほしいと思う、そういう会社になりたい。
そんな思いを込めて、数年前に「ファミリーデイ」をつくりました。
従業員の子どもや家族が、職場見学にくる日をつくったんです。いまはコロナでおやすみしていますが、毎年すごくたくさんの人が来てくれていました。
当日は子どもたち用にオリジナルの名刺をつくって、100人以上いる社員たちと、どんどん名刺交換していきます。工場で分厚い紙をバサンと断裁する様子なんかは、すごくおもしろがって見てくれるんです。
「家族を呼べる工場になった」というのは、やはり誇らしいです。スレた感じの工場の面影は、もうありません。
掃除が組織文化をつくる、説
最後に、僕らが10年以上掃除を続けてきて感じている、掃除が組織に与える「副次的な効果」を2つご紹介します。
ひとつめは、社内コミュニケーションになることです。
工場からはじまった掃除の文化は、その後にできたすべてのグループ会社にも引き継がれていて、全社共通の時間に、140人全員でやっています。
掃除のときは、グループ会社の垣根はいっさいなくして、みんなシャッフルされるんです。
定期的に、担当する場所と一緒にやる人が変わります。そうすると、掃除で連携したり、一緒にゴミを捨てに行ったりするときに会話ができるんです。
うちはM&Aもしていて、グループ会社が6つあります。ふだん一緒に仕事をすることがない同僚がたくさんいるわけです。だから「一緒に掃除をしている」ということが、会社全体のつながりを生んでくれていると思います。
ダメな会社は、社員がゴミを「またぐ」
もうひとつの効果は「自分ごと」の組織文化ができることです。
たまに、ひと目で「あ、ダメな会社だな」とわかるときがあります。それは、社員が落ちているゴミをまたぐ会社です。
ちょっとしたゴミを拾えずに、またいでしまう。それは完全に「自分には関係ない」と言っているのとおなじです。
会社で起こることを「自分ごと」として捉えているかどうかは、そういう細部に表れます。
ちなみに、掃除は担当を決めるのではなく、みんなでやるのがポイントです。「掃除はあの人の担当ね」と役割を決めてしまうと、他の人はもう「自分はやらなくていい」となってしまうからです。
掃除するときに、テーブルの上だけ拭くのではなく「テーブルの足元はどうだろう」とチェックできるかどうか。そういう「ひと手間の気づかい」は、仕事をするうえでも、とても大切なことです。
それは「ルール」で作れるものではなくて、その組織の「クセ」みたいなものが影響しているんじゃないかなと思っています。
工場はショールーム
うちでは「工場はショールームで、主役はスタッフだよ」と言っています。
工場見学に来られるお客様は、品質ではなく「会社」を見にきています。「この会社と取引していいか」「この会社で引き続き発注していいか」を判断しているわけです。
工場の場合、どこを見ているかというとシンプルで「キレイかどうか」と「挨拶が気持ちいいかどうか」の2つです。
この2つを実現させるのは、簡単そうに見えてけっこう大変だからです。
現場のスタッフは、ふだんお客さんから直接ほめられることがほとんどありません。でも工場がキレイになってからは、工場見学にきたお客さんに、すごく褒めていただけるようになりました。
「キレイにしてる」「挨拶をしてる」ことに対して、直接ほめていただけることが、スタッフの推進力として、とても大きなものになっているのです。
たかが掃除、されど掃除。先代から続くこの習慣は、これからも責任をもって受け継いでいきたいと思います。
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