ServDes. 2018 レポート3〜 「関係性」はデザインできるのか? 〜
みなさん、こんにちは。
今日は6月に参加してきた ServDes. 2018 in Milano(6月18日〜20日)レポートの第3弾です。第1弾ではカンファレンスの概要を、第2弾では(私が感じた)サービスデザイン周辺の最近の傾向や潮流をお伝えしました。
今回でレポートは最後になりますので、カンファレンス中に参加したワークショップの話を中心に少し踏み込んだ内容の記事を書いてみたいと思います。やや長めでマニアックな文章になりそうなので、お時間のある時にコーヒーでも片手にリラックスしながらお読み頂ければな、と思います。
吐きそうになるくらい刺激的な論文
私は今回のカンファレンスで Dr. Ezio Manzini と Dr. Carla Cipolla (註1)という2人のアカデミシャンに会えることをとても楽しみにしていました。
なぜなら、私は数年前にこの2人の共著の論文を読み、多大な刺激と影響を受けていたからです。それは、まさにMIND-BLOWINGと表現するのが相応しい経験でした。日本語で表現すると「脳みそがぶっ飛びそうなくらいの衝撃」とでも言いましょうか…。吐きそうになるほどの興奮を覚え、ドキドキしながら、何度も、何度も読み返したことを今でもよく覚えています。
この2人が中心となってオーガナイズするワークショップがカンファレンスの2日目に行われると知れば、参加しないはずがありません。
ワークショップの内容に触れる前に私が感銘を受けた論文の内容をまずは簡単にご紹介します。Dr. Ezio Manzini と Dr. Carla Cipolla のサービス(またはサービスデザイン)に対する基盤となる理論や基本的なスタンスというものがよくお分りいただけるのではないかと思います。
Relational Services
これが論文のタイトルです。2009年2月にKnowledge, Technology and Policy というアカデミックジャーナルにおいて発表されました。
この論文の何がそんなに刺激的だったのか?と言いますと、端的に言えば、 次の2点に凝縮されます。
*従来的で一般的な考え方では、同じカテゴリーに分類されるサービスに潜む本質的な違いに注目していること
故に
*サービスの分類の仕方が独特であること
この論文における理論的なフレームワークは、1921年に 哲学者のMartin Buber が発表した "Ich und Du."(現代の英語で表現すると "It and You" )です。Dr. Ezio Manzini と Dr. Carla Cipolla は、この概念を用いて、サービスにおけるInterpersonal Encounters を読み解き、現代のサービスを掘り下げることに挑みました。
(Martin Buber, 1878-1965)
(出典:http://gizra.github.io/CDL/pages/F5CF3D21-6D29-2B7A-46BC-E1D5188ADE41/)
従来的で一般的なサービスの分類の仕方は、主に2つ。
まずは、「不動産サービス」、「飲食サービス」、「通信サービス」などのように業界ごとに分類する方法。
そして、業界は問わないが、そのサービスに含まれる対人コミュニケーションの割合によって分類する方法。(参照:Chase, R. B (1981) ‘The Customer Contact Approach to Services: theoretical Bases and Practical Extensions’ Operation research, vol.29, No.4, pp.698-705.)
このような表面的なコーティングによる分類では、見逃してしまうことがあります。それは、一見、同じように見えるサービスに潜む本質的な違いです。
(昨今のサービスは、複雑化し、決して上記の方法だけでは語れないようになってきていますが、それはまた別の話として、ここでは伝統的な分類のみの提示に留めます)
サービスの違いは何によって生まれるのか?
論文 "Relational Services "では、サービスは ”Relational Services” と”Standard Services"に大別され、スクールバスの事例によってこの2つの違いが説明されています。
要約してみます。
School A と School B のスクールバスサービスがあるとします。
それは、どちらも子供達が学校への行き帰りに利用するもので、業界や対人コミュニケーションの割合で分類をするのであれば、同じカテゴリーに入ります。しかし、Buber の “I-Thou” (="I and You" )と “I-It” の2軸を当てはめて読み解くと、2つのサービスの間にある、はっきりとした違いが浮かび上がってきます。
例えば、School A のサービスは、
関わる人々(学校の先生、ドライバー、子供達、子供達の家族、地域の人々など)の関係性が「気持ちの交換」、「心の触れ合い」、「大人が子供を見守る優しく温かい視線」などの介在によって成立している。そして、サービスの提供側(学校や地域社会)が、そのようなことに重きを置き、そのサービスの運営を行なっている。ここには、「人間と人間」の関係、つまり、Buber の “I-Thou” (="I and You" )の関係があり、それによってサービスが成立している。「私とあなた」が「人間同士」として関わっている。これがRelational Services です。
一方で、School Bのサービスは、
関わる人々の関係性が、表面的には「人間と人間」でありながら、実質的には、Buber の“I-It” の関係になっている。「私とあなた」ではなく、「私と何か(=それ)」が、感情を介さず、まるで「モノとモノ」のように関わっている。これがStandard Services です。
(ここではこれ以上の説明は割愛しますが、興味があり、英語への抵抗がない方は、是非、リンクから原文を読んで頂ければと思います。)
表面的に見れば、同じように見える「スクールバスサービス」であったとしても、それを取り巻く人間の感情によって本質的な違いが生まれるのです。そのことをまるで玉ねぎの皮を一枚、一枚、丁寧にめくるようにして、サービスの授受に関わる人間同士の対人コミュニケーションの本質を紐解こうとしたのが、Dr. Ezio Manzini と Dr. Carla Cipollaによる Relational Services という論文であり、その概念です。
サービスの「なんとなく」に潜むものを大切にしたい
Relational Services で示された考え方やサービスに対する視線の注ぎ方というものは、まさに私が日本のホスピタリティ業界の現場で働きながら感じてきたことでした。
建物も、内装も、マニュアルも、提供される商品も、何もかもが同じであったとしても、そこに集う「人間」によってその空間が生み出す空気感は大きく変わります。
そこで働く人がどのようなモチベーションを持って、日々の仕事に向き合っているのか?
そこで働くもの同士の関係性はどうなっているのか?
彼らの労働環境は「人間」として尊重されたものになっているのか?
などなど。挙げていけばキリがありません。
こういった「サービスの提供側」の感情的な側面は必ず「サービスの受取側」であるカスタマーとの接し方に影響を及ぼします。
そして、それらは、ジワジワと、しかし、確実にカスタマーの「なんとなく」という感覚を醸造していきます。
みなさんも「なんとなく好きなカフェ」とか「なんとなく落ち着くホテル」とか「別にオンラインでも買えるんだけど、なんとなく行きたくなってしまうお店」などが、きっとあるのではないでしょうか?
この「なんとなく」に潜むのは、サービスの提供側、受取側を含め、そのサービスに関係する人間たちの醸し出す空気感、いわば「雰囲気」のようなものなのかもしれません。
こういった「なんとなく」は、数値によるインパクト測定や因果関係の証明がしにくく、短期間の取り組みで「良し悪し」の判断が難しい為、経営側からは軽んじられがちです。
しかし、私は、ホスピタリティの現場においても、また現在の立ち位置においても、 こういったサービスの「なんとなく」を大切に考えてきました。
"Relational Services” という論文に記された概念と、そこで展開された「サービスへの視線の向け方」は、私にとって論理的のみなならず、心理的にも大きな支えとなっています。
さて、さて。(やっと…)
このRelational Services という考え方を踏まえて、カンファレンスでのワークショップの話に入りましょう。
"Between servitude and collaboration: A service design choice? "
これがワークショップのタイトルです。
どうですか?分かりますか?
サッと読んだだけでは、いまいち分かるような、分からないような…というフワッとした感じではないでしょうか?
というか、私がそうでした。
Servitude と Service
まずは、タイトルからじっくりと読み解いていきましょう。Servitude は、その字面からService と似ているように感じるかもしれませんね。しかし、Servitude は Service とは対照的に日本人にとってはあまり馴染みのない単語なのではないかと思います。
Servitudeは「奴隷状態、隷属、服従、(刑罰としての)強制労働」などの意味を持つ名詞です。発音をカタカナ表記すると、サーヴァチュード、サーヴィチュードという感じです。英英辞典での解説はこうなっています。↓
(出典:https://www.merriam-webster.com/dictionary/servitude)
Serviceは、Oxford dictionary (2013) によれば、ラテン語の "Servitium" を語源としています。ラテン語の"Servitium" は英語の "Slavery" と同義。つまり、"Service" の語源は、「奴隷制度、奴隷所有、奴隷であること、奴隷の身分」ということになります。
英語にしろ、日本語にしろ、現在の社会において「サービス」という言葉が指し示すものと人々の認識は、その語源を大きく超えたものとなっています。しかし、それでも尚、多くのサービス関連の活動やサービス業従事者がこの伝統的な概念に少なからず影響を受けているのも事実と言えるかもしれません。(参照:Chesbrough, H.W. (2011) Open Service Innovation: Rethinking Your Business to Grow and Compete in a New Era, San Francisco, Wiley Imprint)
A new form of servitude と Service Design
さて、次にワークショップのアブストラクトを見てみましょう。
(出典:http://www.servdes.org/wp/wp-content/uploads/2018/07/100.pdf)
もう少し詳しいアブストラクトが DESIS Network のウェブサイトに載っていましたので、興味のある方は、そちらも併せてご参照ください。
簡単に抄訳&意訳すると、
『20年ほど前から、我々の「来るべきサービス(を中心とした)社会に関する論争」は始まった訳だが、今のサービスは、我々が当初想像していたものとはかなり違った様相を呈しているようだ。それは、新しい形での「ある種の奴隷状態」に向かって発展していっているのではないか? つまり、platform economy やgig economy と呼ばれるような形態の経済活動が大きな影響力を持ち、一定の位置を占める昨今の環境においては、サービスを提供する側(人間)が、プラットフォームそれ自体やプラットフォームの背後でその所有と管理運営を行う側(人間)の力を著しく受ける対象となっている。このワークショップの目的は、このような背景を鑑みながら、サービスデザインとソーシャルイノベーションの為のデザインについて議論することである。』
つまり、タイトルには、「collaboration に向かって進化していっている(と信じていた)はずのサービスが、新しいカタチでの servitude に向かっているように見えるのは、なんという皮肉…。その狭間でサービスデザインはどうするのか?どちらへ向かっていくことをサポートするのか?またすべきなのか?」という想いが込められていると私は理解しました。
「関係性」はデザインできるのか?
まずオープニングとしてDr. Ezio Manzini の20−30分程度のレクチャーがあり、Relational Intensity や The Balance of Power などのキーワードに触れながら、このワークショップの軸となる考え方、現状分析、視点といったものが提示されました。
そして、Dr. Ezio Manzini は、参加者に問い掛けました。
How can (service) design influence both the relational intensity and the balance of power between the involved actors?
((サービス)デザインは、そのサービスに関わる人間の間におけるrelational intensity と the balance of power の両方に対して、どのように影響を与えることができるか?)
Can we really design relationships?
(「関係性」というものは、本当にデザインできるのか?)
3チームに分かれた参加者は、この問いを軸にディスカッションを行いました。ディスカッションは、とにかくレベルが高く、刺激的でした。
私は、まるでテニスでも見るように右を向いたり、左を向いたりしながら、活発に交わされる意見の応酬を追うこと、そして、発言者の内容に「うん、うん」と首が捥げそうになるくらい頷き同意を示すことで精一杯でした…。
発言したいと思いつつも、目の前の話の内容を咀嚼し、理解した上で、自分の発言したい内容をまとめているうちに、どんどん先に進んでいき、気がついたら、終わっていました…。残されたのは、スポーツ後のような心地の良い疲労感。
そんな状況ではありましたが、私が印象に残った問題提起などをまとめてみたいと思います。
「人間と人間」の関係性を改めて問い直す
2009年に "Relational Services" が発表されてから僅か9年。その間にInterpersonal Encountersを考える時、その対象は、ますます「人間と人間」だけではなくなってきている。では「人間と非人間」の関係性を考えればいいか?というと、そう単純な話ではないよね…。
「人間と非人間」の関係性について考える時、では、「人間と人間」の関係性とはなんなのか?を改めて問い直すことになっていく。
Emotional Labour や Care Provider のEmotional State についてサービスデザインはどう考え、向き合っていくのか?
Respect という言葉は、関係性を構築する上でのキーワードとして使われることがよくあるが、一体、誰が、誰を、どのようにリスペクトするのか?
ひとつのサービスの授受に関係する Involved Actors が複雑になっているからこそ、サービスデザインは、それぞれの人間のパーソナリティや感情にもっともっと敏感になる必要があるのではないか?
つまり、本質的に語り合われたことは、
今後、サービスデザインは「関係性」というものをどのように考えていくべきか?
今後、サービスデザインが発展していく上で決して忘れてはならない視点とは何か?
であったと私は感じました。
サービスデザインの学術分野における便宜上の出発点は、1998年。そして、翌年の1999年には、B. Joseph Pine II and James H. Gilmore が『The Experience Economy』(日本語翻訳版:『経験経済』)を発表。この20年の間にSharing Economy や Platform Economy などの言葉が生まれ、サービスを取り巻く環境は、主にテクノロジーの媒介をキードライバーとして、ドラスティックな変化を見せてきました。
「人間と非人間なるもの」の関係性に注目が集まる中でサービスデザインが心に留め置くべきことは何なのか?
私は、第2弾のレポートにこんなことを書きました。
「人間ではないもの」が発展していけば、してくほど、「人間」について深く考えていくことになる。その中で、サービスデザインは、ある一定の拠り所になり得るのではないか?」
そんな可能性を感じさせてくれるカンファレンスでした。
これは、主にこのワークショップでのディスカッションの内容によって感じたことでした。力不足でディスカッションに積極的に参加することはできなかったけれど、こういうことに、真摯に向き合おうとする人たちが、サービスデザインのコミュニティの中に一定数存在する、ということを肌で感じられたことは、大きな喜びでした。
30℃ 近い気温の中、クーラーのない会場での行われた ServDes. 2018。
ミラノでの充実した「あつい」3日間はこうして幕を閉じていきました。
まとめにかえて
3回のシリーズでお届けしてきた ServDes. 2018 in Milano のレポートも今回で最後になります。如何でしたでしょうか?
「サービス」も「デザイン」もあまりにも私たちの日常に馴染んだ言葉ですよね。それ故に、ともすれば、軽はずみに、さしたる配慮もなく使われることも多いのではないかと思います。しかし、少し立ち止まって、そのような言葉たちについてじっくりと考えてみることで、今まで気が付かなかったことが見えてくることもあるのではないでしょうか?
ここでお伝えしてきた「サービスデザイン」は、アカデミックエッセンスが濃い目の味付け。一般的なビジネス書や入門書で「次なるマーケティングの手段」や「流行りのビジネスフレームワーク」的に説明されているようなものとは、かなり違った角度から語られたものだったのではないかと思います。なかなか取っ付きにくいかったかもしれませんが、楽しんで頂けた方が少しでも居たのならば、嬉しく思います。
それでは、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
註1:Dr. Ezio Manzini と Dr. Carla Cipolla はいわば師弟関係にあります。Dr. Ezio Manziniは、(サービス)デザイン界隈では言わずと知れたスタープロフェッサーの1人。Dr. Carla Cipollaは、今回のカンファレンス会場でもある Politecnico de Milanで2007年に博士号を取得しました。その時の彼女の指導教授がDr. Ezio Manzini です。
Written by M.Tamada
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