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「わたしを離さないで」を読んで考える人生の宿題


医者から「旦那さんは80%助からない」と告げられたことがあります。

当時医院で処方された薬を飲んでいた夫は体調が悪くなり、大学病院で検査を受けたところ、即入院となりました。
検査、検査の毎日。
微熱がずっと続いていて心配でしたが、入院していたので私はとりあえず安心して職場で働き、終わると病院に向かっていました。

そんなある日、病院から職場に電話が入り、これから来てくれないかと言われます。遅番勤務の日のことで、夜の8時少し前でした。
同僚が心配してすぐに行くように言ってくれましたが、勤務時間はあと少しでしたのでいつも通り働き、それからタクシーで病院に向かいました。
よく考えれば医者から呼び出されるなんてかなりまずい状況のはずなのに、そのときの私は案外冷静でした。そこまで深刻なことだとは思っていなかった気がします。

病院に着くやいなや、夫の主治医に呼ばれました。
主治医は肺のレントゲン写真をかしゃんかしゃんとボードに止めようとするのですが、慌てているのかなかなかうまく止められません。
白っぽくなった肺の写真を私に見せながら、肺炎が急激に進行していること、最善は尽くすがおそらく80%助からないだろう、というようなことを言われます。

続けて主治医は、人工呼吸器を使わねばならないかもしれないこと、それには家族の同意が必要なこと、人工呼吸器は高額の医療費がかかるのですぐに難病申請をしたほうがいいということ、それらを告げて私に同意書を渡しました。

呆然としている私に次々と突き付けられる現実。
数日後に夫が死んでいるかもしれないと思うことは、この上ない恐怖でした。
「死」というものが現実としてこんなに身近に迫って来るのを感じたのは、初めての経験だったのです。


結果的に夫は助かり、人工呼吸器も使わずに済みましたが、あのとき止められない歯車のようにどんどん近づいてきた「死」が、その後の私に大きな影響を及ぼしたのは間違いないと思います。





あの時のことを思い出したのは、イギリスの小説家カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」を読んだからでした。


※※※なるべくネタバレしないように書きますが、これから「わたしを離さないで」を読まれる予定のある方はご注意願います※※※


パラレルワールドのイギリス。

「介護人」キャシーの回想で物語は進んでいきます。
全寮制の奇妙な学校「ヘールシャム」で育った少女時代。
ヘールシャムを出た後のコテージでの共同生活。
やがて「介護人」となり、見たり聞いたりしたこと。
様々な出来事がキャシー、トミー、ルースの3人を中心に描かれて行きます。
淡々と語られるキャシーの回想から、しだいに彼女らの置かれている特殊な境遇、悲劇的な運命が明らかになっていきます。
キャシーとトミーは自らの運命に抗う「希望」を手に入れるため、ヘールシャムで生徒たちの絵を集めていた「マダム」に会いに行きますが……。


正直なことを言えば、2016年にTBSで放映された綾瀬はるか主演のドラマを観ていましたので、おおよそのストーリーは知っていました。
当時ドラマを観たときは、「ある特殊な境遇にある人々のショッキングで悲劇的な話」という印象を持ったのですが、原作であるこの小説を読んだ後の感想は当時とは全く違いました。


キャシー達の運命は、特別な人たちだけのものでしょうか?


人は必ず「死」を迎えます。
しかし学校ではそれをはっきりとは教えてくれません。
「死」は一種のタブーのように扱われ、希望や夢を持つように言われ、死に対する心構えや現実的な対処の仕方は自分で学ばねばなりません。

私もいつか入院を宣告され、体を切り刻まれて死を迎える日がくるかもしれない。「わたしを離さないで」を読んで、キャシーたちの運命を自分の事として考えずにはいられませんでした。

死を迎えるとき、この世に生きた大切な記憶を持っていけたなら。

「わたしを離さないで」を読んでいろいろな思いが胸に浮かんでは消えた後、強く思ったのはそのことでした。


私達はいつか死を迎える。
その不都合な真実に抗い、受け入れ、それでも喜びを見つけ、人間関係に悩み、愛する人と過ごし、懸命に働いて、私達は生きる。

限られた時間をどう生きるか。


それは今も私の中で大きな宿題となっているのです。







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