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【琴爪の一筆】#11『娼婦の本棚』鈴木涼美①

気に入った文に付箋を貼ったり、線を引いたり、抜き書きしたりするのは高校の時にできた癖で、私は今でもそうやって痺れる一文との出会いを求めて本を読んでいます。

『娼婦の本棚』鈴木涼美著
中公新書ラクレ 2022-04
p14より引用

この【琴爪の一筆】を始めたきっかけだった気がします。

私の場合、ビビビッビッ!とまではいかずとも、ムムゥくらいの一文でもピックアップしていたり。なので後で読み返してみた際、ごく稀に「犯人(自分)はなぜこのページにドッグイヤーをつけたのか」という脳内地産地消ミステリーが起こります。周辺の数ページを入念に読み直したにもかかわらず、未解決のまま迷宮入りした場合は、「最初から事件なんてなかった」とドッグイヤーを元に戻しておきます。

彼女と同様に幼少期から好んで本を読んでいたにもかかわらず、『痺れる一文』はもちろんのこと、読み進めている最中もしくは読了後の、気持ちの揺らぎや考えたことを言葉として記録する習慣も当然なかった私は、ただひたすら読み流す読書を重ねていただけなのかもしれません。

ちょっと過去のことでも忘却の彼方へぼんぼこ放り込んでしまうタイプは、自身の記憶だけで印象が残り続ける本というものはとても少なくて、「あ、読んでみたい」と思った本は以前読んだ本だったなんてことは、しばしば起こるわけです。

ぎゅんぎゅん読み進めてしまう癖は簡単には治らないとしても(本の種類によってはそれほど悪いことでもないのですが)、少なくとも何かが揺れた(太りはじめた自分のおなかとかではなく)のであれば、とりあえずさっとドッグイヤーだけつけて読後に振り返る。どうせ振り返るのならその時の思いを言葉にしてみる。どうせ言葉にするなら誰かが見てくれるかもしれない場所に書いてみる。こんなプロセスで今に至っています。

結果的に「しっかり言葉にしなきゃ、自分の感情ですら到底認識できない」と改めて教えてくれた一文かも知れません。

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