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【琴爪の一筆】#12『娼婦の本棚』鈴木涼美②

本当は無意味の自由こそ最も大切にするべきことだったはずなのに、大人はそれを自ら手放してしまうのです。

『娼婦の本棚』鈴木涼美著
中公新書ラクレ 2022-04
p30より引用

大人は何でも意味づけしてしまいますよね。思い当たる節のない不安、踊り出すほどの歓喜、我慢しきれない嗚咽、何でそうなったのかなんて判りはしないものにも、無理矢理意味づけをする。そうやって、とりあえず良くも悪くも、自分の心を一旦は安定させる技を身につけて、心の揺れに身を任せることができなくなっていきます。

大人の行動には目的が必要とされ、直接それに向かっていない行動は、短絡的に無意味とみなされて軌道修正を強いられます。人間は無意味とみなされるものに嫌悪を感じるプログラムが施されているかのようです。

以前、何の影響を受けてのことかは判りませんが、"目的を持って得た知識は案外身につかない"という言葉が頭に浮かび、我ながら「ほんとかよ」とか「誰かにケンカ売ってる?」とか、自問自答していたことがありました。真偽は甚だ疑わしいエセ格言風でありますが、"これこれこういう目的に向かって勉強するのです"という、丁寧に意味づけされた『意識高い系』な動機より、"とにかく世の理を知りたくてしょうがないんじゃ!"という、原初的でシンプルな『意識深い系』とでも呼びたい衝動の方がピュアである分、原動力が失われにくいような気はしています。

享楽的すぎる一面はありますが、心を素っ裸にできなくても、たまにはパンイチくらいにはなって、"Don’t worry. I’m wearing!"と叫び、社会性を失い切らない程度の『無意味』に没入してもよいのではないでしょうか。

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